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白のボヌール
ぴんと張った白いタオルが、右端から順番にきちんと掛かっている。染はそれを見ながら、僅かに頷いた。青いバケツをふたつ持って、裏庭から表に戻ってくる。暑いが今日はべたつく暑さでもなかった。表では紅夜がその少し段になっているところに箒をかけていた。
「おー、紅夜」
「何や、染さんもう終ったん?」
「うん、さっき。やっぱ俺って天才だなー・・・」
「・・・は?」
「洗濯物干す天才?今日も完璧な仕上がりだぜ・・・」
「・・・あぁ、そうなん・・・相変わらず可哀想な頭やなぁ・・・」
「!?」
「はー・・・京義もう起きたんやろかー・・・」
染は紅夜の正直且つ辛辣な言葉をしっかり真に受け、しょぼくれたように肩を落とすが、その隣を紅夜は平然と掃いていく。プラチナは洋館で、その壁全てが白い色をしている。突き出たエントランスの奥には、自動扉。そういえば紅夜がここにはじめてやって来た時、一禾に会ったのはここだった。高級車から出てきた一禾の隣には、美人がひとり座っていた。
「何か懐かしいなー・・・」
「・・・え?」
「俺ここで一禾さんに会ってん、はじめて」
「へー・・・」
「もうアレから結構経つもんなー・・・」
「紅夜ってなんかさ、ずっと前からいる感じだよな」
「え?」
「この間来たなんて信じられねー・・・」
あぁ、そうか。紅夜は染のその出来すぎた横顔を見ながら考えていた。ここの人たちが挙って優しいのは、きっとそういう思いからだろう。紅夜は箒をその場所に置くと、染の隣に座った。はじめて見たとき、染みたいな美しい人が居るものだと思って吃驚した。
「でも染さんって見掛け倒しやもんな」
「・・・は、いきなり何・・・」
「こんな綺麗な人、一体どんな人何やろう!・・・って俺も始めはときめいたわ」
「・・・」
「でもフタ開けて見たらこれやもんなー・・・」
「・・・紅夜それ・・・普通に酷・・・」
「酷いんはどっちやねん。俺のときめき返しぃや」
「・・・ご、ごめん・・・」
俯いて染は、だって仕方ないじゃん、と泣き言を漏らす。少し苛めすぎたかなと思ったが、それよりも掃除が中途半端だったことのほうが気になっていた紅夜は、箒を取り立ち上がった。空は遠く高く青く澄み渡っていて、今日は抜群の良い天気だ。染の干したらしい洗濯物も、この様子ではきっとすぐ乾くだろう。紅夜は箒の端でまだいじけたままの染を突いた。
「ほらぁ、染さん。暇なんやったら手伝って」
「・・・別にそういうわけじゃ・・・」
「・・・ええねんで、染さん」
「うん?」
「俺染さんがそういうんで、良かったって思ってるもん」
「・・・そういうって・・・如何いう・・・」
「やからまぁ、何ちゅうか」
「・・・?」
「多少人間的に終ってても・・・」
言いながら紅夜がちらりと染のほうを見やると、染はぶるぶる震えながら、眼に涙を溜め込んでいた。冗談の通じない染は、時々面倒だ。そんなことを思いながら、紅夜は半ば本気だったが。だってそういう風に思うのだ。これで染が人間的に出来ていたら、そのほうが好きにはなれない気がする。
「いやぁ、だから・・・」
「・・・も、もう紅夜なんて嫌い、だし!」
「あぁ、そう・・・」
「・・・いや、別に、嫌いって言うのはその・・・」
「・・・あぁ、ホンマ」
「!」
「・・・面倒臭いなぁ、染さんって」
「め、面倒臭いって、言った!」
「言うわ、面倒臭いもん」
「・・・酷ぇ!」
顔を覆う染に、紅夜は少し笑った。楽しかった何もかも、何もかもだ。泣きたいのはこちらのほうだ。太陽が眩しくて空が高い。それだけで今日は良い日だろうと思える。そうして眠る頃には、今日は良い日だったと思うのだ。染が恐る恐るといった具合に顔を上げて、紅夜はその視線にもう一度笑って見せた。
「でも俺は染さんのこと好きやで」
「・・・そ、そん・・・だって・・・え」
「染さんがしょうもないことで泣いたりすんのもええと思う」
「・・・」
「面倒臭くて手の掛かる子どもでも、俺はそのままの染さんが好きやし、素敵やと思うよ」
「・・・ば、・・・ばか!」
「・・・は?」
「スキとかそういうことは、安易に口にしたら駄目だろ!」
「・・・」
「な、ナツが悪い・・・アイツが悪影響を・・・」
「俺は皆のこと好きやで」
「・・・みんな?」
「うん、染さんも一禾さんもナツさんも京義も」
「・・・」
「皆優しいから、皆好きやで」
ただそれだけの感情を向けられた先で、染はただ俯いていた。何だか寂しい気がした。言葉にしてはいけないような、そんな感情だ、それは。名前もつけて呼んじゃいけない。紅夜は知らないのだろう。与えられたことがないからきっと、分からない。
「俺も好き」
「・・・染さんは一禾さんだけやろ」
「い、一禾もだけど皆好きだし、良かったって、思ってる、し」
「・・・ふーん」
「紅夜ぁ・・・」
「まぁ、ええけど」
好きだと容易く言える唇で、紅夜は何だかその時、それ以上を言い淀んでいた。俯く染のその綺麗に作られた横顔を見ながら、何と言うべきだったのか考えていた。誰かに伝えたいこのことを、幸せなのだと叫びたい。空は高くて太陽が眩しいそれだけのことが、ただ。
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