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足らない言葉よりも

空気は暑いままだったが、徐々にその内に秘めた季節の変わり目の予感を、時々だが落していくことがあった。それを拾い上げるごとに体感温度が下がっていく。何日か前から大声で言われていた台風が来る予定の空は、青く澄み渡っていて今日も良く晴れている。 「・・・そういやぁさ」 屋上で食べていても雨の予感が無い。紅夜はぼんやり食い違う空の色を見ていたが、嵐が突然口を割ったので視線を元に戻した。フェンスに凭れかかって目を擦っている京義は、今日も病的に眠そうである。その銀色の髪の間から、更に良く分かる銀色の鉱物が見えて、紅夜は嵐の金髪の奥に目をやった。どちらの方が多いのだろうと、考え出す頭。そういえば数えたことなどなかった。 「薄野、頭良かったんだな」 「え?」 きらきらと鉱物が光って、紅夜にその存在を知らしめる。京義は指に銀色などを纏わない。ピアノを弾く指は真っ直ぐ素直に伸びていて、爪もきちんと揃えられている。それが怠われた様子を紅夜は一度も見たことが無い。そうして多分、そんなことなどこれまでなかったのだろう。しかしその指がシャープペンシルを握っているところも、実は余り見たことがないのだ。 「何で嵐が知ってるんや・・・」 「だって掲示板に載ってたぜ。8位だった」 「え!」 まさかそこまでとは思っておらずに、紅夜は失礼にも驚愕の声を上げ、眉を顰めながら睡眠を貪る京義を見やった。しかし京義はそこで紅夜の視線などには全く動じる気配を見せずに、フェンスに凭れるのを止めて、持ってきた鞄に頭を固定し、コンクリートの上で丸くなった。無意識でも体が痛いのであろう。がさごそと落ち着き無く動き、痛くないポジションを探しながら、それでも目だけは頑なに閉じられて起きる気配は無い。嵐はそれに視線を遣って、仕方がないといった風に苦笑いを浮かべた。 「テストの時はちゃんと起きてたんだろうな」 「・・・ウチの学校ってホンマに頭ええんやろうか・・・」 「何言ってんだよ、今更」 「・・・けど、嵐が15位で、京義が8位なんやろ・・・?」 「オイ、お前それ暴言だぞ。俺はこう見えてもちゃんとやってんの!」 「・・・授業中殆ど寝てるくせに・・・」 「教師が悪い!」 先刻までの京義の重みを突如としてなくして頼りなく揺れていたフェンスに、今度は嵐が凭れてそれは不安な音を立てた。紅夜は嵐に向けていた訝しげな視線を京義に戻して、眠っているその横顔が太陽の下に晒されているさまに何故か懸念を抱いた。京義にしても嵐にしても、染髪に装飾と見た目に分かる形で完全に校則違反なのに、平常から擦れ違う教師たちは何も注意せずに、言うならばそれは黙認されている。ここまで野放しなのはきっと、ふたりの成績が一般性とよりも良いせいだろう。それまで紅夜は不思議に思っていたが、その時妙に納得して、落ち着きを取り戻した京義の閉じた横顔を眺めた。 「京義にはちゃんとやりたいことがあるんやって」 「へぇ」 不意に紅夜の声のトーンが落ちたのを嵐は雰囲気だけで察知して、その意味を探るように紅夜の伏せられた目蓋辺りに目をやった。 「・・・その為に頑張ってんのかなぁ・・・」 「薄野が頑張ってるようには見えねぇけど」 「まぁ、確かに」 淀みなくて、揺るぎなかった。それは随分と卓越された、迷いの無い顔だった。京義は眠そうなその目で自分の未来というものを見据えているのだと思うと、何だか置いていかれたような気分になる。元々同じところを歩いてなんかいなかった。そのの事実は良く知っているはずだったのに、こうして改められると寂しい気分にしかならないのは、どうしてなのだろう。 「そう言う嵐は決めてんの」 「俺?まだまだ」 「まだなん?」 「まだ良いでしょ、時間はこれから一杯あるし、受験のことなんか考えると欝になるだけだし」 「・・・ちゃんとしてへんな」 溜め息を吐きながら笑うと、嵐は心外そうに眉を寄せた。時間はこれから一杯あると嵐は何でもないことのように言った。そしてそれは嵐にとっては本当にその言葉通りの意味で、それ以上の深見など孕んでいないのだろう。だけど紅夜はその時それが酷く寂しげに響いたような気がした。最近余り考えていなかったから、それは余計に紅夜の心内に図々しく入り込んでくる。それは紅夜が昔帰る場所を永遠に失った時に感じた焦燥、いつまでここに居られるのだろうかということだ。そういう意味では時間が沢山あるのか、後少ししかないのか、紅夜はいつもそれを認知する術がないことを知らされるだけで、何も出来た例がなかった。 「してる奴なんていねーっつの、俺らまだ16だぜ」 「・・・16かぁ・・・」 「まだまだ青春してても、誰に文句言われねぇだろ」 「・・・青春・・・」 「何だよ、紅夜」 「・・・青春ってするもんなん?何かこう、向こうからやって来るもんやないの?」 「さぁ、本人が青春だと思ったら、そこが青春だって、誰か言ってたけど」 「そんなんゆうてたら永遠に青春やん・・・」 「まぁなんつーか、大人になっても少年の心は忘れんなってことかな!」 「・・・何か物凄くちゃうような気がするんやけど・・・」 「気にすんなって、ニュアンス、ニュアンス!」 そう言って嵐は、加減無く紅夜の背中を叩く。それに苦笑いを浮かべて、その隣で京義は酷く穏やかに眠っていた。もうすぐチャイムが鳴るから、そうしたら掃除に行かなくてはいけないけれど、青春を謳歌する若者は、学校の掃除などやっている暇は無いのかもしれない。台風の気配の無い青い空を見上げて、言い訳なら何とでもなると、そんな風に思っていた。

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