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戦うことが望みなら Ⅱ
「え、それやったら染さん今日は家におったん?」
「うん、そうだよー、まぁあの子が外に出ないのはいつもの事だけどね」
「何やー・・・最近調子よう行ってると思ってんけど。なぁ、京義」
「・・・」
「まぁそれは良いんだけどさ。一禾が怒ってレトルトのカレーしか作ってくれなかったのは計算外だったね」
「流石に染さん驚いてたもんなぁ、こっちはええとばっちりやで」
「・・・謝って許して貰えてれば良いんだけど」
「あー・・・それで今謝りに行ってんねや」
「いや、でも一禾が許すかな」
「喧嘩になってへんとええなぁ・・・」
「・・・」
紅夜は溜め息を吐いて天井を見上げた。二階、そして二人が居るだろう三階は静まり返っていて、取り敢えず今のところ怒鳴り声は聞こえていない。京義は先刻まで染が寝転がっていたソファーにすっきり収まって、寝息を立てていた。話を振っても返事をしないのは当然である。
「だから御免ってば!」
「・・・」
「・・・うう・・・一禾・・・なんだよ・・・」
「本当にそう思っているのかどうか怪しい」
「マジだよ、マジマジ!ホントに御免!」
「っていうか俺に謝っても仕方ねーみたいな」
「・・・じゃあどうすれば・・・」
「はぁ?知らないよ、そんなこと。自分で考えれば」
「・・・一禾の鬼・・・」
眉を引き攣らせたまま、一禾は奥にあるベッドに腰を降ろして、側にあった雑誌をぺらぺらと捲り始めた。染はこの部屋に来てから、硬いフローリングに正座をしているせいで痺れてしまった足の甲を摩った。恨めしそうに一禾のほうを見ても、一禾はこちらに背を向けていて全く染のほうは見ていない。
「じゃあじゃあ、俺はレトルトでも良いからさ。せめてナツと紅夜と京義にはちゃんと作ってやれよ、な?」
「・・・染ちゃんは優しいね」
「!?」
「でも駄目。大体ナツは加担者だから問題外」
「!!」
「っていうか、話が根本からずれてるからやっぱり問題外。もっと頭使いなよ。脳みそ入ってるんでしょ」
「・・・ひ、・・・酷い・・・」
「酷いのはどっち。俺が親切で言ってあげているのにさ」
「・・・だ、だって・・・俺・・・」
「なに。言い訳があるなら聞くよ。聞いてあげる。染ちゃん昔から言い訳だけは上手だったもんねぇ?」
「・・・も、もう良いし!一禾の鬼!ドS!」
「あぁ、そうだよ。だから染ちゃんのことも許してあげないし、これからご飯はずっとレトルトだ」
「!!」
「分かったらもう出て行っていいよ」
がっくりと頭を垂れて、染はその茶色いフローリングをただぼんやり眺めていた。一禾はそういう意味では、ここでの一番の権力者である。一禾が居なくなると困ることが山のようにあるのだから、いかに夏衣がいい加減か、いかに自分たちが一禾に頼りきって生活しているか、窺い知れる結果になる。一禾に逆らったって一禾と口論したって、その先の現実は見えているのだ。
「・・・うう・・・っ」
「泣いても駄目」
「ひど!こっちは泣いて頼んでるのに!」
「あぁそう。じゃあ俺も今朝泣けば良かったの。そうすれば染ちゃんは学校に行く気になった?」
「・・・それ・・・は・・・」
「ホラね、駄目。帰りなさい」
「・・・い、ちかのばかー!」
「馬鹿でいいよ」
「れいこく!おに!ひとでなし!」
「・・・馬鹿すぎて頭痛いよ、染ちゃん」
その時、一禾の部屋の扉がとんとんと叩かれた。一禾は呆れた顔のまま立ち上がり、返事をした。どうせ誰かといってもホテルの住人なのだ。扉が開かれ、そこから顔を覗かせたのは紅夜だった。夏衣だろうと思っていた一禾は少し驚き、まだ眼に涙が溜まっている染は、救世主とばかりに目を輝かせた。
「紅夜・・・!お、俺の危機を感知して・・・」
「染ちゃん煩い。紅夜くんどうしたの?」
「い、いやぁ・・・どうなってんのやろうなぁって・・・」
「紅夜!ヤバイんだ、このままじゃ俺たち一生レトルト食わされる羽目になるぞ!」
「染ちゃんのせいでしょ」
「こんなに頭下げて謝ってるのに許してくれない一禾が悪い!」
「逆切れ?性質悪いなぁ、もう」
「 ま、まぁ一禾さんも染さんも落ち着きぃや」
「落ち着いてるよ、煩いのは染ちゃんだけ」
「俺は謝ってるだけじゃんか!」
これでは埒が明かないのも頷ける。紅夜は呆れたが、取り敢えず染を宥めて座らせた。来て良かったのかどうか分からなかったが、案外にも良かったのかもしれない。一禾の眉間にはいつもは無い皺が寄っていて、やっぱり怒っているのだろうと、一禾でも怒ることがあるのだろうと、紅夜はそんな当然のことを何だか不思議に感じていた。
「なぁ一禾さん、染さんも反省してるみたいやし、もう許してあげたら?」
「・・・」
「そうだよ!一禾!紅夜だってそう言ってるし!」
「・・・」
「もうちゃんと学校行くやんな?染さん」
「行く行く!行きます!」
「ホラぁ、一禾さん!」
「一禾!」
「・・・仕方ないなー・・・」
「やたー!」
「・・・紅夜くんのお陰だよ。次は無いからね」
紅夜と染は笑顔で勝利のハイタッチ。さっきまで泣いてすらいたのに全く都合が良い。そんなふたりを見ながら、一禾は不本意な気持ちのまま溜め息を吐いた。いつだって厳しくしているつもりだった。だからこそまだまだ、自分は染に対して甘いのかもしれない。
「喜ぶのは早いんじゃないかな、染ちゃん」
「え、なに。今更無しとか無しだからな!」
「分かってるよ。でも条件がある」
「え?」
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