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不幸になるよ Ⅶ

「・・・知ってたの・・・?」 「・・・ーーー」 窓の外には木の影が見える。紅夜は昨日の教室に行こうと言った。有紀はどうして、と言ったが、紅夜はここに来たいと思った。此処でしか話せないと思ったし、それ以上に他の場所で話してはいけないような気もしたのだ。そういう観点から見ると、この教室は案外にも選ばれた場所だったのだ。有紀は机から降りて、真っ直ぐ紅夜を見ていた。その鋭い眼光はいつも、同じように光っている。それが揺らいで、だから悲しかった。 「何のこと?」 「・・・しらばっくれるの、知ってたんだろ・・・?」 「・・・有紀ちゃん」 「だから俺にそんなこと言うんだろ・・・?」 「有紀ちゃん、聞いて」 「・・・なんだよ・・・」 紅夜は言葉には出来ないと思っていたし、有紀は言葉にして貰わないと困った。木の影がさわさわと揺れる。熱いのに風だけは吹いているのだ、外。紅夜はそれを見ながら、殆ど別のことを考えていた。昨日見た一禾の残酷な横顔、もしかしたら自分は今、同じような顔をしているのかもしれない、横から見たら。 「知らへん」 「・・・」 「俺は何にも知らへん」 「・・・薄野だろ」 低い声だった。また外は揺れている。肩にかけた鞄の中身が多すぎるせいで、ずしりと食い込む。紅夜はどうして京義の名前がここで出てきたのか分からなかった、だから黙っていた。有紀はゆっくり顔を上げた。眉を顰めて、有紀は少し笑っていた。何が可笑しいのか分からない。 「・・・」 「・・・相原、お前薄野のことが好きなんだろ」 「・・・え?」 思わず聞き返すと、有紀は更に口の端を歪めた。 「そうだよ、大体相原が薄野なんかと一緒にいるのがおかし・・・――――」 有紀が言い終わらないうちに、紅夜は曇りガラスのついた扉を思いっきり殴っていた。ガァンとそれは派手な音がして、教室中にびんびんと響き渡った。びくりと有紀は体を固めて、その表情はさっと曇った。握った拳が痛かった。紅夜はそれをゆっくり降ろして、肩で息を吐いた。 「・・・御免」 「・・・え?」 「大きい音立てて御免な」 「・・・あ・・・」 「でも俺、やっぱり京義のこと悪く言う奴とは付き合われへん」 「・・・」 「せやから、御免な」 「・・・ーーー」 紅夜はそうして、にこりと笑うと何事も無かったかのようにするりと扉から出て行った。そんなことは全く思っていない顔を、一瞬した。もうここにあの時の緊張感も何もないけれど、あれは一体誰の顔だったのだろう。俯くと泣きそうだったから、ぎゅうと手を握って考えないことにした。紅夜の言葉の意味も。 あぁ、分かっていた、分かっていたさ。それで傷ついたらそれでも良いと思ったんだ。 紅夜は真っ直ぐ5階の第4音楽室に向かっていた。今日はピアノの音がしないから、京義はそこにはいないのかもしれないと思ったけれど、居なくても良かった。会いたい気分でもなかった。顔を見たらきっとまた余計なことを言ってしまう。京義はそれを気にしたりはしないだろうけど。 「・・・ーーー」 ゆっくり音の無い教室の扉を開けると、京義はそこにいた。窓際に机を並べて、その上で眠っていた。紅夜はほっとしていた。京義が眠っているのは珍しいことではない。紅夜は扉を閉め、扉の側に座った。鞄を下ろして、下から京義を見上げる。 (・・・何ちゅうこと言うねん) 京義はただ眠っていた。意識はどこかに置いたまま、酷く穏やかな表情で眠っていた。京義は多分寝ているときが一番幸せなのだろうと、その顔を見ながら分かる。だから紅夜は起こせないで、京義が起きるのを暫くそこで待つことにしていた。 「・・・ーーー」 京義は綺麗だ。確かに綺麗だ。そこで目を閉じて眠る京義は、確かに美しい輪郭をしている。だけどそれだけだ。京義は良いところばかりではないし、悪いところもある。食事をしながら眠るし、肝心なことは言わないし、努力も好きではない。紅夜は知っている。紅夜の知らない京義のほうが多いことだって、知っている。 (・・・大体、京義は男やねんで、そんなんホモやないか) 美しく眠るその人からは目を反らして、紅夜は蹲ったまま、教室の汚れた床を見ていた。知っていた、分かっていた、でもそれを口に出すのは憚られた。彼の気持ちだったから、大事な気持ちだったから。勝手に暴いて、勝手に壊してしまった。その美しく光る気持ちの名前を。 「・・・相原?」 「・・・」 呼ばれて顔を上げると、京義は机の上で起き上がっていた。太陽が眩しいから、カーテンを閉めてくれれば良いのに、紅夜は思った。でもこの気候の中京義は汗なんてかかないで、涼しい顔をしている。その眉が少し寄って、眉間に皺が出来た。 「どうした?」 「・・・え?」 「何で泣いてるんだ」 「・・・え・・・?」 知らない振りをすれば良かった、分からない振りをしておけば良かった。彼の大事な気持ちを壊す権利なんて、誰にも無かったから。 「あ・・・ホンマや・・・」 有難うでも御免でもない。それが一番正しい答えだと思った。

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