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あの星は見えているか Ⅴ
いつの間にか珍しく覚醒している京義も二階から降りてきて、全員が談話室に揃った頃に、夕食がはじまった。一禾の気合の入り過ぎたフレンチを目の前に、嵐は目を輝かせているが、いつも通りで良かったのにと、何とかというソースのかかった白身魚を、滅多を使うことのないナイフを使って紅夜は切り分けていた。これで毎日こんなものを食べていると思われたら良い迷惑である。そんなに頑張らなくたって、一禾の料理はいつも文句なしに美味しいと決まっているのだ。
「美味しいです、凄く!」
「ホントー?有難う、嬉しいな。頑張って作ったかいがあったよ」
目の前で微笑ましいやり取りが先刻から続いているが、それにしても染の様子が今日はどうもおかしい。それが自分の隣に座っている嵐が居ることからきているのも分かっているが、大学での染の奇行を知らない紅夜から見れば、随分とその日の染は可笑しく見えた。一禾は皆の食事の進行状況に合わせて、皿を出したり入れたりと忙しなく動いており、染は挙動不審にその背中を目で追いながら、白い皿の上を片付けることだけは忘れない。その原因が、一禾が側に居ないせいなのか、それとも他に理由があるのか、紅夜は分からない。そんなことをしている間に、皿の上は綺麗になってしまっていて、一禾がウエイター宜しくそれを嫌味のない動作で片付けていった。ちらりと隣の嵐に目をやると、嵐も染が気になっているようだった。そりゃそうである、こんな風にあからさまに挙動不審になられては、気にしないほうが無理な話である。
「なぁ、染さん・・・」
「・・・ん」
「ちょっと落ち着きぃや・・・何をそんなにあたふたしてんねん」
「・・・べ、別に・・・してない、し」
「染ちゃん、一禾が全然構ってくれないから拗ねてるんでしょー。もう可愛いんだから」
「ちょっとナツさん!嵐の前で変なこと言うの止めてや!」
「えー・・・別に変なことなんて・・・」
「言うてる!」
あっちを気にすれば、こっちが崩れる、その逆もまた然り。全く気の休まる様子のない紅夜を、悪びれた様子もなく染の頬をちゃっかり突きながら夏衣は不思議そうに見上げる。そんな紅夜の隣で嵐は一禾と何事か喋っていたので、夏衣の奇行には気付いていなかったことに、どんより顔を曇らせる紅夜は残念ながらまだ気付かない。これだから家に友達を呼ぶのは憚られたのだと、思わずにいられない。深く今日何度目になるのか溜め息を吐き、紅夜が取り敢えず椅子に着席し直すと、それに触発されたかのように、今度は染ががたんと音を立てながら、何の前触れも見せずに立ち上がった。
「どうしたの、染ちゃん」
「・・・ご、ちそうさま・・・」
「え、もう良いの?」
それだけ僅かに口から漏らすと、染はくるりと背を向けて、自棄に不自然な動作でしかし素早く、談話室から出て行ってしまった。一禾がそれを見ながら首を捻り、夏衣はからかう対象が居なくなったのが面白くないのか、あーぁと気のない溜め息を漏らしていた。一連の喧騒とは全く掛け離れた場所で、普段は夏衣が座っている席で京義は黙々と食事をしていた。
「折角デザートまで作ったのになぁ・・・」
「やから一禾さん・・・気合入れ過ぎやって」
食事の終わった京義はソファーに寝転んでいた。いつもは大体染が居るせいで、寄り付かない場所だが、今日その人は早々に三階に引き上げているし、あの様子では降りてくる確率も低い。京義が寝転んでいるソファーの後ろからその髪の毛を、どうにかみつあみにしようと夏衣は先ほどから懸命に努力している。しかし嫌がる京義の妨害にあって、中々上手くいかないようだった。
「あのさー、ナツ」
「なにー?」
一禾はゴム手袋をきっちりと嵌めて全員分の食器を、先ほどからずっと洗っている。一禾が気合を入れすぎた結果なのだろうが、シンクに収まっているのはいつもの倍はありそうな量で、中々終わりが見えてこない。それでも一禾は暇そうな夏衣や、テレビを見ているのか見ていないのか分からない京義に手伝えとは一言も言わないのだった。嵐と紅夜はもう少しゆっくりしていけば良いのにと夏衣が言うのに、なぜか紅夜は顔を青くして、食事が終わると早々に部屋に引き上げていた。
「俺ちょっと吃驚したんだけど」
「何を?あ、ちょっと、京義動いちゃ駄目だよ」
「・・・だって何か・・・あの子金髪だったし・・・」
「やだやだ、赤毛の貴方が何を仰る」
「俺のは生まれつきだってば!それになんか・・・ピアスの穴も一杯開いてたし・・・」
鳶色をした一禾の髪は奇抜な赤というわけではなく、一見としただけではただの茶色にしか見えないのだったが、それが動いて形を変えると、そこに深く赤が混ざっているのが分かるのだった。今となってはそれに文句を言う連中は居なかったが、中学高校と教育指導という名のもと一禾はそれこそ酷い目に遭うべきだった。しかし本来の要領の良さを遺憾なく発揮し一禾は指導を免れていたが、それだけは珍しく僅かながらもトラウマティックに心の中に残っている。夏衣は京義の完全に色の抜けた最早白に近い色をしている髪を指に絡めながら、そういえばこの子はもっと酷いと思って苦笑した。
「見た目で判断しちゃ駄目でしょ」
「まぁ・・・それはそうなんだけどさ・・・」
「そうそう」
「何か紅夜くんの友達らしくないって言うか・・・」
「まぁ、それは俺も思ったけどね」
依然眉を顰めたままの京義が鬱陶しそうに夏衣の手を払って、それでも夏衣は諦めずに京義の髪をくしゃくしゃと掻き回す。いつもならそれを見逃さず止める一禾は、今日はどうしたことかぼんやりとしていて、手元の洗い物に心を奪われているらしかった。何が面白いのか全く理解出来なかったが、何かといっては部屋で勉強ばかりしている紅夜の友達なのだ、きっと眼鏡で秀才なのだろうと思っていたが、それは簡単に裏切られて、紅夜の隣に立っていたのは根元から綺麗に染まった金髪の髪の毛を靡かせ、耳に幾つも穴を開けた、目付きの悪い少年だった。流石のことに吃驚したが、一禾は本人の手前それに慌てることはなく、何も気にしてはいないように振舞ったが、不安だったことは隠しようもなかった。あのお人よしの紅夜のことである、何か良くないことにでも巻き込まれているのかもしれないと、良く知りもせずファーストインプレッション先行で思っていたが、本人と話してみると、案外人の良い、見た目以上に普通の高校生だった。
「・・・でも割りと良い子っぽくて安心したよ」
「そりゃそうでしょ。だって紅夜くんの友達だもん」
「あのさぁ、ナツ」
「なーに?」
「前から思ってたんだけど」
「うん」
「何でそんなに嬉しそうなの?」
はらりと目の前に長い前髪が下りてきて、京義はそれを無理やり左に避けた。先ほどまで夏衣が構っていた髪の毛は随分とぐしゃぐしゃになってきているが、風呂にでも入れば元に戻ることも知っている。それにしても突然、興味を持つのも失うのも早過ぎる。見上げた視界で夏衣がにこりと笑っているように見えた。それはいつもの意味深な含み笑いでもなく、猟奇的な嘲笑でもなかった。
「それは一禾もじゃん」
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