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ナイフとフォーク Ⅱ
その日の夜、一禾は帰ってこなかった。染は談話室のソファーで目を覚ました。隣のガラスのテーブルに、昨日読んでいた経済流通に関する本が積み上げられている。変な体勢で眠ったせいで、体のあちこちが痛かった。取り敢えず、立ち上がって思いっきり伸びをする。時計をちらりと見ると、7時を少し回っている。染はもう一度ソファーに腰を下ろして、肩を回した。
「・・・ふあ・・・」
欠伸をする。どうも眠い。そういえば今日は土曜日だったか。染は携帯を取り出した。メール、着信ともにゼロ。そして携帯の曜日表示は青い。やっぱり、今日は土曜日だった。こんなに眠いなら、もう少し眠ったって文句は言われない、かもしれない。
「おはよー、染さん」
「・・・お、・・・おぉ」
一番に降りてきたのは、紅夜だった。染は欠伸をしながら紅夜に右手を上げるだけの挨拶をした。紅夜はもう服を着替えて、この分じゃ顔も洗ってきたのだろう。どうも年を重ねるごとに、寝起きが悪くなっている。もう一度肩を回した。何となく重くて痛い。
「俺、新聞とって来るわ」
「・・・お・・・おぉ・・・」
染の返事を聞いているのか、いないのか。紅夜は入ってきたばかりだと言うのに、またすぐに出て行った。染もテーブルの上の本を片付けて、後で持って上がるように一つに纏めた。もうソファーでは寝ないと決めているのに、毎度毎度同じ失敗ばかりしている。
「おはよー!染ちゃん!お目覚めかーい!」
「・・・ナツ・・・」
「染ちゃーん。談話室で寝ちゃ駄目だってアレほど言ってるだろ?」
「うん・・・でも」
「まぁ、染ちゃんは可愛いから許してあげるけどさ!」
「・・・さんきゅ・・・」
夏衣にだって、毎度毎度同じことを言われている。床に落ちた不自然な毛布と、いつもはない染の本がここに一晩中いたと言う証拠になる。もう一度伸びをして欠伸をすると、扉がまた開いて外に行っていた紅夜が片手に新聞を持って帰ってきた。
「あ、ナツさん、おはようございます」
「おはよー、今日も可愛いねー!」
「染さん、新聞」
「さんきゅ」
京義はこの分じゃ暫く起きてこない。染は新聞を広げた。インクの匂いがふっと香って、朝なんだなと思わせる。夏衣はきょろきょろと談話室を動き回り、染の肩をぽんぽんと叩いた。染は新聞を捲って、立ったままの夏衣を見上げる。ちらり、視線が交差したところで、染は頷いた。
「紅夜くん!」
「はーい、京義起こしたほうがええ?」
「・・・いや、京義は放っておこう。昨日バイトだったから、昼になったら勝手に起きるし」
「はぁ」
「それよりも今からレッツクックタイムのようだよ」
「・・・はい?」
「まぁ要するにパンでも焼いて食べよう!」
紅夜は夏衣に背中を押されて、キッチンへと向かった。染はそれを視界におさめながら、もう一ページ新聞を捲った。そう言えば、紅夜はキッチンから部屋の中を見回したが、一禾の姿が無い。いつも、一番に起きるのは一禾で、皆が起きる頃にはご飯が出来ている。その一禾が今日はいない。
「一禾さん、どないしたん?」
「ええと、一禾はねー・・・」
「まだ寝てるん?珍しいなぁ・・・」
「ちょっと出かけてね、帰ってないんだよ」
「・・・へー・・・」
「そ。だから今日は俺と紅夜くんで愛のクッキングタイムスタートだね!」
「・・・はぁ・・・」
「オイ、ナツ。変な風に紅夜に絡むの止めろよ」
「いやん、染ちゃんこ・わ・い」
クッキングタイムと言っても、食パンを三つトースターに入れて、ぎりぎりとタイマーを回せばもうすることがない。紅夜はダイニングテーブルに座って、朝のニュースを見ながらパンが焼けるのを待った。染は新聞を読み終わって、ソファーで同じく朝のニュースを見ている。夏衣はパンが焦げないように見張りながら、染から渡された新聞を読んでいる。
「染さん、染さん」
「・・・お?」
「一禾さんいつ帰ってくるん?」
「・・・さぁ?」
「え、何も知らんの?」
「うん」
「へー・・・ナツさんは知ってるん?」
「いや、俺も知らない」
「・・・ふーん・・・」
「まぁ、一禾も大人だからそのうち帰ってくるよ、そのまま、学校に行くかもしれないしね」
皆の様子が案外普通だったので、紅夜はパンが焼けるのを待ちながら、もしかしたら良くある事なのかな、と思っていた。でも何となく、あのしっかりしている一禾が誰にもどこに行くか、いつ帰るか、告げないままふらっとどこかに行ってしまうのは、何だかしっくり来ないような気がしていた。朝のニュースは、淡々と高速道路の玉突き事故を放送している。
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