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及ばぬ異国に手を
男はマイクを控え目に持って、まだ幼少の雰囲気を纏わせた表情を時折明るくしていた。
「・・・あー・・・良いなぁ・・・」
それを見て、染は溜め息を吐きながらぼんやりと呟いた。男がマイクをそっとテーブルの上に置き、今度はその隣の女の子が喋り出す。モデル出身だという女の子は年の割には大人びており、媚びたようなアイドルらしい高い声を出さずに、普通のトーンで時折詰まりながらつらつらと感想を述べている。しかしそれはどこか的外れたような回答で、なぜかそこにいる人間の誰もがそれを頷きながら聞き入っているところを見ると、全員頭が弱いようにも見受けられる。ちらりと隣に座る染を見やると、ぼんやり口を開けながらそれに見入っている。もしかしたらこの男も同類なのかもしれないと、紅夜は思いながらテレビに目を戻した。
「これ見に行きたいん?」
「うん」
「あ、そっか。染さんって藤ヶ谷柚月好きやったもんな」
「うん、だって凄ェ、カッコ良くない?」
白い壁に白く長いテーブル。端に立つ司会の男だけが立っており、壇上の出演者は主演である藤ヶ谷柚月という若手俳優を真ん中に据え、皆座っている。パシャパシャと軽いフラッシュの音が時折響き、記者の誰かが手を上げて質問するのに、人気若手俳優が愛想良く答えているのが画面に大写しになる。紅夜はまたちらりと隣の染を見やった。確かに俳優らしい端麗な顔をしているが、如何考えてもジャージのまま隣で口を開けている染のほうがそれらしく見えて、紅夜は慌てて目を擦った。
「・・・そうやろか・・・」
「何だよ、じゃぁ紅夜はどんなのが良いんだよ」
「・・・や、俺にふらんといて・・・」
不服そうに染が唇を尖らせている間に、テレビはぱっとスタジオに戻って、染は分かり易く落胆の声を上げた。紅夜はその隣で何故かほっとしていた。藤ヶ谷柚月を筆頭にその時宣伝されていたのは、最近封切りになったばかりの映画だった。紅夜は藤ヶ谷柚月が幾つなのか良く知らなかったし、大して興味もなかったが、画面に映るのはまだ少年の幼さを保ったままの、格好良いというよりは可愛らしい雰囲気の俳優だった。憶測ではあるが、この感じではまだ10代なのだろう。もしかしたら自分と同じくらいの年齢なのかもしれない。藤ヶ谷柚月がドラマや映画で主演を張りはじめたのは最近のことではあるが、自分と同年代の人間が、そんな風に立派に認められ、仕事をしているのは確かに賞賛に値する。自分もこんなところで昼間からテレビを見ながら寝転がっている場合などではないということを、その時の藤ヶ谷柚月の姿は紅夜に簡単にそう思わせるだけの何かがあった。
「・・・あー・・・見に行きたいなぁ・・・」
「行ったらええやんか、一禾さんとでも」
紅夜は興味がなかったが、同じ興味がないでも一禾ならば染に付き合ってくれそうにも思えた。考えなしに紅夜がそう提案すると、特集が終わってしまったこと以上の落胆に、染は隣で体を縮めて耐えていた。訝しげにそれを紅夜が見やると、その視線から逃れるように、染はあからさまに顔を背ける。
「・・・だって・・・映画館・・・」
「・・・は?」
「怖くて、行けない、し」
「・・・」
まさかの返答に唖然とする紅夜だったが、どうやら染はその葛藤に此処のところ本気で悩まされているらしい。紅夜だってここに来て随分経った。東京の地理に関しては分からないこともまだ沢山あるが、少なくともホテルの人間のおおまかな人格ぐらいは掴めているという自負があった。しかしこの分では少し自信過剰過ぎたなと、紅夜はひとりで反省していた。兎角染には驚かされることが多い、それが辿って行けばその容貌に起因することだって分かっているが、染が年甲斐もなくうじうじしたり、泣き言を言ったりするたびに、余りに美男子に生まれるのも考え物だなと溜め息を吐いて思うことになる。確かに染がそのままふらふらと街を歩いていると、隠し切れない欲望とともに近付いてくる人間が居ても可笑しくない。しかしそれを差し引いて考えたとしても、染の反応は人とは随分と違った、酷く捩れたものだとしか、紅夜にはどうしても思えなかった。
「・・・ほな、DVDになるまで待ったらええやん」
「そのつもりだけどさ・・・」
「まぁビデオショップにもどうせ怖くて行けへんのやろうけど」
「・・・―――!」
そうして一禾あたりが渋い顔をしながら借りてきてくれるのをここで待つのだろう、分かり切っているのだ、そんなことは。自棄に冷ややかになった紅夜の対応を前に、染はいつもながらあたふたと落ち着かない様子であった。勿論のこと、それが図星だったせいでもある。結局染はひとの居るところというのが、まず怖くて出向くことが出来ない。そしてそれは結局、染をここに繋ぎ止める結果にも繋がっている。不意に紅夜は染がこんな辺鄙な土地になぜ住んでいるのか、分かった気がした。全く落ち着かない染が気にはなったが、気にするとまたそこに甘えるのが染であることをまた、紅夜は嫌というほど熟知していたので、紅夜はそれを見ない振りをして、いつも見ているクイズ番組にチャンネルを変えた。
「・・・でもな、紅夜」
「なに」
「藤ヶ谷柚月、舞台挨拶出るんだってさ」
「へぇ・・・それで見に行きたいって言ってるん?」
「だってあんまりバラエティーとか出ないじゃん、ドラマの宣伝とかも大体他の人が来るしさ」
「・・・そりゃ事務所との折り合いちゃうん」
「兎に角珍しいんだって!あー・・・行きたいなぁ、どうやったら行けるんだろうなぁ・・・」
「チケットと後勇気があったら行けるやん」
あんまり簡単に言うなよと染はがっくり項垂れたまま、暫く動かなくなった。これでようやく見たい番組に集中出来る。そうなのだと、染も気付けることが出来れば良いのに、本当に紅夜の言った通り、そのふたつさえ揃えることが出来れば簡単なことなのだと、染も気付くことが出来れば良いのに。
(でもこの分やと、肝心のチケットはきっと手に入らへんのやろうなぁ・・・)
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