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僕たちの失敗
カーテンの無い教室の窓際に、椅子を引っ張り出して座っていた。ここは風通しが良くて、少し窓を開けるとグランドの声が遠く聞こえる。座っている椅子は何となく古くて、教室にある椅子とは少し勝手が違うが、昔はこれを使っていたのだろう。ぎしりと椅子の背もたれが鳴る。耳を澄ませて、窓のサッシに手をかける。空は少し汚れていて、空気は余り良い味がしなかった。
「今日も豪勢だな」
ピアノを弾いていた京義がぽつりとそう言って、紅夜は少し笑った。誰も使っていない第4音楽室の机は皆後ろに追いやられていて、後ろの扉からは中に入れない。紅夜の鞄はその追いやられた机の一番端っこに置いてあった。その側に積み上げられた手紙の束。
「・・・せやって、なぁ京義」
「なに」
「俺のどこがええんやろ」
「・・・さぁ」
「女の子の考えることは昔からわからへんわー・・・」
「・・・」
紅夜はそう言って、くるりと体を反転させた。昔からこうだったのか、まぁ仕方ない。京義から見れば紅夜だって充分綺麗な顔をしていた。昔からそういう環境に置かれていて、ちやほやされていたとは思えないが、夏衣が引き抜いただけのことは充分ある。京義はその困った横顔を見ながら、ピアノを引く手を休めない。前髪がふわふわと浮く。気が付かないのは紅夜のその性格に問題がある。
「俺なんかより京義のほうが綺麗やのに・・・」
「別に顔云々で選んでないだろ」
「そうなん?」
「そうだよ」
「・・・せやったら何、俺のほうが性格ええとかそんなん?」
「・・・直球だな、お前。ホントに性格いい奴のすることか?」
紅夜は知っている。優しくした覚えなんかいつもないのに、当然のことをしているのに、いつも女の子は目を輝かせて、紅夜くん優しい、と口々にそう言うのだ。どんなに優しくされていないのだろう。紅夜は一番上の封筒を取って、余り上品とはいえない方法で封を切った。
「京義は貰わへんの?」
「俺が?まさか」
「・・・そうなんやー・・・ますます分からん」
「分かるだろ、俺なんか恋愛対象にしないよ。賢い奴はさ」
「・・・そうかなぁ」
「・・・」
「俺から見たら、京義はすっごい男前やのに」
「・・・」
京義は知っている。紅夜の良いところは多分、こういうところ。自分みたいに捻くれてなくて真っ直ぐで、嘘の無いところ。別に全員からの賞賛が欲しかったのではない。だからと言って、ひとりの理解が欲しかったのではない。だけど時々、そんな紅夜が羨ましかった。
「付き合わねぇの?」
「・・・え?」
「何驚いてんだよ」
「い、いやぁ・・・京義がそんなこと言うとは思えへんかったから・・・」
「・・・どういう意味だ」
「・・・でも俺、好きってどういうことか良くわからへんねん」
「・・・」
紅夜は持っていた封筒の中から便箋を取り出して、それを端から綺麗に破っていった。小さくなった欠片が、風に吹かれて飛んでいく。それがどういうわけか酷く綺麗に見えた。伏せた紅夜の目の辺り、それがどうにも大人っぽくて、言っているその台詞と不適合をおこす。
「そら好きやって言われたら嬉しいよ。でもな、皆俺のことなんてよう知らんくせに」
「無責任に好きやって言う」
「ホンマの俺のコト知っても同じ風に思ってくれるかなって思ったら」
「それは何か違うんちゃうかなぁって・・・」
きらきら、ぱらぱら。京義は黙っていた。紅夜は別に、京義に意見を求めているわけでもなさそうだ。ピアノの音だけがしている。ここは涼しくて、自分たち以外誰も居なくて。紅夜は手紙を千切る手を休めない。本当の紅夜のこととは一体何だろう。それを知ったらどうなるのだろう。京義はピアノを弾いていた指をぴたりと止めた。
「・・・京義?」
「らしくないな、相原」
「せやなぁ、俺かてそう思うよ」
「・・・分かってるじゃないか」
もう一度、同じところからやり直し。京義は指を戻してさっきの曲を弾き直した。紅夜の手の中には半分残して後は破られた手紙。完全に出来上がったものを完全にその通りに奏でる指を持つ人は、完全な美しさも持っている。京義は少し俯いて、紅夜は少し天井のほうを見ていた。
「京義は」
「・・・?」
「好きな人とか・・・おるん?」
「・・・」
指は相変わらずの速さで回転しているし、和音に乱れは全くない。左手と右手の指を同時に違うように動かして、それは一つの曲になる。音楽のことを紅夜は良く分からなかったし、京義だって余り知らない。だけど何となく心地良いのは事実だ。
「・・・居たら?」
「・・・」
否定するものだと思っていた紅夜は、吃驚して京義のほうを向いた。京義は相変わらず、少し視線を落として熱心に鍵盤を叩いている。少し目の前が揺らいだ。
「・・・なに」
「・・・いや、・・・別に・・・」
ずきっとした。ずきっとしていた。紅夜は口元を思わず隠した。これは何だろう。この気持ちは何だろう。揺れる白い髪は美しく光る。
(何やろ・・・吐きそ・・・)
これは何だろう。この痛いのは何だろう。早く誰かが自分を迎えに来て、ここから出られれば良いのに。そうすればこんな気持ちはすぐに無くなる。罪悪感だろうか。千切った手紙の端切れを、それ以上細かくするのは止めにした。誰かが助けてくれるって、やっぱりちょっと思っていた。
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