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ナイフとフォーク Ⅲ
その日は随分と晴れていた。紅夜は京義と一緒に洗濯物の入ったバケツを手に抱えながら、ホテルの裏に回って干していた。「プラチナ」の生活はあくまでも共同生活、今頃染はひとりで風呂を掃除しているはずだし、夏衣は街に買い物に行っている。
「・・・一禾?」
「そう」
紅夜は何ともなしに、一禾の話を京義としていた。京義は夏衣の言ったとおり、昼を少し回った頃に起き出した。しかし昼を過ぎても一禾は帰ってこなかったので、仕方なく皆でレトルトのカレーを温めてそれを食べることになった。「プラチナ」の人間は一禾を除いて一人として、キッチンに立つべき人間ではない。下手に料理をしてみようと思うものではないのだ。紅夜の疑問に、京義はタオルをバケツの中から選別しながら答えた。
「・・・あぁ、あいつ」
「京義は何か知ってんの?」
「・・・女だよ」
「・・・へ・・・へ、へぇ!?」
「あいつ、女のところ」
「・・・い、いちかさんカノジョおったん・・・」
一番奥の物干し竿に背伸びをしてバスタオルを掛ける。紅夜はティーシャツをハンガーに掛けて、吊り下げていた。その日は随分晴れていたけれど、かなり風が強かった。京義の掛けたバスタオルが風に煽られて、ばさばさと揺れている。京義はそれを、また腕を伸ばして洗濯ばさみで止めた。
「でも・・・居てもおかしゅうはないよな。あんな綺麗で優しいんやもん」
「カノジョじゃねぇよ、セフレ」
「・・・!?」
「・・・お前何、目、白黒させてんの」
京義は何でもないようだが、紅夜はそうはいかない。口はぱくぱく、それは目も白黒する。京義はその間にも淡々とタオルを片付けていく。紅夜は自分と同じ年のはずなのに、そんなに際どい単語でもないのに、一体何を驚く必要があるのだろう。京義は不思議だった。
「・・・え、あ・・・け、いぎ・・・」
「なんだよ」
「・・・その、それ、それってあの・・・」
「・・・?」
「そそそ、それって、やっぱり・・・あの・・・」
紅夜は喋れば喋るほど、赤くなって俯いてしまった。その顔からは、しゅうしゅうと音を出して湯気が出てきそうである。面倒くさい、京義は素直にそう思った。眉間に皺を寄せたが、紅夜はこちらを見ていない。仕方なく京義は、紅夜の頭に最後のタオルを投げた。
「うわ!」
「な、何すんねん!」
ようやく、紅夜が目の色を戻した、顔はまだ赤いが。京義は紅夜から最後のタオルを受け取って、それを端っこに掛けた。これで京義の仕事は終わったが、紅夜が全く進んでいないので、仕方なく一緒に服をハンガーに通すのを手伝った。紅夜はまだ俯き加減である。
「・・・い、いちかさんって・・・そんな人やったんや・・・」
「・・・どんなだと思ってたんだよ」
「だ、だって!俺が始めてここに来た時、超優しくしてくれてんで!右も左もわからへん田舎もんに!」
「・・・」
「そ、それが・・・そんなことしてはる人や何て・・・!」
「・・・そんなことって・・・」
「も・・・もう誰も信じられへん・・・!」
「・・・仕方ないだろ、ストレス発散なんだから」
「・・・へ?」
紅夜は青ざめた顔を上げて、服を干すのを手伝ってくれている京義を見上げた。京義は相変わらずの無表情で、でも仕事はきちんと丁寧だ。ストレス、という単語と一禾は何だか結びつかない。紅夜の知っている一禾は、誰にでも優しくて時々厳しい。そうして、常に微笑を湛えた精巧に出来た顔。
「・・・ストレス・・・?」
「そりゃ、そうだろ。学校では染、ここでは俺らの面倒見て、あいつの負担って相当だと思うぜ」
「・・・そ、そんな・・・俺が原因・・・!」
「・・・アイツがこれで規律正しく生きていたら、それこそ気味悪ィよ」
そういうものなのかな、何でもないように喋る京義を見ながら、紅夜はそう思っていた。ここの人たちは皆、自分には分からないような価値観で生きているのだろう、きっと。同じだと思うことがまず間違っている。一禾のようだったら世界は七色で、紅夜には理解できないくらいに美しいのだろう。あの目で、一禾のミルクティー色のあの瞳には、世界は一体どんな風に写っているのだろう。紅夜はそれが知りたい、と不意に思った。ばさばさ、風が紅夜の手から、洗いたての一禾の服を攫って行こうとしている。
「・・・そうやったんや・・・」
「・・・染が悪いんだよ」
「・・・へ?」
「アイツがあんなだから・・・だから一禾はいつも・・・」
「・・・京義・・・?」
紅夜が不思議そうな顔をした。きっと酷い顔をしている。しているに決まっている。そんなことは分かっていた。京義の表情が、人に読み取られるぐらいに変わることは珍しいことだった。京義は舌打ちをして、洗濯物の入っているバケツに手を突っ込んだ。
「・・・け、けいぎ・・・」
「・・・なに」
「・・・も、もしかしたら・・・染さんのこと・・・」
「あぁ、嫌いだね」
「!?」
「ホント死ねばいいよ、アイツ」
「な・・・何てことゆうねん!し、死んだらあかん!」
「だって嫌いだし」
「我侭ゆうたらあかん!皆で協力して生きてかな!」
「・・・あっそ」
「何でやねん、染さんも超ええひとやんか!勉強家やし」
「・・・お前にかかれば、皆良い人なんだな」
「!?」
「俺のこと「いいひと」って言うぐらいだしな」
「京義はええひとやで!」
「・・・あっそ」
京義は軽く返事をして、軽くなったバケツを二つ、両手に持って行ってしまった。紅夜はまだ少し残った洗濯物とともに裏庭に残される。
「・・・」
何だか酷く、寂しい気持ちだった。
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