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ジェネラリストは退屈 Ⅱ

彼女は自分の名前と携帯番号とメールアドレスを書いた紙を、染に殆ど押し付けるように渡すと、くるりと背を向けて走り去ってしまった。ただそれを渡された染は、ぼんやりとそこに立ち尽くすしかなかった。そうしてそれはなぜか今、ホテルのテレビの前に置かれたローテーブルの上に乗っている。ピンク色の可愛らしい紙で、書いてある字もそれらしい丸文字だった。染はいつものお気に入りのソファーに座って、テレビを見るわけでなく、それをただじっと見つめている。 「・・・どないしたんやろ、染さん」 「うん、そうだねぇ、動かないねぇ・・・」 夕食以前のダイニングテーブルに座って、夏衣の暇潰しに付き合っていた紅夜は、その格好のまま一向に動かない染のことを心配してなのか、もしくは興味本位なのか、先刻からちらちらと煩いまでの視線をやっている。しかし染はそれに気付くことなく、ただテーブルの上に置かれたそれに熱心とも思える視線を注ぎ続けている。前回惜しくも敗北を喫した京義が、ふたりの目の前に無言でトランプを配る。その目にはいつもの眠気は影を潜めており、判別し難いが、どうやら覚醒しているようでもある。その左手首に厳重に巻かれた包帯にも、そろそろ目が慣れてきた頃合だった。京義がやや乱暴に配るトランプを集めて、夏衣がそれをトントンと揃える。紅夜も染を気に掛けていた目を戻して、自分の分を掻き集める。 「あれ何だろ、あのテーブルに乗ってるの」 「あ、ホンマや。あれ見てんのか」 それぞれが同じ数字のペアを自分の手札の中から探して、場に出している時だった。夏衣がふと染の目の前にピンク色の紙を見つけて、不思議そうに指を指した。その拍子に夏衣の手札の中にジョーカーがあるのを京義は見つけてしまったが、それに反応してリビングのほうに身を乗り出した紅夜は、それには気付いていないようだった。京義にとっては染の異変などどうでも良く、次の対戦で勝てるか否かだけが当面の問題だった。 「なぁ、染さーん!」 すると今度は紅夜が手札を全部表にして、リビングに居る染にそう呼びかけながら立ち上がった。夏衣がそれを集めて、殆ど全部出揃ったペアの組と混ぜる。もしかしてはじめからやり直すのかと、京義が思いながら見ていると、京義の手札も何も言わない夏衣によって奪われて、結局全部混ぜられてしまった。リビングの白いソファーにじっと座っていた染は、紅夜の大声に近い呼びかけには、ゆっくりだったが流石に反応して立ち上がった。テーブルの上のそれは、そのままそこに乗せられている。紅夜がジェスチャーだけで染にこちらに来るように促すと、染はまだ夕食がはじまるわけでもないのに呼ばれたことを不思議に思っているのだろう、ぼんやりとした表情のまま、そろそろと近寄ってきて、いつもは夏衣が座っている席が丁度開いていたので、そこに腰を据えた。 「一緒にトランプしようや」 「あ、あぁ・・・うん、良いけど」 染が曖昧に頷くのに、眉間に皺を寄せた京義がこれ見よがしに立ち上がる。 「じゃぁ、俺抜ける」 「えぇ、何でやねん!」 立ち上がった京義は、紅夜の制止の声を振り切って、眠そうに欠伸をしながら談話室を出て行った。夏衣も染もそれを何も言わずに見送る。全てのトランプを手中に収め、それを丁寧に夏衣は繰り出す。夏衣は器用なのか不器用なのか、妙に整然とこなすこともあれば、その逆もあり、どうやらトランプを繰ることは得意らしかった。先ほどの京義の手付きとは似てもにつかぬ、その柔らかい手捌きを紅夜はぼんやりと見ている染をじっと観察していた。ややあって夏衣がひとりひとりの目の前に手札を配り始める。 「なぁ、染さん」 「うん?」 「さっき何見ててん、あそこで」 「あ」 紅夜にそう指摘されると、自分の目の前に配られた手札を早々に捲って見ていた染は、思い出したように立ち上がった。本当に今の今まで失念していたのだろう。そうしてそのままリビングのローテーブルまで戻ると、そこに置きっ放しにしていたピンクのカードを拾って、それをずっと眺めていた割には酷くぞんざいにも思える方法で、着ていた黒のジャージのポケットに押し込んだ。そうしてそのまま、何事もなかったかのように戻って来ると、元々座っていた場所に腰を据え、夏衣が配った残りの札を集めて、持っていたものと照らし合わせはじめる。結局そうして紅夜の質問には答えなかった染の肘を突いて、夏衣が尚もしつこく問いかける。 「何なの、染ちゃん、それ」 「あー・・・うん、あー・・・」 「はっきりせぇへんな」 平常から染はそんな曖昧な返答しか遣さないことが多かったが、それに逐一訝しげに眉を顰めて紅夜が呟く。紅夜は特にそういう曖昧な返答が嫌いだった。もうその紅夜の手のひらの中に手札は数えるほどしか残っておらず、殆どは数字をペアにして、既に場に出されていた。染はもたもたと危なっかしい手付きで、手札を減らしていく。ここにいる人間が全員夏衣の暇潰しに付き合っている割に、その夏衣は余り楽しそうな顔はしていない。それ以上にやはり夏衣も染のことが気になるらしい。 「女の子に貰ったの?」 「え?」 不意に夏衣が核心に触れて、紅夜が身を乗り出す。ちらりと染に目をやると、動揺を全く隠し切れていない表情で、目ばかり器用に泳がせていた。 「・・・な、何で分かるんだよ・・・」 「だってそんな可愛らしいもの、染ちゃんが買ってくると思わないし」 やはり夏衣は勘が鋭い。ずばり言い当てられて、それ以上何も言うことが出来ずに、染は夏衣の確かめるような視線から逃れようと、俯いてしまう。 「でも何で?染さん、女の子苦手やん」 「・・・あー・・・うん・・・でもさ・・・」 言い難そうに染は俯いたまま、しきりに顎を摩っている。 「俺、何かこのままじゃ駄目だろうし・・・付き合って、みようかな、って思って・・・」 「えぇ!」 椅子を盛大に引っくり返しながら立ち上がったのは、染の左に座っていた紅夜である。夏衣も紅夜ほどではないが驚くには驚いて、目を見張ってその場に固まっている。二人のリアクションは普段の染を知っている人間ならば、理解出来るだろう正当なものだったが、その本人である染自身はそれをどこか異質なものとしか認識出来なくて、心外そうに眉を顰めた。 「な、何だよ・・・」 「えー・・・でも染ちゃん、本気なの、大丈夫?」 「わ、分かんない・・・けど、何か、良い子そうだったし・・・」 俯いたままいつもより一層ぼそぼそと小声で喋る染を見ながら、夏衣はちらりとキッチンで夕食を作っている一禾の様子を伺った。しかし一禾はこちらに背を向けており、その表情はそこからでは窺い知れないものだった。事の成り行きは良く分からなかったが、これはこれで面白いことになりそうだと思いながら、夏衣は人知れず下唇をぺろりと舐めて湿らせた。

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