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僕とエミリー Ⅱ

一禾はポットを握り締めて、夏衣早く帰って来いよ、とただひたすらそう思っていた。紅夜をまさかこの女とふたりにするわけにもいかずに、ここを動くことも出来そうにない。その時、がちりと扉の開く音がして、一禾は喜びの余り勢いよく振り返った。 「ナツ・・・―――」 「あ、京義起きたん?」 「あぁ・・・一禾・・・何か食うもんねぇ?」 「・・・今用意するよ・・・」 「?」 しかし、扉を開け談話室に入ってきたのは、上で眠っていたはずの京義だった。一禾はがっかりして肩を落とすと、それだけ義務のように漏らしてキッチンに入っていった。前後の分からない京義は、ただそんな一禾に首を傾げることしか出来ない。 「京義、京義」 「あ?・・・何だよ」 「こちら、ナツさんのお客さん」 「遊楽院桃というものよ。貴方も挨拶なさい」 「・・・変な名前」 「!!」 「!?」 「・・・ぶっ!」 流石京義である。欠伸をしながら何事も無かったかのように、椅子に座ると目の前にあった雑誌をぺらぺら捲り始めた。紅夜とまさかそんな対応をされると思っていなかった桃は、二人して唖然としている。キッチンで昼食だったピラフを温めながら、一禾は噴出してしまった。 「・・・くく・・・」 「ちょ、京義!何ちゅうこと言うねん、失礼やろ!」 「知らねぇ、煩ぇし」 「そこの銀髪!私に向かってその口の聞き方は一体何なの、こちらに来て謝りなさい」 「謝りや!一禾さんも!」 「え・・・えぇ?」 「笑ったやん!」 「だ、だって・・・!」 「早く!今ならその無礼も許してあげなくはないわよ」 「一禾、飯は?」 「御免ねー、もうすぐだよ」 「ちょ、ちょっと二人とも!」 紅夜だけが桃を気遣って、二人に謝罪を促すが、京義は完全に無視を決め込んでいるし、いつもは大人の対応の一禾でさえ、緩んだ頬はそのままである。桃はそれを見てかなり憤慨した様子だったが、二人が何も言わないのを見ると、すとんとソファに座り直してしまった。 「もう宜しいわ」 「・・・え?」 「所詮、低能ということよ。それが女性に対する態度かしら、呆れるわ」 「・・・す、すいません・・・あの、ホントは皆・・・いいひとなんです・・・」 「君の対応だって随分だと思うけど」 「ちょ、一禾さん!?」 「あら、赤毛、私に意見するとはいい度胸ね」 「俺は大体赤毛とかいう名前じゃないし、客ならそれらしく振舞ったどうなの。図々しいよ、君」 「な、何言うてんねん!」 「あら、ここは夏衣さんの家なのよ。住まわせて貰っている身分の癖に偉そうなことを言うのね」 「住んでるのは俺たちなんだよ。ナツとどういう関係か知らないけど、いきなりやって来てそれは無いんじゃない」 「ふたりとも落ち着きや!下らんことで言い争ってもしゃーないやろ!」 「ただいまー」 遂にキレた一禾と、桃の間に立って、紅夜は必死だったが、京義だけはいつものように喧騒の外で、一禾の温めたピラフを食べていた。そしてその時、ようやく夏衣が帰ってきたが、全員が全員、目の前のことに意識を捕らわれていたので、夏衣に気付いたのは京義だけだった。 「・・・あれ、けん・・・―――」 「あぁん!夏衣さん!」 「え?」 「あ」 「・・・」 「ど、どうしたの?何で居るの?」 「お会いしたかったですわ!お元気そうで何よりです!」 「・・・え?」 「お帰りなさいませ」 「け・・・―――」 夏衣の声はほぼ桃の声によって掻き消されて、それを聞くものはいなかった。一禾はまだ怒りが収まっていない様子で、それをじとっと見ていた。紅夜は夏衣の帰還で、桃の意識が一禾から反れてほっとしていた。すると突然再び何か言おうとした夏衣の首に腕を回し、桃は背伸びをしてその唇を自分のそれで塞いだ。 「!!」 「!?」 「・・・!」 流石にこれには大抵のことでは微動にしない京義も、目の前で交わされる熱烈なキスシーンに、ただ言葉も無く目を見開いていることしか出来なかった。桃は夏衣から腕を離して、そうしてにこりと微笑んだ。それは紅夜の言ったとおり、フランス人形そのままであった。 「桃はずっと夏衣さんをお慕いしております」 そう言うと桃はその唇に微笑を浮かべたまま、ぼんやりと立ち尽くしている夏衣の胸に寄り掛かった。先刻とは随分対応が違うではないかと、瞬時に冷静に戻っていた一禾はその時それを遠くから白い目で見ていた。余りにも桃が奇抜で一禾の守備範囲外だったら、柄にもなく慌ててしまったが、こんなことだろうとは思っていた。しかし一禾がこれ見よがしに溜め息を吐いても、夏衣は暫く微動にせずにそこに突っ立っているだけだった。結局夏衣がそれに反応したのは、何テンポもずれてしまった後だった。 「・・・あぁ、うん、何だ、そうか。御免ね桃ちゃん」 「いいえ!分かってくださればそれで結構ですわ」 「・・・な、ナツ・・・さん・・・」 「あ、皆。御免ね、急に」 「・・・じゃ、じゃなくてその・・・その・・・そ、それ・・・」 「ああ、うん。桃ちゃんは俺の・・・―――」 「桃は夏衣さんの恋人ですわ」 「・・・やっぱり!?」 「ねぇ、夏衣さん。そうでしょう?」 「・・・うん、そうだよ。桃ちゃん」 流石夏衣である。こんな女と付き合うのも、夏衣だから許されそうなことである。手を握り合った二人に、もうどうでも良くなった一禾だったが、キスなど見たことが無かったのだろう、可哀想に紅夜は真っ赤になってぶるぶる震えていた。

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