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ルビーフルーツ Ⅴ

吐いた息は白く染まる。コートの前をきっちりと合わせて外気に体が触れないようにする。町を行くひとはそそくさと急ぎ足で、どこか自分だけの温かい場所を目指しているようにも思える。そんな日にどうして、オープンテラスにパフェを並べて、それを何が悲しくて男ふたりで突いているのだろうと冷静になった頭は考えてしまうから、出来るだけ目の前のことに集中することに務めた。尤もそんな努力を考えたのははじめだけで、京義は美しい動作とは掛け離れた奔放さで銀色の長いスプーンを扱っているが、そんなことを忘れてしまうくらいにキヨにはそれが愛らしく見え、諸所の問題など最早気になどならなかった。 「美味しい?」 「・・・美味しいです」 美味しいと口では言いながらも京義は、異に反するかのような全くの無表情だった。しかしキヨは全くそんなことには構わずに、というか舞い上がっているせいでそんな京義の齟齬に気付いていないのかもしれないが、それは良かったとただ頬を綻ばせていた。尤も京義は、感情を筆頭とするその他様々な厄介なものを外に出すことを特に苦手としていたから、久しぶりに口にしたパフェを美味しいと思えたし、それを口に出したその簡単な表現には何の嘘も含まれてはいなかった。 「いや、でも意外だな」 「・・・何が、ですか」 「京義くん、甘いもの好きなんだね」 「・・・はぁ・・・」 言いながらキヨは冷たい白い椅子に凭れて、そっと店内を伺うように盗み見た。真冬だというのに、気温は一桁を日々更新しているというのに、店内は活気を全く失っておらず、休日だということもあるだろうが、随分と賑やかだった。そのほとんどが女の子で、彼女たちは見た目も美しいそれに眼を奪われながら、何人かで固まり嬉しそうに高い声を上げている。店内には男の客も勿論居ないわけではないのだが、京義とキヨの他にはカップルで、完全に彼女に付き合っていますという雰囲気だった。店員は普通に接客してくれたのだったが、女性客の視線が痛く背中に突き刺さっていることに、キヨは少し前から居た堪れなくなっていたのだったが、迷いもなくデラックスパフェを注文した京義は全く気にしている様子もなかった。 「この間もワルツのマフィン食べてたよね、あれも好きだったりするの?」 「・・・あれは貰い物で・・・」 「え、あ、そうだよね」 「・・・」 「じゃぁ何がすき?」 「・・・ーーー」 銀色のスプーンに付いた生クリームを舐めながら京義は不思議に思い、目の前で艶やかに光る注文したイチゴパフェには目もくれずに、それにしては自棄に目を輝かせてこちらを見ているキヨのほうをじっと見た。一体どうして、何の目的があってそんなことを聞いて来るのだろう、他の人間のことなど放っておけば良いのに、京義にはさっぱり分からなかった。この間からそうだった、この大学生は何かにつけて京義に色々と聞いてくる。そのどれもが別にどうでも良い質問だったから一々答えていたが、それを知って男がどうするのか、そういえば京義は今の今までそこまで考えたことがなかった。 「何で」 「え?」 「何でそんなこと、聞くんですか」 「・・・何で・・・って・・・」 このやり取りには覚えがあった。そういえば食べたいものを聞いた時も同じように不思議そうにされた記憶が、まだ真新しいものとしてキヨの中には残っていた。見る限り、京義は特別それに深い意味を含ませているわけでもないらしい。ただ純粋にそれが理解し難いから、尋ねているだけのことのように少なくともキヨにはそう思えた。だとしたら余計にそれにどのように答えたら良いのかキヨには分からなくて、それを繰り返しながら白いテーブルの上に肘を突いた。椅子と対になっている真っ白のテーブルは同様に冷たく、触れたところからその冷気が血管を通って上って来るようだった。 「ああーっと・・・べ、つに深い意味はないんだけど」 「・・・はぁ」 息の抜ける音だけで京義が相槌を打つと、キヨはどこか照れたように視線を背けた。 「京義くんのこと良く知りたいって言うか・・・何て言うんだろうなぁ」 「もっと仲良くなれたら良いなぁって・・・」 「そ、その為にはまず相手のことを良く知らなきゃいけないじゃん?そう思わない?」 黙ったままだったが京義がそれに頷いて、キヨは僅かながら安堵していた。しかし京義はそれに完全に納得した上で、頷いたわけではなかった。ただそんなものかと思ったから頷いただけだった。京義には良く分からない、そんな風に他人に興味を持ったことがなかったから、良く分からない。いや、意図的に持たないようにしていただけなのかもしれないが。どちらにしても目の前の人間は自分とは違う種類だということは分かったし、それが自分にはとても理解出来ない回路だと思ったから、それについてあれこれと考えることはこれ以上止めにした。考えても分からなければ、結局それに意味など見出せないのだ。銀色の柄の長いスプーンをパフェの中に突っ込むと、最下層のコーンフレークに当たりざくりと音がした。 「あのさ、京義くん」 「・・・はい」 「ピアノいつから弾いてるの、結構前からだよね?」 「・・・はい、多分3歳くらいの頃からだと思います」 「へー・・・でも珍しいね、男の子なのにピアノ習ってるなんて。あ、最近はそうでもないのかな」 銀色のスプーンの上に乗った生クリームの張り付いたイチゴを躊躇いなく口の中に入れると、京義はそれをゆっくりと咀嚼し嚥下した。その間暫くの沈黙があり、京義の表情からは何も読み取れないので、キヨは自分の質問がどこか不味かったかと思って振り返っていたが、京義がぐさりと残ったパフェ部分にスプーンを容赦なく突っ込むのに、一時思考は中断した。 「母親が、ピアノが好きだったんで」 「・・・あ、そうなんだ」 「・・・だから・・・」 その後何かを続けようとして、京義は意図的に言葉を飲み込んだ。正面ではキヨが急に言葉を切った京義を、不思議そうな目で見ている。その目はそれ以上のことを求めていないから、京義には酷く純真に見えて、それが何だか眩しいと思ったし、その光に当てられて、言わなくてもいいことまで話してしまいそうだったから、京義は一度言葉を切って、唇を舐めて湿らせた。 「へぇ、そっか。お母さんの影響か」 「・・・はい」 「でも凄いな、今の歳までそれ続けてるんでしょ、俺なら途中で止めちゃうな、絶対」 「・・・―――」 その時何かを一瞬言いたそうにした京義は、それを瞬く内に読めない瞳の奥に隠してしまった。キヨがそんなことに気付くはずはなく、京義はひっそりとひとりでそれに安堵していた。キヨには不思議な眩しさもあって、安心感もあった。それが唇を滑らせているのは、この状況がまだうまく掴めていない京義にも明白なことだった。スプーンをグラスの中で動かして、器用に一口分掬う。もうはじめの美しさはすっかり失われてしまっていたが、上層部と下層部を一緒に食べることに意味があると思っている京義にとっては、見た目の醜悪さなど最早関係のないことだった。

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