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ブランシュネージュ Ⅶ

人が迷惑そうにしているのがそんなに面白いのか、嵐は大袈裟なほどにけたけた声を上げて笑うと、両手に持っていた雪玉をそのまま唯目掛けて投げて来た。不意のことだったのもそれは理由になると思うが、完全にインドアの唯はそれを避け切るだけの反射神経も持ち合わせておらず、捻った体の肩と顔に直撃し、冷たさに肌が刺される。いつの間にか銜えていたはずの煙草は、落としてしまったのか消えていた。雪がぼたぼたと音を立てて唯の体から離れていく、嵐はそれを見ながらまた大声で笑うと、自分の陣地らしいそこだけ雪が盛られている場所に姿を消してしまった。最早教職の人間に頼まれたからとか、後で怒られるかもしれないからとか関係なく、ただの私恨で追いかけようと唯が踏み出した時だった。丁度後ろから腕を引っ張られて、振り返ると先ほどまで見向きもしてくれなかった女子生徒のひとりが、唯の腕を引っ張っていた。女の子は唯と目を合わせるとにこりと微笑む。しかしそれが一体何を表しているのか、唯には分からない。 「白組はこっちだよ、唯ちゃん」 「え、オイ」 突然唯の視界に表れた女の子は、先ほどまでの嵐とのやり取りを聞いていたのか、言うが早いか嵐が消えた雪の山ではなく、それとは逆方向に唯をずるずると引っ張って行った。先ほど嵐が隠れたような、一部だけ雪が盛られた場所のその後ろまで連れて行かれる。するとそこではスカートの下にジャージを履いた何とも色気の無い格好で、女の子達が集まって座りせっせと雪を集めてそれを丸く固めているところだった。その異様としか思えない光景を目の前に、ぽかんとして唯は言葉もなく立ち尽くしてしまった。唯をここまで連れてきた女子生徒は、そのままの格好の唯の腕を引っ張って座らせると、中腰になって辺りを伺っているようだった。その姿はやっているのがお遊びとは思えないほど真剣で、一体何に熱を上げているのだと思わずにはいられなかった。雪が降っているから、テンションが上がったゆえの結果なのだろうと踏んで来たが、それ以上の熱意を感じて、唯はそれにただ驚き、困惑するしかなかった。こんなところであられもない格好で雪を必死に丸めている彼女達は、こう見えても全国模試には100番以内に入っていたりするのだから、世の中間違っているとしか言いようがない。 「来てくれたんだー、唯ちゃんセンセ」 「先生も丸めてね、あっち男子ばっかでズルイからさ、石入れても良いからね」 「・・・何か、割と本格的だな・・・」 勿論唯はここに遊びに来たのではない。しかし一体何をしに来たのか、一瞬思い出せなかった。こんなところで雪を丸めている暇があったら、暖かい部屋で居眠りでもしているほうが、世間的に勤務中にそれはどうかということではなく、唯にとっては余程有益だった。それにしても自分でももっと他に言いようがあったと思うが、最早唯にはそれしか浮かばなかった。女の子達はそれに顔を見合わせて、図ったように高い笑い声を上げた。彼女達の行動パターンが朝の様子と同様なのに、もしかしたら同じ子なのかもしれないと思ったが、既に記憶は歪んでいる。どう見ても薄着の女の子達は、手袋をして何をそんなに必死になることがあるのか分からないが、自棄に懸命にそして笑えないほど真剣に雪玉を作っている。それをぼんやり見ながら唯は眼鏡を外して、嵐に投げられた雪玉の破片がまだついていた顔を冷たい手の甲で拭った。眼鏡にも雪がついているのに、眉を顰めながら服で綺麗に拭き、それをかけ直した。肩についていた雪も、特別気になったわけではないが叩いて落としておく。そしてスラックスに手を突っ込んで、再度煙草を取り出しそれを銜えた。 「唯ちゃん、煙草吸うんだー、意外」 「あたし知ってるよ、時々臭いもん、唯ちゃん。止めたほうが絶対良いって」 女の子達は雪玉を作りながら、唯の煙草を指差してそれぞれ適当なことを言い出す。それに何と反論して良いか分からず、またその通りだと思いながら仕方なく火をつけるのは諦めた。どうせこんなもので暖など取れないことを、唯だって良く分かっている。 「なぁ、お前ら、帰らないのか」 「えー、だってまだ決着ついてないし」 「そうそう、帰ってもどうせ自習じゃん?」 それはそうかもしれないけれど、思いながら口には出さない。火のついていないせいで全く味気もなければ意味もない煙草のフィルターを噛んで、しかしこのゲームは一体何がどうなったら、彼女達の言う決着になるのか、唯には良く分からなかった。 「なに、唯ちゃんまさか止めに来たの?そんなことしないよねぇ、唯ちゃんあたしらの味方だもんねぇ」 その派閥分けは一体どうなっているのか、彼女の口ぶりから察するに、おそらく今の雪合戦のチーム分けのことを言っているわけではないのだろう。 「あ、いやぁ・・・俺はただ寒いからもう良いかと思っただけで」 「寒いの?あたしカイロ持ってるよ、あげる」 たかが高校生の女の子相手に何を怯えているのかと、自分でも思ったが寒さのせいなのか職務放棄の罪悪感からなのか、唯の口から出たのはそんな弱気な言葉だけだった。すると何故か隣の女の子から、気を遣われているのかもしくは本当に要らないのか、カイロを渡されて唯はそれを無言で受け取る。カイロに触れている部分からじわっと温もりが広がって、堪らずそれを擦った。 「唯ちゃんホント寒がりだよねー」 「あぁ、そうだ。朝のマフラー絵里ちゃんに返した?返しなよ」 そうか、朝の女の子は絵里という名前なのか。しかもこの様子では一年生のようだ。名前が分かって良かったと内心で思いながら、唯はそれに曖昧に返事をした。 「あれって唯ちゃんちゃうん?」 嵐が自らの陣地に戻ると、そこではクラスメイトに混ざって紅夜が雪玉を固めているところだった。ぎゅっと雪を丸めると、それだけで当たると結構痛いのだった。女の子相手にこれを投げるのかとはじめの頃は渋っていた紅夜だったが、流されやすいのか結局は周りの皆がするのと同様に、雪を固めることに必死になっている。嵐は紅夜が眉を顰めるのに、ピースサインを作って口角を上げた。それを肯定と同義と見なした紅夜の顔は、更に眉間に皺の寄ったものになる。そんな紅夜の考えなど痛いほど嵐は分かっていたが、それを敢えて無視することに決めた。紅夜の言うことは一々正論だけど、どこか批判的だ。そんなことばかり言っていたら、面白いことなど何ひとつ出来やしない。作った雪玉をふたつ唯に投げつけたせいで、手ぶらになった嵐は紅夜の隣に腰を据えて、誰かがどこかから運んで来た綺麗な雪を適量拝借し、手のひらの中でぎゅっと押し潰しながらそれを丸めた。 「ちょっと嵐」 それで途端に機嫌を悪くした紅夜は、嵐のコートを引っ張りながら、いつもより声色に怒気を滲ませてそう呼んだ。嵐は目の前の雪玉に神経を注いでいる振りをして、紅夜のそれに意図的に目を合わさない。 「何だよ、大丈夫だって」 「何がやねん、俺まだ何も言ってへんやん」 「唯ちゃんはな、その辺の物分りの悪い大人とは違うんだから、さ」 褒めたり貶したり、一体嵐は唯のことを何だと思っているのだと言いたかったが、紅夜が危惧しているのは勿論そんなことではなかった。 「そうやなくて、唯ちゃん多分俺らのこと止めに来たんやろ、怒られるで、一緒に遊んでたりしたら」 「そんなこと俺の知ったことじゃないしー、唯ちゃんが悪いしー」 「・・・えぇー・・・」 引き摺り込んでおいて何と無責任なことを言っているのだと思いながら、紅夜がそれに呆れた顔をするのに、嵐は反省とは程遠いとても嬉しそうな顔で笑っていた。

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