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飛ぶ夢を暫く見ない Ⅴ

染の瞳は薄いブルーをしている。はじめてそれを見た時、異国の血だと誰もが口々に言った。だけど染の母親も父親も黒い目の日本人だった。またその母親も父親も日本人だった。必死で探してもそこに別の血など流れていないのだろうと、鏡を見ながら思った。整い過ぎた容姿は時々染の周りの環境を、染の周りの人たちを歪ませた。どうして人間はこうも醜い生き物なのだろう。引き攣る女の顔を見ながら、染はその整い過ぎた容姿を少しも歪ませることなく思ったものだった。 「あー!!」 「え?」 「・・・」 「ず、ずるい!ずるい紅夜くん!」 「え、なに」 「自分ばっかり染ちゃんといちゃいちゃしちゃって!俺だって、俺だって染ちゃんに膝枕してあげたい!っていうか寧ろして欲しい!」 「・・・どっちやねん」 「京義と交換して!」 「・・・俺はお前のものじゃねぇ」 ばたばたと音がして、上から夏衣が降りてくると談話室はいつもの騒がしさを取り戻していた。京義は流石に今まで眠っていたこともあってなのか、さっぱりした顔をして、夏衣の後ろで興味無さそうにそう反論していた。紅夜は眠ってしまった染をどうすることも出来ず困っていたが、夏衣がこの状況を打開してくれるわけでもなさそうである。むしろ夏衣に任せると掻き回して更にややこしいことになりかねない。 「・・・疲れたんやって、寝かせてあげようや」 「疲れた?・・・あぁ、ひとりで出かけたからね」 「・・・一人で出かけた?」 「あぁ、そうやで。京義!染さん今日ひとりで出かけてんで!」 「そんなこと俺に嬉々として話されてもね」 「でも頑張ったやん!進歩やん!」 「そうだよー、京義も褒めてあげなよ」 「ひとりで出かけたぐらいで大騒ぎしている方が可笑しいだろ、二十歳にもなって恥ずかしいと思わねぇのか」 「・・・た、確かに・・・」 「紅夜くん何納得してんのさ」 「でもそうや・・・今思えばそうや・・・」 目を閉じて眠る。呼吸していなかったら、精巧に出来た人形だ。長い手足に小さい顔、よく出来た人形だ。その時、皆そう思って、静かに眠っている染の姿を見ていた。出来すぎて気持ちが悪いと、でもそれ以上に言葉も無いくらいに美しいと、思っていた。 「・・・慣れないね」 「うん・・・慣れへん」 「何の話」 「染ちゃん、京義もそう思わない?」 「・・・」 「ずっと一緒に居たら、このきらきらにも慣れるかと思ってた。でもまだ今でも驚くよ。この子こんなに綺麗だったっけ?って、思う」 「・・・」 「俺も、俺も思うよ、ナツさん」 「やっぱり?多分このままずっと慣れないんだろうなぁ」 夏衣は懐かしそうにそう言って、目を細めて笑った。ずっとだとか、そういうことを言って欲しくはなかった。何だか突き放されているみたいで、とても悲しかったから。慣れることはなく、続いていく羨望と憧憬、欲望と嫉妬。見下ろすその景色の中で、染は何も知らない。何も知らないで眠っている。その頬を殴って起こすべきなのか、それとも違うと言ってやるべきなのか、考えたけれど分からなかった。それに、そんなことに一体どれほどの意味があるのかも分からなかった。 不意に談話室の扉が開いて、一禾がそこから顔を出した。それにいち早く気付いたのは京義で、紅夜と夏衣はまだ染の寝顔を飽きもせずに眺めていた。京義と目が合った一禾は、一気に眉間に皺を寄せた。全く一禾は染のことになると常識と我を同時に忘れる。 「ちょ、ちょ!何やってんの!」 「あ、一禾さん」 「一禾、おかえりー!」 「こ、紅夜くん!?ナツじゃなくて紅夜くん!?」 「え?」 「血は争えないねぇ・・・」 「そ、そんな!信じてたのに!」 「ちょ、待ってぇや!違うって!ナツさんと一緒にせんとって!」 「うわー普通に傷付く」 「染ちゃん起きて!ここは変態の巣窟だよ!」 「・・・んー・・・?」 眠っている染の肩をがくがく揺らして、一禾は悲壮にそう叫ぶように言った。紅夜は泣くように弁解をしていたが、誰もそんなことを聞いちゃいない。勿論、夏衣の言葉もだ。京義は呆れて、床に放り出された一禾が買ってきたらしいコンビニの袋を拾ってテーブルの上に置いた。 「・・・?」 「な・・・なに?いちか・・・?」 「ごめんね!俺がひとりにしたばっかりに・・・!」 「だから違うんやって!話聞いてぇや!」 「・・・なんだ、俺、寝てたのか・・・」 「とっても可愛い寝顔だったよ、染ちゃん。紅夜くんと二人で堪能しちゃった」 「違う!俺は違うねん、染さん!」 どうして黙っていることが出来ないのだろう。京義は溜め息を吐いて、ビニール袋の中を漁った。何か食べるものがいい加減欲しかった。しかし、そこには京義の欲しいものはなく、代わりに一冊の雑誌が出てきた。一禾は雑誌一冊買うために出かけていたらしい。表紙は妙な薄い色の髪をした男が、ソファーに座ってこちらを見ている。一禾が好きでいつも買っている雑誌とは違う。よく談話室に置きっ放しにしているので、京義も何度かそれを見たことがある。一禾はまだ煩くしているので、京義は勝手にそれをぱらぱらと捲ってみた。 「・・・あ」 「え・・・?なに?話が読めないんだけど・・・」 「荷物を纏めて出て行きます!」 「それは待ってよ!一禾!俺の花園を奪う気かい!」 「一禾・・・何で怒ってんの・・・?」 「ハナゾノって何さ!染ちゃんをそんな奇怪なものにしないでくれる?」 「大丈夫!一禾も俺の花園だから!」 「尚悪い!」 染が笑っている。何がおかしいのか知らないが笑っている。その顔色は今までにないくらい健康的で、髪も奇妙に跳ねている。長い手足に黒い服がよく似合う。捲っても捲っても、立ったり座ったりして、染は笑っている。綺麗とはどういうことか、それは知り尽くした顔だった。一禾はこれを買いに行っていたのだ。結局敵わないのだろうと思い知らされる。ちらりと視線を向けた先で、染は眠気の抜け切らない顔でぼんやりと一禾を見上げていた。

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