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ナイフとフォーク Ⅶ

優しいから、だいきらい。 「けーいーぎー。入るよー」 「ってゆうかもう、入ってるよー」 京義は潜っていた布団の中から顔を出した。銜え煙草に火は付いていない。こちらに気を使っているのか、もしそうだったとしたらそれは無意味だ。夏衣はいつもの黒縁の眼鏡を引き上げて、まだ布団から出てこない京義を布団の上から踏ん付けた。緩く体重がかかって、京義は眉間に皺を寄せる。そのまま素直に出てやる気にはなれなくて、もう一度布団を引っ張って頭から被った。 「一禾帰ってきたよ、ご・は・ん」 「それだけ、早く降りてこないと残しとかないよ」 夏衣の声がして、足音が消えるまで京義は布団の中で、ただ眠りを待っていた。いつもはあんなにも眠いのに、どうしてこんな時だけ眠くはならないのだろう。目さえ瞑っていれば、深い闇はいつだって自分を迎えてくれたのに。面倒臭い、こんなことを考えてへこんでいる自分が馬鹿らしい。らしくない、しかし何がらしいかと言われれば、京義は閉口してしまう。京義は思い立って、布団をばさりと払った。 「・・・」 「・・・」 すると、行ってしまったはずの夏衣とばっちり目が合ってしまった。京義は、夏衣は行ってしまったものだと思っていたので、なぜここに居るのか合点がいかない。しかし、夏衣は京義と目を合わせたまま、まるでそんなことは関係が無いかのようににこりとした。そうして嫌に俊敏な動作で、京義の両手を掴むとベッドに押し倒した。夏衣は普段へらへらとしているが、こういう時こちらがどきりとするほど手際が良い。レンズの奥で夏衣が笑う。夏衣はそれを知っている。京義のことも。 「・・・かわいい」 言うことにつけてはそれ。京義は夏衣の下でその手を嫌がって暴れた。しかし、夏衣が少し本気になって京義の手首を掴む手に力を込めると、京義は途端に静かになってしまう。 「なん、だよ」 「・・・これで何か聞く?」 薄く微笑んで、夏衣は京義の頬を掴んだ。知っている、そういう横暴は何となく知っている。京義は目を細めた。疲れる腕はもう抵抗をやめている。もう良い、何でも良い。上手く生きることは面倒だ。どうすれば良いのか、そんなことは誰も知らない。夏衣も知らない。自分だって良くは分かっていない。 「可哀想な京義、だから可愛くて、俺はお前が好きだよ」 その言葉に嘘は無いが、それ以上の意味も無い。夏衣は掴んだ頬を離して、そこに唇で触れた。涙が出るかと思ったが、自分はそんなものは持ち合わせていない。残念ながらそれを流して見せて、夏衣の同情を請うことは出来ない。京義は皺になるシーツを見ながら、ぼんやりと考えていた。 「ご飯だよ、降りておいで」 夏衣はそれ以上何もしないで、京義の手首をゆっくりと離し、何も無かったかのように自然にそう振舞って、入ってきたときと同じ要領で出て行った。夏衣は何を考えているのだろう。閉められた扉の向こうは、もう返事をしない。京義は布団を被って、今度こそ眠りに落ちるように目を瞑った。 談話室では、久しぶりの一禾のご飯にはしゃぐ一同の姿があった。染はテレビで真剣にクイズ番組のクイズに答えていたが、全く当たらない。その隣で、紅夜がばしばし正解を言い当てるのを見ながら、何だか切ない。紅夜は真剣には見るつもりもなかったが、染が余りにも不甲斐無いので、染の座るソファーの隣に座って、一禾のご飯を待ちながら、同じようにテレビのクイズ番組を見ていた。 「紅夜って時々残酷だよな・・・」 「な、何やねん!染さんが正解できひんからって俺に当たるん止めてや」 「だって俺は仮にも大学生・・・」 「あんなぁ・・・一番賢いんは高校三年の時やねんで、それ以後は学力が向上することなんてあらへんの」 「・・・へぇー・・・」 「染さんはもう2年経ってんねんから、随分落ちてるわ」 「・・・だから・・・」 「現役の俺のほうが賢いに決まってるやん」 「・・・」 「大体、そんなクイズぐらいで熱くならんでも・・・」 言い切った紅夜だったが、その隣で俯く染を見て背中をぽんぽんと撫でた。その時、扉が開いて京義を起こしに行っていた夏衣が帰ってきた。 「あ、ナツさんや」 「あれ、京義は?」 「まぁ、何だ。お腹減ったら降りてくるでしょ」 「お前何しに行ったんだよ・・・」 「あぁ!一禾いい匂いだね!今日のご飯は何かな?」 「ナツは黙ってお皿でも運んで、二人もテレビばっか見てないで!」 「・・・はーい」 「えぇ!ちょっと待てよ、紅夜!」 「デザートはキミ!なんつってね!」 「生ごみの日はいつかな」 「いやーん、一禾目が据わってるよ!」 いつも通り、そういつも通り。こうやって何事も無かったかのように過ぎていく。実際何も無かったのかもしれないなんて少し思わせて。こうやって回っていくものなのだろう。でも、完璧に元に戻るなんてことが出来るはずない。それを知っているかもしれないが、あえて知らない振り。今はまだ気が付かないほうがいい。

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