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あの星は見えているか Ⅰ
男は文句なしに美しい容貌をしていた。
「・・・で、そこで実はそれがカエルやってん!」
「・・・あぁ」
「イモリやと思うやろ?思ったやろ?」
「うん・・・」
「ちゃうねんなぁ!それが、実は!」
「・・・ふーん・・・」
髪は滑らかで全く癖のない榛色、日の下に一度も晒されたことがないかのように白い肌にシャープな顎、綺麗に弧を描く唇は潤いを保ったまま桜色に染まっている。背丈は殆ど同じくらいだったけれど、それに比べてすらりと伸びた足は随分と長かった。均整の取れた体に無駄な脂肪などついていないことは、その細い腰を見れば何より明らかだった。それを漆黒のセンスの良いスーツで包んで、蕩けるような優しい笑みを湛える表情に、一糸の曇りも見られなかった。しかし何より、彼をそれらしく見せているのは、そのような周りの出来上がった美しい輪郭ではなかった。男の美貌を確かなものにしているのは、榛色をした睫毛に縁取られた瞳だった。それはこの世のどんな色とも形容し辛い、美しい桃色をしていた。
「・・・嵐・・・」
「うん・・・?」
目線を上げると紅夜がこちらを、どこか怒気の篭った目で見据えている。日頃から一緒に居るせいか、余りそれが浮き彫りになることは少ないが、この男も顔の造作は整っているほうだったが、いかんせんまだ自分と同じ年齢ということもあってか、紅夜にはどうも幼いところがあると思う。男としての色気に欠けているというべきか、兎も角同じクラスの女の子が紅夜にだけ熱視線を向ける意味というものが、別に僻んでいるわけではないのだが、嵐には良く分からないというのが本音であった。勿論本人が気を悪くするといけないので、なんて今更そんな風に変に気を遣うことも全くもって白々しいとは思いながら、こんなことは面と向かって言ってはいないのだが。それに比べると、やはり紅夜の養父は少々過ぎると思えるほど、その雰囲気からは艶っぽいものを感じざるを得なかった。おそらく男は無意識にそれを振り撒いているのだ。学校の中だからといって全く遠慮する姿勢が見えなかったのが、その証拠にも十分なっている。考えながらその眩し過ぎて、直接目を合わせることも困難に思えた、一時の対峙を思い出しては、それに意識を半分以上持っていかれている。
「何かちょっと・・・聞いてんのか、俺の話・・・」
「聞いてるよ、イモリの話だろ」
「ちゃうって、かと思ったらカエルやったんやって!」
「・・・どっちでも良いし・・・」
「ようないわ!」
正面の席に陣取って、紅夜は今日も何やら不可思議なことに目の色を変えて、それの一体どこが気になったのか知らないが、さっきから延々と同じ話をしている。まだ理解していないのかとその目は面倒臭そうだが、何度も同じ話をされているこちらの方が、本当はもう辟易しているのだと、紅夜は中々気付かない。そうして回り回った先にまたはじめに立ち返っている。嵐はそれに付き合うのを半分以上放棄して、溜め息を吐きながら肘を突いて窓から外を眺めていた。きっちり閉まっているくせに、そこから冷機が入り込んで来ている気がして、先ほどから気になっているのだ。教室の中は一昨年突貫工事で導入された暖房のおかげで温まっていたが、窓際はどういう因果か普通にしていると少し寒いくらいだった。
男の名前は白鳥夏衣というらしい。紅夜と京義の、というか京義は殆ど喋らないので、主に紅夜の話の中から聞いたことがあったし、この間会った時も同じ名前をあの桜色の唇は発音したような気がする。確か男は声まで透き通ったような端麗さを併せ持っていた。それにしても、紅夜と京義は一体何を考えているのか、あんなに美しくそして優しい、これは嵐の見解であって、あくまで優しそうというところを逸脱しない勝手な解釈ではあるが、兎も角あのようなひとに面倒を見て貰っていて一体何の不服があるのか、ふたりの話を聞いている限り余り男は評判が良くなかった。だけど嵐は考える。ふたりはきっと知らないのだ。この間顔を合わせただけの自分が言うのも可笑しな話であるが、白鳥夏衣がまさか悪人だとは嵐にはとても思えなかった。
「・・・で、ここで吃驚やねんけど!」
「実はイモリ、あ、違う。カエルやってん!」
全くこの秀才は一体何を見ているのか、紅夜にばっちり目を合わせたまま、嵐はひとつ大きく溜め息を吐いた。紅夜のそれが瞬く内に訝しそうな表情に変わる。そんな顔をしたいのは本来ならば、延々と同じ話をループで聞かされ続けているこちらの方だった。はぁともう一度分かり易く嵐は溜め息を吐いた。全く今はそんな紅夜の小言に付き合っているような暇はないのだが、中々にしてこの秀才は物分りが宜しくないと見える。そうはいっても確かに嵐はこの間ちらりと顔を見た程度だ、それで全て分かり切るほど人間出来ているつもりはないが、それは何と言うか、殆ど動物的な言うならば直感なのである。いつものように紅夜が文句を言い出すのに、特別返事はしないで相槌を打ちながら、嵐はただそんな風に夏衣のことを考えていた。もう一度会いたいと思うが、流石にもうあんな機会は訪れないだろう。もう一度会って、会ったら夏衣に嵐は言いたいことがひとつあった。
「っていうか、さっきから嵐あんまり俺の話聞いてへんやろ!」
「いや、聞いてるって」
「じゃぁ結局イモリは何やってん、言うてみ!」
「それは取り敢えず置いとくとしてさ」
「蔑ろにすんなや!」
そんなことは嵐にとってはどうでも良いことであった。そしてきっと紅夜にとっても、後一週間もすればどうでも良いことになるはずのことだった。つまりお互いにタイミングが悪かったということである。心外そうな紅夜をそのままにして、嵐は余りにも不自然に話題を転換した。
「お前ん家ってさ、どこにあんだっけ」
「ええっと、何や知らん丘の上や」
「薄野とか、他何人かと一緒に住んでるんだよな」
「うん、5人で。割りと楽しいで、大変なことも多いけどな」
「ふーん・・・」
「そやねん、昨日も染さんが風呂掃除忘れててな」
「・・・へぇ」
先ほどまで目くじら立てて怒っていたことをころりと忘れたのか、それで別のスイッチの入ってしまった紅夜はまた何処か苛々とした雰囲気のまま、嵐の知らない人物の名前をどんどん挙げて、話を加速させていく。それに相変わらずの適当な相槌を打ちながら、その話の大半を聞き流しつつ嵐は肘を突いた姿勢で、騒々しい教室をそっと見渡した。昼休み中のそこは、授業や時間から解き放たれた生徒たちで溢れ随分と煩くて、しかしその割に扉や窓がきっちり全部閉まっているのだ。温かくなった空気を逃さないとでもいうように。ひとつ息を吐いて注意を紅夜に戻すと、紅夜はまだ眉間に皺を寄せたまま、流暢に喋っていた。話の流れはまるで見えてこないが、それに愛想良く微笑んで嵐はその場をやり過ごしている。
「って、何で俺らがせなあかんねんって、思わへん?思うよな?」
「うん、そんでさ、あの、紅夜」
「ん、どうしたん?」
「今度、お前の家行ってもいい?」
「・・・―――」
すっかり流されたことに気付かない紅夜は、突然の方向転換について来られないのか、不意を突かれたようなきょとんとした顔で嵐を見つめて、今までの勢いをどこかに忘れてきてしまったかのように、突然大人しくなってしまった。おそらく先ほどまで話していたことを、この様子ならば蒸し返すこともないだろう。友達なら、家に呼んだり呼ばれたりすることぐらいはあるだろう。幼い頃になるが、近所の友達の家に何かと言っては良く行き来していた記憶もある。それが例え高校生といえども、何も固まるほどおかしい話の流れではなかったと思うが、などと考えながら嵐は紅夜の返事を気のない様子で、しかしじっと待っていた。
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