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戦うことが望みなら Ⅳ
夏衣は少し笑っていた。一禾はそれが気に食わない。夏衣は安い匂いのするコーヒーを側に、今日もビスケットを齧っている。クリームのサンドされているカロリーの高そうな食べ物。プロポーションを気にする一禾は、それも気に食わない。京義も紅夜も結構平気で食べているので、談話室にはいつも夏衣のお菓子類が転がっている。一禾はそれにいつだって呆れて溜め息を吐いている。
「・・・はぁ・・・」
「そんなに心配なんだったら、無理強いすること無かったのに」
「・・・別に心配なんか・・・」
「あぁ、そう?そうには見えないけどねー・・・」
「・・・」
あぁ、本当に。食えない男だとその背中に一禾は舌打ちした。大体、完成されて計算された自分の食事の一体どこが気に入らなくて、あんなものを一日中食べているのだろう。夏衣のことは良く分からない。良く知りたいと思ったことも無い。一禾はまた溜め息を吐いた。
「これ見よがしに舌打ちしないでよ、傷付くなぁ」
「そんなに食べると太るよ」
「太らないもーん。俺は一禾とは違うの」
「・・・あぁ、そ」
「一禾は食べるとすぐ太っちゃう体質だもんね。運動しないとすぐ筋肉落ちるし」
「・・・仕方ないよ。俺は染ちゃんとは違うもの」
「何それ、どういう意味?」
「俺は綺麗でも格好良いでもない」
「・・・」
「ただ人よりそう見せるのが上手いだけだ」
染の完璧さは誰から見ても、確かにそうあるべくしてあるものだった。一禾はその側に居ながらいつも同じことを考えていた。そうあるべくしてあるものにはいつも勝てない。努力は才能には敵わない。白熱灯の光が眩しい、一禾は目を細めた。知っている、染はそんなことを言われるのを嫌うし、そんなことを思ったことなんて多分一度も無い。思って勝手に僻んでいるのは染の周りの人間だけだ。
「そうかなぁ」
「そうだよ、ナツは染ちゃん寄りだよね」
「・・・初めて言われた・・・」
「ナツは染ちゃん寄りだよ」
「俺は死ぬことばっかり考えてないけどねー・・・」
「・・・」
笑った夏衣、読めない男、一体何を考えているのか、見えない瞳。一禾は照明に目を戻して、息を吐いた。
「ねぇ、ナツ」
「なに」
「俺のことどうしてプラチナに呼んだの」
「・・・それは、一禾が綺麗で可愛いからだよ」
夏衣はきっとそう言う。それだけの言葉しかそこには用意されていないから、自分がどんなに傷付いた表情をして見せたって、夏衣はきっとそう言うのだろう、分かっていた。テーブルの夏衣を見上げると、夏衣はこちらを見ては居なかった。透明のレンズの奥の瞳は、薄い桃色をしている。
灰色の建物。染はその前でもう30分はうろうろしている。こうしている間にも時間は過ぎて、汗はだらだら流れる。ここで本当に良いのだろうか、ひとりで来て大丈夫だったのだろうか、染は色んなことを考えすぎてやっぱり動けない。今日はどうしてこんなに暑いのだろう。どこか涼しいところにでも避難したいけれど、ひとりでは怖いし、倒れたときに助けてくれる人は居ないし、帰りたいけれど帰ったらきっと一禾は怒るだろうし。
(・・・死にたい・・・)
染はもう一度灰色の建物を見上げて、半ば呟くように思った。ぐるぐると考えは螺旋を描いて、もう染はその中を行ったり来たりしている。就職出来なければ一体どうなるのだろう、暮らせなければどうなるのだろう、プラチナにずっと居たらその先の未来は一体何色だろう。
「あのー・・・」
「!?」
「もしかして、上月さんの紹介の・・・」
染は30分ここに留まりああでもない、こうでもないと考えていたので、流石に不審だったのか。いつの間にか、染の側には茶髪の青年がひとり立っていた。男と分かっても染の心臓は煩く鳴っている。落ち着けと叫べば叫ぶだけ、また煩く帰ってくる。倒れそうに頭が痛い。
「ですよね?案内しますからどうぞ」
「・・・あ・・・」
「暑いでしょ、中入ってください」
「・・・」
青年が灰色の扉を開ける。そこから涼しい風が吹いてきて、染は有難う御座います、と言おうとして言いよどんだ口元を押さえた。思ったように言葉が出てこないのは、いつものことである。一禾がスタッフは男の人にしてくださいって言っといたから、と言ったのを今になって思い出して染は少し安心した。青年の後ろに続いて、地下に続く階段に下りる。染は深く被っていた帽子を取って、パタパタと仰いだ。取り敢えず涼しいのが救いである。
「あ、そういえばお名前・・・」
「・・・あ、俺・・・あの、黒川・・・?」
「・・・!?」
「そ、・・・染です・・・」
男は階段の途中で振り返り、染の顔をじっと見つめた。一体何事だ、染は静まっていた心臓が、再び煩く泣き叫ぶのを聞いた。名前が可笑しかったのだろうか、確かに染というのはあんまり聞かない名前で、良く聞き返されたりするので、染は名前については少しコンプレックスに思っていたのだが。
「・・・あ、の・・・なに・・・」
「・・・」
「あ、・・・いや、なんです・・・か?」
「・・・すげぇ・・・」
「・・・は?」
「・・・凄ェマジ凄ェな!アンタ!」
「・・・な、なにが・・・ですか・・・」
あぁ、もう泣きたい。
「竹下さんに言わなきゃ!すっげ、上月さんも凄かったけどアンタ別格だな!」
「・・・一禾・・・」
「えっと、名前なんだっけ?」
「黒川・・・」
泣きたいどころか帰りたい。
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