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戦うことが望みなら Ⅰ

昔何かあっただなんて、そんな意味深なことを言って同情を乞うのは止めよう。そんな風に優しくされてもただ虚しいだけだし、結局淋しいのは自分ひとりだから。どうせひとりになるこの部屋から、逃げ出すのは止めよう。ひとりになるためにこの扉を閉めたのに、隙間から漏れて困るんだ、声。 「嫌だ!もう学校なんて行きたくない!」 「何言ってんの!そんな子どもみたいなこと言わないで!」 「嫌だっつったら嫌だ!」 「じゃあ行かなくてもいいよ。でもそれで染ちゃんどうするの」 「・・・う!」 「大学中退で働くわけでもないんでしょ、ここにずっと居るわけにもいかないし」 「・・・ナツ・・・」 「なぁに、俺を巻き込むの。染ちゃん」 「ナツはちょっと黙ってて。いい?染ちゃん。今時高卒じゃどこの企業からも雇って貰えないよ。大体大学も行けない染ちゃんが働けるわけないよね」 「・・・うぅ・・・」 「分かったら準備するんだよ。早く!」 口論では一禾に敵うはずがない。一禾は勝利の笑みを浮かべて、まだ黒のジャージ姿の染に着替えるように促した。染は仕方なくのろのろとソファを立ち上がったが、どうしてもやっぱり今日は嫌だ。行きたくない。一禾は早く早くと染を追い立てる。最後の手段として、テーブルに座って朝食は終わったというのに、まだクッキーを食べている夏衣の背中に助けを求めた。 「ナツ!」 「何だい、俺の可愛い染ちゃん」 「こ、ここに居てもいいよな?俺・・・掃除もするし洗濯もするからさぁ!」 「良いよ、染ちゃん。こんなに可愛い染ちゃんのお願いだ。好きなだけいなさい・・・」 「やたー!ホラ見ろ!一禾!」 「染ちゃん!ナツも!いい加減にして!大体ナツが甘やかすから、染ちゃんが調子に乗っちゃうんだよ!」 「えぇーだぁって染ちゃん可愛いんだもん!」 「煩いよ!それじゃ染ちゃんの将来はどうなるのさ!」 「就職先は俺のお嫁さんでいいんじゃない?」 「 馬鹿なこと言わないでよ!それじゃぁ嫌でしょ、染ちゃん!」 「・・・う、うーん・・・」 「 染ちゃん、しっかりして!ナツの嫁だよ嫁!何て恐ろしい響き!」 「一禾・・・それは流石に俺も傷ついちゃうよ・・・?」 「っていうか、もう時間だし!染ちゃん!」 「ナツ・・・俺のこと一生大事にしてくれる・・・?」 「うん。大事にしないわけないじゃないか。染ちゃんはこんなに可愛いのに」 「あぁ、もう!勝手にしなよ!俺行くからね!」 「いってらっしゃーい」 夏衣がひらひらと手を振ったのに、一禾はその美しい眉を引き攣らせて、乱暴に扉を閉めた。元々綺麗な顔をしているだけに一禾のそんな顔はとても恐ろしかった。そこで染は夏衣の手を離して、ソファに戻ってそこに寝転がった。夏衣はクッキーをまだ食べている。一禾の言うことはいつも正論で、だからこそとても気分の悪い話だ。そんなことは分かっていた。言われなくても十分に分かっていた。 「・・・さんきゅー・・・ナツ」 「良いけど。あんまり一禾に心配かけないようにしなよ。あんなに染ちゃんのことを思ってるのは、一禾ぐらいなんだからね」 「・・・うん、それは分かってる」 「でもまた、どうしたの」 「いやー・・・昨日女の団体に囲まれて・・・キヨ居なくて失神しちゃってさぁ・・・」 「・・・それは・・・災難だったね・・・」 「もうヤダよ、嫌すぎる。俺なんで大学行ってるんだ・・・」 「大丈夫だったの?」 「うん、まぁ一禾が助けてくれたから・・・何とか」 「明日は行くんだよ」 「嫌だ・・・何で女なんて生き物が世の中に・・・居るんだ・・・絶滅しろ!」 「人類が絶滅するよ、染ちゃん」 「人間なんて・・・死んだらいいんだ・・・」 「・・・まぁ、俺もあんまり女の子得意じゃないから、染ちゃんの言い分は分からなくはないんだけどねー・・・」 絶滅すれば良いのに、染はまた呟いて、夏衣はそれに苦笑いを浮かべる。染時々こうやって子どものように嫌がって、外に出なくなる。その時々はいつも前日か、それに近い日に何かあった時のことで、一禾はその度に染を学校に連れて行こうとするし、染はその度に頑なにここに残ることを主張する。夏衣が巻き込まれることは殆ど毎度のことで、結局誰もが諦めている。 「・・・大学なんて・・・行きたくなかったのに・・・」 「それにしては染ちゃん勉強熱心だね」 「勉強は一人で出来るから、あんなでかい建物要らないんだよ・・・」 「まぁ、それもひとつの正論だね」 「・・・一禾怒ってた・・・よなぁ」 「怒ってたねぇ、一禾怒ると怖いからねー・・・」 「ドSだしな・・・」 染はそう呟いて乾いた笑いを立てた。昔、染のその幼い記憶の中では、一禾はもっと優しかったような気がする。でもその頃から、いつだって一禾は正しかった。悲しくなるほど、一禾はいつだって正しい形をしていた。どうしてどうしようも無い自分のために一禾があんなに一生懸命なのか、染は今でもよく分からない。 「染ちゃんはアンニュイな顔が似合うなぁ」 「・・・え?」 「可愛い」 「・・・」 夏衣の言うことはいつもそれだ。染は口の端だけで、夏衣の言葉を笑った。その言葉には呪われてしまっている。染はソファの中できゅっと小さくなった。 「ナツは俺の顔好きなの?」 「顔だけじゃないけどね」 「・・・俺はキライ」 「どうして?」 「嫌なことしか無かったし」 「そうかなぁ。皆染ちゃんのこと可愛がってくれたでしょう?」 「くれたよ。でもそれだけ。良いことなんて無かった、だから俺はキライ」 顔だけじゃなかった。夏衣がそう言ったように、染は自分ことが好きにはなれない。その長い指の端から、呪われているのだろうと感じて仕方が無い。 「でも俺、ちょっと分かるよ」 「・・・」 そういうの、そう言って夏衣は少し笑った。

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