69 / 302

僕とエミリー Ⅲ

桃と夏衣が部屋に帰ってしまうと、談話室には黙々とピラフを食べ続ける京義と、深刻な表情でテーブルに座ったまま動かない紅夜と、どっと疲れた一禾だけが残っていた。一禾は桃の飲んでいたカップを洗って、ポットの中身を片付けてしまうと他にすることも無くなって、珍しく空いているソファに座った。 「・・・なぁ、一禾さん・・・」 「え?なに?」 「・・・その・・・やっぱりあの人外国の人なんやろうか・・・」 「うーん・・・どうだろ、そうかもねぇ。目鼻立ちの感じからすると」 「・・・せ、せやったら・・・その・・・人前でキスとか・・・挨拶・・・?」 「いや、多分アレは違うと思うけど・・・」 「何やもう・・・もう大人なんて・・・!」 「こ、紅夜くん・・・」 酷く絶望的にそう言い、机に突っ伏してしまった紅夜の背中を、ソファに座っていた一禾は、立ち上がって撫でた。しかし、あれは夏衣が悪いのではないと思うが、夏衣にもやはり問題がある。自分は良いとしても、紅夜や染には良い影響とは言えない。そこまで考えて、一禾は不意に紅夜の正面に座っている京義に目をやった。 「京義・・・」 「・・・なに」 「・・・あの、それ、読んでる?」 「あぁ、何だよ」 「・・・逆だけど・・・」 京義の捲っていた雑誌は、面白いように上下逆だった。京義は一禾に言われてそこでようやく気付いたようで、慌てて雑誌の位置を元に戻した。すると肘にピラフを食べていたスプーンが当たって、スプーンが落下して床に当たり、自棄に大きな音を立てた。 「・・・」 「・・・どうしたの、京義?」 「・・・別に・・・寝る」 「え、寝るの?さっき起きたばっかり・・・」 スプーンを拾って、テーブルに戻すと京義は、一禾の声を振り払うように談話室を出て行ってしまった。あんな風貌だが、やはり京義も高校生なのだろう。一禾はそこまで考えると、ちょっと楽しくなってしまった。いつもはぼんやりとしていて何を考えているのか分からないけれど、キスくらいで慌てる京義は何だか可愛かった。 夏衣は自分の部屋のソファに座って、煙草に火をつけてそれを銜えていた。夏衣は余り煙草を吸わない。でもこのきつい匂いに癒されたいときがあって、時々思い出したようにそれに火をつけた。依存者よりもより依存しているようで、夏衣は結局、煙草の側は離れられない。すると後ろから夏衣の首にするりと腕が絡みついた。誰であるかなんて知っている。この部屋には元々二人しかいない。桃はぴたりと夏衣の頬に自分のそれを寄せた。 「元気?」 「・・・うん、元気だよ」 「吃驚した?」 「うん、した。凄い吃驚した。賢司(ケンジ)くん」 「ダセェ本名で呼ぶんじゃねーよ」 「あぁ、そう。拘るねぇ、桃ちゃん」 夏衣はそう言って煙を吐き出した。桃、もとい賢司はにやりと笑うと夏衣の首から腕を離して、大きく回ると夏衣の隣に腰を降ろした。夏衣がぽんぽんと灰皿に灰を落して、もう一度銜える。賢司は緩く巻かれた長い金髪を指で弄って、思い出したようにピンクの総レースのスカートを摘んだ。 「見ろよ、これ。俺特注なんだぜ」 「うん、凄いね。どうなってんの?」 「知りたい?」 「知りたい」 「脱がしたい?」 「脱がしたい」 「はは、お前相変わらずだな。元気そうで何よりだよ」 「賢司くんも相変わらずだね、まだ続けてるの。桃ちゃん」 「まぁなー。ホラこれも、腕のいい美容師雇って作らせたんだ。すげーだろ」 「うん、凄い。本物?」 「まさか。ズラだっつーの。でもこれ、良くない?」 「へー・・・本物みたいだねー・・・」 「如何よ、桃ちゃん、抱きたくなるだろ?」 「別に。賢司くんだったら抱きたいけど」 「・・・お前は真性だよなぁ・・・桃ちゃんの可愛さがどうしてわかんねーかな・・・」 「賢司くんは何か物凄い勘違いをしていると思うよ」 「はぁ?何だよ。あぁ、畜生。つまんねー」 賢司はそう言うと、金髪のそれを強く引っ張った。ずるりとそれは頭から外れて、賢司本来の栗色の髪の毛がそこから顔を出した。こうして見ると、賢司も男に見えないことは無い。如何せん首から下は随分な服を着ているせいで、その外見のアンバランス感は拭えないが。 「皆には言わないほうがいいの?」 「え?」 「桃ちゃんは、本当は賢司くんっていう男なんですって」 「あぁ、いい、いい。面白いだろ」 「そうかなぁ」 「いいなぁ、ここはいい男ばっかで」 「でしょ」 「な、俺もひとりぐらい食ってから帰ってもいい?」 「だめ。大体賢司くんは俺の恋人なんでしょ・・・?」 「恋人は桃ちゃんだろ。俺は違う」 「何それ、詐欺だよ」 「お前も何で賢司のほうがいいんだよ。桃のほうが断然可愛いだろうが」 「だって俺真性ホモだし」 「あぁ、そうだよ。知ってるよ」 賢司は呆れたように手を振って、ガラスのテーブルに足を乗せた。隣で夏衣は煙を燻らせている。そうして二人して黙っていると、此処は随分静かだった、賢司は人工的な光に目を細めた。隣で夏衣は何をするわけでもなく、ただじっとして、時折煙を吐き出すだけだ。 「なぁ、夏衣」 「なに?」 「お前、ホントに元気か?」 「・・・元気だよ」 夏衣は薄く笑って煙を吐き出した。

ともだちにシェアしよう!