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傍観者は語る

「唯ちゃーん」 「眠れないの、ベッド貸して?」 学校には有りがちな灰色のステンレスの机に足を伸ばして、今日も唯はそこで堂々と煙草を吹かしていた。授業中の時刻をはっきりと示している時計を見上げても、金色に染まった髪を予防線だと思っている男の背徳を苛めることは出来ないし、そんなことで萎れて男は居なくなったりしない。するりと扉から入って来て、唯が来る以前からセンターに設置されていた黒革のソファーに無断で座る。胸ポケットから出すのはセブンスターで、銀に光るそれは社会への反抗のつもりなのか。 「帰れ、野良猫」 「ひっど。唯ちゃん暇してるだろうから遊びに来てやったのに」 「頼んだ覚えはない」 「でも暇だったでしょ、俺も暇だったし」 「お前は授業をちゃんと受けろ」 「唯ちゃんが言うと説得力皆無。俺こう見えて頭は良いほうなんだから」 「15位じゃ良いとは言えないな」 それに全く応えた様子もなくへらへらと笑って、嵐は手慣れた動作でライターを弄り、躊躇無く銜えた煙草に火をつけた。苦い煙を美味しいと思えるほど大人にはなっていないが、ただそれに癒されているのだと反面凄く思うのだった。すっかり煙たくなってしまった室内環境に嫌気が差し、唯は重い腰を持ち上げ腕を伸ばして窓を開けた。外の風は温く、もうすぐ秋が来るらしい。季節が移り変わるのは思っているより存外早くて、時々それに置いていかれそうになって焦るのだ。 「15位でも充分良いほうだし」 「あっそ」 「パパも褒めてくれたし」 「・・・お前さ」 「なに?」 「あんまり若いうちから煙草吸うもんじゃないぞ」 「・・・お説教?珍しいな、唯ちゃん」 「不良少年にも言っとけ。医学専門の俺が言うんだから確かな事実だ」 「知ってるよ。そんなこと」 「じゃあ吸うな。態々毒を体に入れることないだろ」 「唯ちゃんだって吸うじゃん」 「俺は良いんだよ」 「何だよ、それ」 あはは、と嵐が声を上げて笑う。唯はそれにどんな顔をして良いのか分からず、取り敢えず眉を顰めた。そんな風に能天気に、構えていられたら楽なのだろうと思って溜め息を吐く。余り居心地が良いとは言えない机と同じ色をした椅子に腰を戻して、銜えたままだった煙草を机の上の灰皿に投げた。 「お前が若くして死んだら」 「・・・縁起でもないこと言うなよ、唯ちゃん」 「つか、その調子で吸い続けるとマジで死ぬから」 「・・・」 「若くして死んだら、悲しむ人が居るだろ」 「・・・そりゃ、まぁ・・・それなりには・・・」 「それが分かっているなら親より早く死ぬようなことはするな」 「・・・唯ちゃん、何なの、今日」 「パパを悲しませるようなことだけはするな」 「・・・―――」 嵐は吃驚したようで、煙草を指の間に挟んだ格好のまま、暫く唯のほうを凝視していた。まさかこんなことを言われるとは思っていなかったし、唯がそんなことを言うなんて思ってもいなかった。笑おうと思った頬は引き攣って、唯の無表情は真剣だ。どうしようもなく行き詰ったセンターは、すっかり煙が外に逃げて清涼な空気に包まれていた。唯がおもむろに立ち上がって、嵐は体を捻ってそれを拒もうとしてみたけれど、結局指先の煙草は取り上げられた。 「箱の方」 「・・・あのなぁ・・・唯ちゃん」 「何だ、文句があるのか」 「・・・あるっていうか・・・俺たち未成年が煙草を買うのって結構大変なんだよ?」 「知らん、出せ」 「・・・最近は自販機まで証明がどうのとかすげ煩いしさ・・・」 「没収」 「・・・」 「安心しろ、俺の好きな銘柄じゃないが、責任をもってちゃんと吸ってやる」 「・・・カツアゲじゃん・・・ただの・・・」 革張りのソファーに寝転がって、嵐はそうぼやいた。長身のせいか、長い手足がソファーからはみ出している。当初の目的から徐々にずれつつあった、ふたりとも。唯は手の中に納まる銀色の箱を眺めた。一体この中にどれほどの欲が詰まっているか良く知りもしないで、と眉を顰める。1本抜いて銜えると、それだけでいつもと違う雰囲気で、唯は好奇心のまま火を付けた。 「唯ちゃんにも居るだろー?」 「何が」 「ほらぁ、家族とかさぁ、恋人とかー」 「・・・」 「唯ちゃんの今の言い方だったら、俺には居ないって聞こえるけど」 「・・・」 「ってかさ、唯ちゃん彼女居んの?どんな人?女医?」 「居ない」 ふうと煙を吐き出す。別に嫌いじゃない。煙草なんてどれも味は結局のところ一緒なのだろうと、唯は思っている。良く知っている人に聞かれると、眉を顰められかねない持論かもしれないが。自分の声が自棄にはっきりと聞こえて、何をムキになっているのだろうと、唯は自嘲した。 「・・・何だ・・・」 「悪かったな」 「唯ちゃんモテそうなのにな」 煙を吐き出す。鋭い餓鬼は嫌いだった。追い出すにはどうしたら良いか考えながら、大して減っていないそれを灰皿に投げ込み、椅子を回して嵐が寝転がっているソファーを睨んだ。嵐はそこを一向に動こうとしない。だらりと寝そべった格好のまま、目を閉じている。 「至極完璧なこの俺の、パートナーになりうる人間はこの世にはいない」 「・・・」 「だから仕方ない」 「・・・そーゆーとこが駄目なんだろうなぁ」 「煩い、野良猫。いい加減帰れ」 「分かってるよ、あんまりサボると紅夜が怒るし、3限の数学には出る」 鋭い餓鬼は嫌いだったが、鈍い餓鬼はもっと嫌いだった。唯はそれに返事をしないで、椅子から立ち上がって窓を閉めた。

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