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ナイフとフォーク Ⅰ
右手にナイフを持って、左手にフォークを持って、さて頂きますか。
「・・・頂きます・・・」
「どうしたんだよ、染。元気ねぇなー・・・」
「だって・・・一禾が・・・」
「あぁ・・・はは」
どんよりとした暗い顔をしている染は、コンビニで買ったサラダを一つ、広げているだけだ。これではダイエット中のOLと何一つ変わらない。その向かいでキヨはこれまたコンビニのパスタをくるくるフォークに巻き付けて、食べている。先刻一禾は電話が掛かってきて、この場所から居なくなってしまった。染はプラスチックのフォークを銜えて、一禾の行ってしまった方を見つめた。
「相変わらず、ラブラブだな、お前ら」
「・・・何がらぶらぶだよ。一禾は俺のしんゆう!」
「はいはい」
『しんゆう』を強調する染に、キヨは苦笑いだ。その親友が居なくなってしまうと、染は随分落ち着きが無い。これでは恋人同士というより、親と放っておかれた子供のようだ。キヨが染に始めて会ったのは、中学3年の頃だった。その時だって一禾の側から離れようとしなかった染は、その幼さを残した顔をいつだって悲痛に歪めていた。物凄く綺麗な人間だな、と思った記憶だけがキヨにはある。
「・・・それより、どうよ、レポート。進んでる?」
「んー・・・まぁまぁ・・・?」
「その調子じゃまた徹夜だなー・・・」
「そーゆーキヨだって全然じゃねぇか」
「なに!俺は・・・だって・・・―――」
キヨが言い訳を考えていたその時、キヨは唐突に顔を強張らせた。いきなり黙ったキヨを不審そうに染は見ている。と、突然肩を叩かれた。ゾクっと背筋から染にしか分からない信号が流れて、それが脳まで届く。染は嫌に俊敏な動作で立ち上がって、後ろを振り返った。
「やほ、染じゃん。ご飯食べてんの?」
「・・・―――!」
思ったとおり。キヨは染が叫びだす前に、その口を手で塞いだ。染が暴れる。手を離せばすぐに逃げ出すだろう。目からぼろぼろ涙が零れてくるまで、時間は全く掛からない。キヨは素早い動作で染を反転させ、ぎゅうと前から抱きしめた。そうすれば、顔は見えない。
「ちょ、ごめん、ね!何だか、染・・・気分悪い・・・みたいで、さ!」
「―――――――!」
「えぇー?大丈夫?染?」
「しんぱーい」
「――――――――!」
「ご、ごめん!また今度!」
キヨが必死に笑顔を取り繕ったその時。
「ねぇ」
振り返る、そこには爽やかな笑顔の一禾が立っていた。いつの間に帰ってきたのだろう。キヨの腕の中で、染は暴れるのを止めて、今度はぶるぶる震えだしている。こうなれば、もう少し時間を置けば元に戻る。染の背中をキヨは一禾に注意を向けながら撫でた。
「・・・あ、一禾じゃん」
「久しぶりー」
「染ちゃんよりさ、ね、俺と遊びに行こうよ」
「うん、いくいく!」
「じゃぁまたねー、キヨ!」
「お・・・おう・・・」
毎度毎度、一禾は凄い。こちらに一度、染ちゃんを頼むよ、と目配せして一禾は両手に花でまた行ってしまった。折角帰って来たところなのになぁ、とキヨはそれを見ながら苦笑いを浮かべる。染がようやく正気を取り戻し、キヨは染を元のように椅子に座らせ、自分もパスタの前に座った。
「・・・目、痛い」
「大丈夫か?染―・・・」
「どうなったの?キヨが追い払ってくれた?」
「いや、一禾が来てさ」
「・・・一禾が・・・」
「はい、ティッシュ。でも、アイツ凄いよなぁ」
「・・・」
「毎度毎度、頼もしいけど」
「・・・キヨも見習えば?」
「お前が体質直せよ」
そうやって二人で目を合わせて笑う。半分はひっくり返ったサラダと、もう冷めてしまったスパゲッティ。二人の昼食が再スタートした。染はいつだって一禾に感謝している。一禾に引っ張って連れて来られなかったら、多分ここにもいない。そしてキヨにも感謝している。染のことをこうしてちゃんと理解してくれている人は少ない。だからそういう人を少しでも大事にしようと染はいつだって思っている。まぁ、それ以上に迷惑を掛けることが多いのだが。ティッシュで目頭を押さえて、考えるのはそんなこと。
「一禾、帰って来るかな」
「・・・あの様子じゃぁなぁ」
「・・・」
「お前が引け目に感じることねーだろー?」
「・・・んなこと言ったって・・・」
「大体、一禾楽しんでんじゃん」
そう。一禾は染を支えながら生きているわけだが、染とは違って一禾は女の子が大好きである。アレだけ囲まれていても、にこにこ愛敬を振りまいていられるのはその為だ。染にとってはおぞましいことかもしれないが、普通の男性、キヨからしてみれば羨ましい、の一言に尽きる。人生、一度で良いからあんな風に囲まれ、きゃあきゃあ言われたいものである。
「まぁ、そりゃそうだけどさ・・・」
「そうだよ」
染はキヨの言葉に苦笑いをして、サラダと一緒に買ったカフェオレにストローを差し込んだ。あんな風に囲まれて、いつだって遊び放題。本当に羨ましいことなのに、染にはそれが分からない。でも、本当はそれで案外良いのかも知れない。壁画のような美しさは、そういうものの為にあるのではないのかもしれない。
「・・・なんて」
「・・・?」
これではやはり染が可哀想過ぎるか。
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