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王子は黒馬に乗って Ⅱ
「話がある」
「・・・どうしたの、一禾。顔が怖いよ」
「座って」
「なに、告白ならもっと楽しそうにして欲しいなぁ」
「そんなんじゃないし、座ってよ。良いから」
「そんな思いっきり否定しなくても良いじゃん・・・」
夏衣はいつもの調子で茶化したように言うと、一禾の指定した夏衣のいつも座っている席に腰を降ろした。一禾は手を拭くと、エプロンを取って夏衣の正面の椅子を引き、そこに腰を降ろして、隣の椅子にエプロンをかけた。そんな話ではないことぐらい、重々に分かっていた。だからこそ、夏衣は笑っていたかった。結局、夏衣のそれは防御線だったのだ。そうでしか有り得ない。
「なに、ふたりっきりでお話なんて怪しい響き」
「・・・ふたりっきりとは言ってないけど」
「でも現にそうじゃーん、染ちゃんのことも追いかけなかったし」
「染ちゃんは後で何とかするから大丈夫だよ」
「俺もそうしてくれると有り難いけど」
「だったらもう染ちゃんに絡むの止めてよ」
「だーって染ちゃんかぁいいんだもん!」
「だもんじゃないよ・・・」
一禾は呆れた声でそう漏らした。染も染だ。何度も何度も同じようなことをされている癖に、一々反応して見せるから夏衣を喜ばせる結果になる。染だってそれは分かっているらしいが、一禾はどうも染が本当に分かっているとは思えなかった。一禾は一度溜め息を吐いて、背筋を伸ばした。こんな話をしたいのではない。夏衣に乗せられていたら、出来る話も出来なくなる。
「ナツ」
「なに?」
「脱いで」
「・・・え?」
「聞こえなかったの、脱いで」
「・・・や、やだ・・・一禾の旦那こんなところで・・・」
「誰が旦那だよ!脱ぎなよ、良いから!」
「ええー・・・俺が下なの?まぁいいけど、時々代わってよねー」
「違う!ホントにそんなことしかないの、頭の中」
「じゃあ何だよ・・・は、まさか俺の裸の写真をネタに恐喝・・・!」
「・・・夏衣」
「一禾が変なこと言うからじゃーん」
「・・・ーーー」
時々一禾はそういう目をする。鋭い目だ。見透かされている気がして、夏衣は時々それから逃れるための嘘を吐く。それに捕まってはいけないのを知っていた。そうしてその時、一禾は夏衣の嫌いな目つきをしていたのだ。夏衣はそれに黙って、シャツを脱いだ。一禾は暫く何も言わなかった。
「・・・あんまりじーっと見ないでくれる?恥ずかしいじゃん」
「へー・・・ナツに羞恥心なんてものがあったなんてね」
「何それ、どういう意味?」
「・・・痩せたね」
「え?」
「何か、はじめて会ったときより、ナツが小さくなってる気がするんだけど」
「・・・何俺、この歳でもう縮んでんの、怖!」
「そうじゃなくて、変だと思った。痩せたね、随分」
「・・・そ、そうかなぁ?普通だと思うけど・・・」
「何で?ナツ結構食べるほうだよね。俺もバランス考えてるつもりなんだけど」
「いや、一禾の料理はいつも美味しいよ」
「その上間食ばっかりしてるから、太ってもいいぐらいなのに、何で?」
「・・・いやぁ、何でかなぁ?俺に聞かれてもねー・・・」
「それにあんまり顔色も良くないし」
「え、そうかなぁ、そんなことないよ」
「・・・」
「一禾は心配しすぎだよ。俺のことより染ちゃんのこと考えなって」
「うん、それは考えてるけど」
「酷!何それ!」
唇をこれ見よがしに尖らせながら、夏衣がふざけているのを一禾は良く分かっている。今度は一禾が渋い顔をするのに夏衣はにやりと口元を歪めると、持っていたシャツを元のように着直して、椅子から立ち上がった。
「じゃ、俺お風呂入ってくるね」
「うん、分かった」
何事も無かったように、夏衣は談話室を出て行った。いつも通り、いつも通り。いつも通りだっただろうか、本当に。一禾は行儀悪いと思っていたが肘を突いて、ひとつ溜め息を吐いた。真っ白い夏衣の肌は、鎖骨なんかは浮くようでその形がはっきりと分かって、何だか少し怖かった。
「・・・はー・・・」
夏衣はあんなことは言わない。いつもだったらあんなことは言わない、多分。一禾は心配しすぎだよ、なんて言わない。可笑しいとは思ったけれど、特にどうすることも出来なかった。でも夏衣はひとりの大人だ。一禾が思う以上にひとりの大人なのだ。何だかそれを認めるのは癪だけれど、そう思う他はない。
(食べるほど痩せる体質・・・?変なの)
夏衣がそう言うのだから、それ以上は何か言うのは止めよう。夏衣は一禾に聞いたことがない。染がどうしてあんな風になってしまったのか、聞いたことがない。興味がないのか生まれつきだと思っているのか、聞かないでいてくれるのか、どれも性質が悪くてどれでも嫌だ。特に最後のは嫌だ。けれど、それで助かっているような気もする。染はきっと自分のことなど話す気はないから、きっとそれで助かっている、で間違いはないのだ。
夏衣がそんなことを一切合財全て分かって、それでいて何も聞かないでくれているのなら、こちらも聞く権利はないのだろう。一禾は時々、いつだって誰かのことばかり考えている自分に嫌気が差す。談話室の電気を消して、フォローをする為に染の部屋に向かった。途中、ポケットに入れていた携帯が音をたて、一禾に着信を伝えた。一禾が慣れた所作でそれを開くと、女の子の番号、一禾は躊躇わずにそれに出た。
「もしもし」
「・・・―――」
風呂に入っていた紅夜が、出たのは先刻のことで、夏衣が代わりに入ると言って出て行ったのも先刻のことだった。だからその時階段下を、寝間着代わりのシャツとジャージで紅夜が通ったのも、考えれば当然のことだった。見れば、一禾が階段の途中で誰かと話している。
「・・・一禾さん?」
「分かりました、今すぐ行きます」
「・・・?」
ぱちりと携帯を閉じて、一禾がぱっとこちらに振り返った。少し眉間に皺が寄っていた。しかし、一禾はその顔をぱっと綻ばせて、紅夜の肩をぽんぽんと叩いた。
「俺ちょっと出かけてくるね」
「え?こんな遅うから?」
「うん、ちょっと呼び出し食らっちゃって」
「・・・いってらっしゃい」
一禾は振り返らずに、右手だけを上げて見せた。
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