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享楽だけが人生か Ⅰ

それは酷く唐突にやって来た。紅夜がいつものように染に渡す新聞や、夏衣に渡す郵便類を見に行っているときだった。その中に妙な封筒があった。いつもはダイレクトメールばかりなのに、茶色の封筒に達筆の文字で「白鳥夏衣様」と書かれている。持ち上げると心持ち重い。紅夜はそれを不審に思ったが、夏衣宛の郵便をまさか破って、中を見るわけにはいかない。紅夜はいつもの新聞とダイレクトメール、それにその茶色の封筒を持って「プラチナ」の中に入って行った。京義はまだ上で眠っているのだろうか。 そうして、それから一週間が過ぎた。やはり、物事はある日突然起こるのである。その日、紅夜が京義を起こして下に降りていくと、一禾と染はソファーに座って、夏衣を見上げていた。大学生の二人は今日講義が無いらしい。夏衣はというと、何故かスーツを着込んでいる。 「・・・お、はよう、ございます」 「お、はーよー!紅夜くん今日もベリーキュートだね!食べちゃいたいぐらいさ!」 「ナツ、セクハラだよ」 「おおっと!俺は一禾も好きだよ。何言ってんの」 「二人は学校あんのか、大変だなー」 「ナツさん、何でスーツ着てんの、どっか行くん?」 「あは、カッコいい?ね、カッコいい?」 「ナツも黙ってりゃそれなり何だけどね」 「・・・これだからな・・・」 「やだ!一禾、褒めないでよ!照れるじゃん!」 「・・・で、何なの。スーツ着ちゃってさ」 京義のネクタイは相変わらず曲がっている。結び方も間違っている。紅夜は意識が朦朧としている間に京義のネクタイを結んでやる。いつものことであった。染も一禾も学校に行かないので、いつもよりだらだらとしている。その中で夏衣だけが若干、いつもと違う。 「ふふ、知りたい?」 「・・・別に。じゃぁご飯にするか」 「待ってましたー!」 「・・・」 「ちょっと!ちょっと待ってよ!」 「何でやの、ナツさん。何や大事な用事?」 「実家に帰るのだ!」 皆いっせいにぽかんである。 「さ、ご飯食べよ」 「京義寝てんとご飯だけ食べて行きや」 「・・・ふぁ」 「あ、一禾しょうゆ取って」 「はーい」 「ちょっと待ってよ!何さ、皆して!」 夏衣だけが食卓につかずに泣き真似をするが、他の皆はそんなことを見ても居ない。京義は話を聞いているかどうかも怪しいし、一禾は朝食と高校生二人の弁当の用意に忙しく、染と紅夜は用意された朝食に目を輝かすことに忙しい。夏衣だけが置いてけぼりである。 「何さって・・・実家に帰ることがそんなに重大事由には思えないけど」 「そんなこと言って、俺が居なくて寂しくないの!皆!」 「全然」 「むしろせいせいだよ」 「そ・・・そんな・・・!」 「・・・っていうか、何で実家に帰るのにスーツなんだよ」 「そりゃまぁ、ちゃんとしとかないとね」 「ふーん・・・」 「多分怒られるんだよなぁ・・・」 黒いスーツに黒いネクタイ。正装というか、行き過ぎてまるで喪服のようである。薄茶色の髪を歳相応に切れば良いのにだらだらと伸ばしていて、若干肩にかかるぐらい、筋の通った鼻は高く、睫毛の一本一本まで薄い茶色。目は薄い赤色、珍しくピンクに近い色をしている。夏衣はその色があんまり好きにはなれなくて、それを隠すように黒縁の眼鏡をかけている。夏衣は黙っていれば一禾の言うようにそれなりに見えるのだが、喋りだすとこれなので完全に性格で損をしている。 「この歳になってまだフリーターだからいい加減就職しなさいとか何とか・・・」 「!」 「?」 「・・・ふぁ・・・」 「・・・な、ナツさんって・・・フリーターやったん!」 「え、あ、そうだよ。何だと思ってたの?」 振り返って夏衣が言うのに、紅夜が声を潜めた。 「知ってたん?一禾さん」 「まさか、初耳だよ」 「ここのオーナーって仕事じゃねぇのか・・・」 「っていうかあの性格でどこの企業が雇ってくれるんだよ」 「一禾さんそれは言い過ぎや・・・」 嗜めるように紅夜が言う。 「・・・あーあー・・・面倒くさーい!一禾一緒についてきてー」 「嫌に決まってるでしょ」 「ひどい!」 夏衣はまた泣き真似をするが、勿論、皆は見ていない。 「実家って京都のほうなん?」 「うん、そー」 「せやったらよろしくゆうといてください」 「おっけー」 「あ、そっか。紅夜はナツの親戚に世話になってたんだっけ」 「俺の親戚でもあるんやけど・・・」 「俺の居ない間に皆喧嘩しないようにね!」 「はーい」 「戸締りには気をつけてね、皆可愛いから!」 「分かったよ」 「うん。じゃぁ皆!行ってくるよ」 「いってらっしゃーい」 大袈裟なスーツケースを引っ張って、そういうわけで夏衣は朝から出掛けてしまった。残された「プラチナ」の住人は何も無かったかのように朝食を食べ始めた。

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