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約束しなくても
キヨは普通の大学生だった。普通に大学に行って、普段は真面目に講義を聞いて、時々サボって友達と遊びに行って。レポートの宿題は前日に眠い目を擦りながら必死に仕上げる。土日の夜はバイトに勤しみ、そのお金は服や交際費に消えていく。この間免許を取ったばかりで、車が欲しいがお金が無い。将来のことは不安だが、それ以上に今が楽しい。何処にでも居るようなごく一般の学生だった。
「なぁ、キヨー」
「なに」
「約束して」
「?」
「カノジョ、作らないって」
「・・・は?」
「約束して」
大真面目にそう言って、小指を立てるこの人間こそ、その存在すら疑わしい、見目形がどこまでも完璧な黒川染だった。キヨは時々染のこういう横暴に振り回されて、それでも何となく一緒に居る。嫌々指を絡めると染は嬉しそうに指きりげんまん、と歌いだす。
「・・・大学生がカノジョ作らないで何が楽しいんだよ・・・」
「俺にはカノジョの良さが全く分からねぇな!」
「・・・そりゃお前だけだろ」
「良いじゃん、キヨ。その代わり俺が一緒に居てあげるからさ」
「・・・お前じゃぁなぁ・・・」
でもその指は振りほどけない。キヨはそれをぼんやり見ながら溜め息を吐いた。普通の大学生活、キヨはそれに憧れていたが、多分染はそれ以上にそれに憧れているのだろう。染の隣に平穏はいつも無い。その隣に居るキヨにだっていつも平穏は遠い。
「そういうことは遊び呆けてる一禾に言えよ」
「一禾は関係無いだろー」
「いや、多分あるよ」
染だって一禾のようだったら良かった。いや、隣に居る自分はますます平穏から遠ざけられるかもしれないが、染にとってはきっとそのほうが良かった。そうすれば、きっと染はこんなに自分にべったりではないだろう。女の子の間で、きっと笑っているに違いない。
(・・・けどそれも気持ち悪いな)
染はどうなっても今のままのほうが良いのかもしれない。温室で育てられた植物みたいに、ちょっと馬鹿で弱くて美しい。染が完璧じゃないからこそ、他の人間よりむしろ劣っているからこそ、キヨは染のそういうところが可愛いと思うし、大事にしてやらなければと思う。殆ど保護者の考えだ。
「そういやさ、染はバイトしなくて良いわけ?」
「・・・ナツは別にお金欲しさでホテルやっているわけじゃないらしい」
「ナツって・・・あぁ、オーナーか」
「俺たちがあそこで生きてればそれだけで良いらしい」
「・・・何それ」
「分かんないけど。俺らナツの趣味で集められているだけだし・・・その割に一禾は良く働くけど」
「・・・」
「でも俺だって風呂とか掃除するしー」
「お前のところのオーナーって・・・」
「ナツ?」
「・・・なんだ、その・・・アレなのか?」
「アレって何だよ。ナツは変だけど別に悪い奴じゃないぜ」
だとすれば、その変な具合が問題だ。「プラチナ」に住んでさえいれば、殆ど余計なお金はかからない。多分維持費も相当なものだとは思うが、夏衣は都心のアパートを考えるとタダに近い金額しか皆から徴収しない。そうして多分、紅夜なんかはその事実すら知らない。京義はバイトをしているが、そのバイト代の行方は皆知らない。一禾は欲しいものは自分では買わない主義だし、特に物に頓着の無い染は、一禾が自分用に買ってきたものに囲まれて生活をしている。そして、その財源は勿論一禾ではない。紅夜は学校のお金は免除されているし、親戚の夏衣に迷惑を掛けるような浪費はしない。
「俺も住みたいな・・・プラチナ」
「キヨは多分無理だと思うけど」
「・・・何で」
「だってキヨ普通だし」
「・・・それはどういう意味だよ・・・」
「俺どうこうじゃねぇよ?ただ・・・ナツが」
「・・・」
「そ、そう!ナツの嗜好とは別なんだよ、キヨは」
キヨは普通であればそれ以上は要らないと思っていた。染や一禾の異常さは自分が一番良く分かっている。だからこその選択。普通に学校行って、普通に友達と遊んで、普通の彼女がいて。そういう生活に憧れた。そういう生活をするものだと思っていた。
「・・・約束するよ」
「え?」
「約束する」
普通の生活とは決別しよう。どうせ自分は元に戻れない。思えば中学の入学式、一禾の隣の席だった頃から微妙なずれは生じている。大人になったらまた平穏は自分のところに戻ってくるのだろうか、それもどうかな、キヨは考えながら、染の完全に作り物のような横顔を見つめた。
「染が言うなら、染が言うだけ、約束するよ」
「・・・裏がありそう」
「俺は、一禾みたいに優しくないし」
「優しいと思うけどなぁ、充分」
「煽てても何も出ねぇぞ」
「嘘じゃないって。俺なんかと付き合ってくれる人は皆、優しいと思う」
そうやって染は時々、横暴にキヨを振り回して、寂しい顔をして笑う。俯いて少し、寂しい顔をして笑う。
「約束するよ」
本当は約束なんかしなくても、分かってくれる日が来れば良いなと思いながら、その時は多分潮時だとも思っている。染のきらきらしたものは、幾ら精巧の人形のようでも、それだけは本物だと思う。染のものだと思う。肝心なことは伝わり難い。いっそのこと絡めたその指先から伝わったら良いのに。淡いブルーが細められる。
「キヨ、俺のことどう思ってる?」
「え?」
「俺のこと好きでいてくれる?」
君が俯いて寂しく笑うその正体。いつか教えて欲しいけれど、話すのが辛いなら知らなくてもいい。キヨはそれに答える代わりに、小指に力を込めた。約束する。約束する。
側に居てくれる代わりに、約束する。
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