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もしかしてそう Ⅴ

それにしても何故、京義が音楽室なんかに居るのだろう。第4音楽室はどの学年も使っていないはずだ。京義と音楽室、何だか似合わないそのふたつの単語。それを不思議に思いながら、紅夜は階段を上って、校舎の最上階、5階までやって来た。 (・・・ピアノの音・・・) いや、まさか、そんなことは。紅夜は思って、青くなったが止まっているわけにはいかない。恐る恐る第4音楽室に向かった。少しだけ扉を開け、そこを覗いてみる。大きなグランドピアノがぽつんと教室の真ん中に置かれている。その椅子に座っているのは、紛れも無く薄野京義その人だった。 (・・・うそや・・・) 京義は俯いていて良く顔は見えない。しかし、この学校で真っ白い髪をしている人間などたった一人だ。京義の長い指が鍵盤の上を走る。聞いたことのあるような、無いようなメロディーだった。楽譜は無く、京義は紅夜に気が付かないくらい無心に鍵盤を叩いていた。これは、知らない振りをして帰ったほうが良いのかもしれない。そう思って、紅夜はゆっくりとその場を離れようとした。すると、いきなりピアノの音が止んだ。 (み、見つかったんや・・・!) 紅夜はびくりとしたまま、固まって京義の言葉を待ったが、京義が出てくる気配は無く、辺りは静まり返っただけだった。紅夜は不審に思って少しだけ開かれた扉から中を覗く、グランドピアノの上に、京義は頭を伏せていた。白い髪の毛が散らばって、それがカーテンの無い窓からの光にきらきらと反射する。 「・・・京義!」 紅夜は扉を開けて、京義に走りよった。すると、京義が不意に顔を上げた。顔面蒼白の紅夜と目が合う。しかし、京義は全く何が何やら分かっていない。 「・・・だ、大丈夫か!?俺の事分かる!?」 「・・・何でお前ここにいるの」 「!?」 それを言われると返す言葉も無い。紅夜は口の中でもごもごと偶然通りかかった、のようなことを言っていた。勿論、紅夜が放課後に5階に用など無いことは考えなくても分かること。しかし、京義は特別答えなんてどうでも良かったらしく、椅子の隣に無造作に置かれていた鞄を持ち上げた。 「・・・帰るぞ」 「あ、いや・・・あの。ちょっと待って!」 「・・・なに」 「・・・え、えっと・・・ピアノ弾けんねんな!凄い・・・」 「・・・教養だろ」 「きょ、きょうよう・・・?」 京義は溜め息を吐いて、ピアノの椅子に座りなおした。紅夜はぼんやりとその美しいだけで冷たい横顔を見ていた。美しいと一言で言っても、京義のそれは一禾でも染でも夏衣でも無い冷たさがある。こちらの感心を寄せ付けない、冷たくて。 「なに」 「・・・京義は・・・ほんまに綺麗やなぁ・・・」 「・・・だから、当然だってこの間も言っただろ。お前人の話聞いてんのか」 「・・・!」 それはいつも眠っていて、ぼんやりしっぱなしの京義には言われたくない。当然だと言い切るだけの美貌を京義は確かに湛えていたが。 「・・・あそこはそういうところなんだよ」 「・・・へ・・・?」 「だからお前も連れて来られたんだよ」 「・・・な、なに・・・?」 「俺たちは別に好きであそこに居るんじゃない、集められてる」 「・・・あ、つめ・・・?」 「俺たちは夏衣の趣味で、集められてんだよ」 「・・・!?」 紅夜はもう目を白黒させるしかない。京義はさも当然ように言い切った。でもそういう風に考えたくもなる。普通のアパートにあの面子が揃っていたら、不可思議でないはずがない。そこに誰かの意図が介入されていたとしても、それは特別驚くようなことではない。逆に言えば。 「・・・お前ホントに夏衣の親戚・・・?」 「・・・え・・・?」 もう情報が脳みそから漏れかかっている。京義は立ち上がって、紅夜の腕を掴んだ。今まで鍵盤の上で踊っていた白くて長い、そう全く非の打ち所の無い指が、紅夜の頬の上を滑る。京義の顔をこんなに近くで見たことはなかった。何も塗ってはいない淡い色の唇が開く。もう頭は考えることを止める。京義の体からは何ともつかない良い匂いがしていた。紅夜はただぼんやりするだけ。 「お前だって、俺と大して変わらないじゃん」 「・・・な・・・何言って・・・」 「夏衣の趣味って奴は一貫してるからな、どこから引っ張り出されたのか知らないけど」 「・・・―――」 「・・・お前も俺と一緒だよ」 唇が動く。ゆっくりとした動作で、京義は紅夜の腕を放した。紅夜は途端に膝から崩れそうになった体を支えた。腰砕けになるような美しいものを、はじめてみた。そうしてその美しいものは、自分も同じだという。そんなことがあるか、あるはずがない。 「・・・京義も・・・やったら、家族いいひんの?」 「せやからナツさんに引き取られたん・・・?」 京義は答えなかった。本当に夏衣の親戚かと聞かれたらそれは、閉口するしかない。好きで居るわけではない、と京義は言ったけれど紅夜は「プラチナ」が好きだった。あんな風に誰かに、両手を広げて歓迎されたことなんてなかった。ここに居ても良いのだとはじめて思った。誰も何も強制しなかった。誰の抑圧もなかった。けれど京義は違ったのか、何か。 「・・・俺は好きやで。「プラチナ」もナツさんも皆も」 「・・・京義はそうやないの・・・?」 京義のその美しい容姿に影を落とす、その哀しさの正体に手を触れた気がした。

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