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繋がれてもいいひと Ⅵ

まるで命令でもするみたいに、夢という女の子を夏衣がホテルから連れ出してから1時間ばかり経った。帰ってくる気配は未だにない。はじめのうちは騒いでいた染も、暫くするとけろっと忘れて、いつものようにソファーに転がってリモコンを握っている。一禾は暖かい部屋でコーヒーを飲みながら、それを見るわけではなく見ていた。夏衣のことは気になっていた。ここのホテルにやって来た時から胡散臭い男だとは思っていたけれど、一緒に住んでいる癖にその生活実態や背景が見えないところも、何だか奇妙だとは思っていた。はじめはそういうことを詮索されるのが嫌いで、口を割らないだけかと思っていたけれど、夢への態度で一禾はひとり静かに確信していた。夏衣は何か大切なことを、自分たちにはひた隠しにしている。そしてそれが露見するのを酷く恐れている。時々見知らぬ人間が訪ねているのは、どうやら自分たちの知っている夏衣ではないようだ。そこまでは確実だと思うのだが、夏衣が何をそんなに恐れているのか、あんな無力そうな女の子相手に、目を吊り上げて何を必死に隠そうとしているのか、一禾には到底想像のしようもなかった。 (そういえば俺たちは・・・ナツのことは何も知らないんだな・・・) 一緒に住んでいるのに、こんなに長い時間一緒にいるのに、夏衣はいつもどこか虚ろだ。聞いてもまたはぐらかすに決まっているけれど、思いながら一禾は静かにコーヒーを飲む。ちらりと染の様子を見やると、変わらずソファーに転がっているのが見えた。 「染ちゃん」 「んー?」 一禾のところから染の黒い頭が僅かに動くのが見えた。染は一禾が夏衣に会う前に、家で一度夏衣には会っていると言っていた。染がホテルに引っ越すことになって、一禾はそれについてきた形になる。夏衣は特に何も言わずに、ひとりでもふたりでも同じだと言って笑った。若すぎると思った。もっと年配の男を想像してホテルを訪れた一禾は、夏衣は余りにもそのオーナーという言葉の響きからかけ離れていると思った。若すぎる男は分厚いレンズの伊達眼鏡をかけていて、本当のことは何も言わずに、いつも口から出まかせを言っている。ここでカロリーの高い物ばかり摘まんでいる癖に、全然太らないで虫みたいに痩せていく。 「染ちゃんって、ここに来る前にナツに会ってるんだよね」 「・・・んー・・・一回だけ、家に来た。あれ、その時一禾いなかったんだっけ?」 「うん、俺はいない」 「そうだっけ?変だったよ、ナツ。俺の方見て笑って、君みたいな不幸な子は大歓迎だって言った」 「・・・―――」 何でもないように染が答えたのを、一禾は少しの衝撃とともに聞いていた。随分不穏な出会い方をしている。染は視線をテレビに向けたまま、その時のことを思い出しているようだった。夏衣が変人でも変態でも、どちらでも自分と染には関係がなかった。他に方法がなかったからだ。これが最良なのか如何なのか、一禾には分からない、だけどあの時は自分も染も選択肢が見えないくらいに切羽詰っていたのだから仕方がない。そんなタイミングで計ったみたいに手を伸ばされたのが癪ではあるが。 「・・・変だね」 「うん、変だった。でも悪い奴じゃないんだなって思った。なんとなくだけど」 染の何となくは宛てになる気がした。染はひとが怖い分良く見ているから、洞察力はないが何かを嗅ぎわけるそういう動物的な勘はあると思っていた。人間はそんな風に良いか悪いかの二分にできるような、単純な生き物ではないと思ったが。 「何でそんなこと聞くの?」 「んー、いや俺達ってさ、ナツと一緒に住んでるけど、あんまりナツのこと知らないなって思って」 「・・・そう?」 相変わらず染はソファーにひっくり返ったまま続けた。染はそうは思っていないらしい、その声色から一禾は簡単に染の考えくらいなら察することができる。 「そんなことないと思うけどなぁ」 「・・・なんで、どこが」 「えー・・・だって俺、ナツのことなら結構知ってる。えっと、ナスが嫌いでしょ、で、チョコとかクッキーとかが好き、コーヒーも好き、ときどき煙草の匂いがする、3ヶ月に1回くらい実家に帰る。一禾のことが好き、本が好きで色々読んでる、何にもしてないけどだらだらするのも嫌い、料理できない、掃除苦手、美容院苦手あんまり行かない、気合入ってる時の眼鏡のフレームは銀色、何か知らないけど金持ち・・・えっとそれから」 「・・・―――」 染は人のことが怖いから、人の目が怖いから、それから逃れるように俯いて歩いているし、俯いて生きている。でも単純に怖がっているだけではなくて、対象の人間をよく観察している節がある。安全な誰かの背中、例えば一禾の背中なんかに隠れながら。相手が自分にとって害のある人間かどうか、染はそれを見極める努力を惜しまない、それはもうただ純粋に自分の為に。 「な、ホラ割と。何にもってことはねぇよ、俺たち一緒に住んでるのに」 「そうだね、でも一禾のことが好きっていうのは気持ち悪いからなしにしといて」 「えー・・・だってナツ、一禾と話してる時が一番顔が輝いてて楽しそうだけど」 「だからそれが気持ち悪いって言ってんの」 「はは、冷たい」 言いながら染が笑って、ソファーの上で体をくねらせた。ひとつひとつ指を折って、まるで幼い子どもが数でも数えるように、染がひとつずつ確かめたそれを、何となく一禾も繰り返して、ふっとひとつ息を吐いた。知らないなんてことはない、染の言うとおり知らないなんてことは勿論ないと一禾だって思う。夏衣がここで嘘くさく振る舞うそれをただそのまま受け止めていていいのかどうか、一禾には判別つかないというだけのことだ。あんな風に冷たい目で誰かのことを見る夏衣を、一禾は知らなかったから。自分たちの知らないところで生きている、夏衣の本当の意味での人生がきっとある。自分たちは虚構に付き合わされているのか、それとも金持ちの道楽なのか、どちらにしても偽物の一部でいるのは良い気分ではない。 (・・・遅い、何を・・・話してるんだろう・・・) 彼女の方が自分たちよりも遥かに夏衣のことをよく知っている、何だかそれだけのことが、酷くその時一禾には不当にも思えた。何故だろう。

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