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青い目のオペラ Ⅱ

efのスタジオに来るのは三度目だったけれど、染はまた心臓がはち切れそうなほど煩くなっているのが分かった。染の中では三回目も一回目も同じだ。ホテル以外では基本的に安心していられないのだ。流石に学校には慣れたけれど、気分が休まるかと言われたらそうでもない。隣にキヨがいてくれるから、まだ何とか叫ばず騒がす毎日を過ごせているのだ。俯きながらでも一応。自分を案内してくれた見知らぬスタッフが、少しここで待っていてと、スタジオの隅に通されて暫く経つ。隅にあったパイプ椅子に座って、染は照明の当たる眩しい場所を見ていた。そこにはすらりと背の高いモデルの男の子が、堂々と立ってポーズを決めており、それはまるでテレビの中か、もっと自分とは関係ない世界の出来事みたいに見えたし思えた。あんなに華やかな場所に自分は似つかわしくないと思うけれど、それでもその真似事をしていたりして、人生はあまり上手くいかない。考えながら染は滝沢のメールに誘われてまたのこのこやって来てしまったことをひどく後悔していた。 「染くん」 ふと声をかけられて見やると、そこには滝沢が立っていた。久しぶりに顔を見るような気がする。染と目が合うと、滝沢はにこっと人の良さそうな顔で笑った。童顔の彼はそうして見ると、また一層幼いように見えた。染は慌ててパイプ椅子から立ち上がって、それにどう返事をしたらいいのか分からないながら、ぺこりと頭を下げた。一禾から借りたサングラスはスタジオに入った時に流石に取っていたので、今染は自分を守るものが何もない。滝沢相手にそんなに警戒しなくていいことは分かっているつもりだったが、それでもまだどこかで不安だった。心臓のドキドキが煩くて、耳を塞いでしまいそうだ。 「来てくれてありがとう、こっち」 「あ、はい」 滝沢が指を指す方に、ふらふらとついて行く。ここのつくりはよく分からず、染はひとりでは上手く歩くことが出来ない。スタジオの外に出ると、そこは慌ただしく人が走り回っていたりして、染は彼らにぶつからないように注意しながらゆっくりと滝沢の後を追いかける。そういう人たちを見ていると、染はここが働く場所であり、学校や遊ぶところではないことをひっそりと自覚する。滝沢がひとつの控室の前で足を止めると、その部屋の前に黒川染様とちゃんと自分の名前が書いてあるのに吃驚して、染は声を上げそうになって喉に息を詰まらせた。滝沢が簡単にそこを開けて中に入って行く。 「今月から初夏の特集でね、今見たらちょっと寒そうだけど。スタジオの中温かくしてるから」 「あ・・・はい」 「これ染くんの、今回5パターン用意してみましたって佐藤さんが」 染用の衣装がかかったラックが部屋の隅に置いてある。確かに量は多そうだなと思って、染は言われるままそれに近づいたが、それを触っていいのかどうか迷って、伸ばした手を引っ込めていた。テーブルの真ん中に置いてあるお菓子や水、お茶をどけて、てきぱき準備してくれる滝沢のことを振り返って見やった。佐藤というのはオペラのスタイリストのひとりだったことは、何となく記憶にあった。滝沢は手に持った何かの資料をぺらぺら捲りながら、ふと染の方を見やる。 「染くん、今日何か聞いてる?」 「いえ・・・何にも、何にも?いつもどおりってことしか」 「だよね。あのね、言いづらいんだけど今月さ、染くん表紙にしようかと思って・・・―――」 がたん、テーブルの向こう、染は平坦な床の上でバランスを崩して倒れてしまった。それに気付いて、慌てて滝沢が言葉を切る。この見目麗しい大学生は、自分の見た目のことに酷く無頓着であまり興味がない癖に、友だちに押し付けられたらしい事情を抱えてここのスタジオにやって来た。それがはじまりだったように思う。その割にライトが当たると色んな表情が見えて、実にそれらしく、実は向いているのではないかと滝沢はひとりで密かに思っていたが、それを染に直接伝えたことはない。染は酷く鈍感にできている割には色んな事にナイーブにできていて、何が地雷になるか分からなくて面倒くさくて扱いづらい、それでいて素直だから反応はいつもかわいらしい、そう思っている、少なくとも滝沢の見解ではそうだった。そこを過ぎれば俯いていて声は小さいし、何かに凄く怯えて過ごしているわけで、見目麗しい容姿を持て余していてなんというかとても不憫に見えた。天は二物を与えないというのは本当なのだと滝沢に分からせるには十分だった。 「・・・ひょうし・・・というのは・・・一番・・・目立つやつ・・・」 「ま、まぁそういう認識になるよね。あのね、前手伝ってもらったのがやっぱり好評だったみたいで編集長がぜひって言ってるんだけど」 「無理です、嫌です!お、俺、そういうつもりじゃ・・・」 「・・・だよね、そうなるよね・・・」 腕を組んで滝沢はひとつ溜め息を吐く。染は置いてある椅子の足にしがみつき、ぶるぶる震えていた。表紙に載るのも中に載るのも結果的にあまり変わらないと嘘を吐くことも出来るけれど、何だかその姿を見ていると安易にそんなことも言えないような気がした。 「何かで釣るのは気が引けるけど・・・」 「・・・え?」 一瞬滝沢が声を潜めたせいで、染のところまで聞こえずに染は姿の見えない滝沢相手に聞き返す。滝沢はテーブルを回って、染のしがみついている椅子の隣の椅子を引いて、そこに座った。染は椅子の足をつかんだまま、滝沢のことを涙目で見上げている。 「あのね、染くん。藤ヶ谷くん知ってる?藤ヶ谷柚月くん」 「・・・ふじがや・・・」 「知ってるよね、好きなんだよね、染くん」 「・・・な、なんでそれを・・・」 「上月さんが教えてくれた」 「い、いちかのばか・・・」 「今日、藤ヶ谷くん来てくれてるの、うちの雑誌の今月の目玉。染くんが表紙頑張ってくれるなら紹介してあげなくもないけど」 言いながら滝沢が片目を瞑る。染はぶるぶると震える手を椅子から離した。出掛けに澄ました顔をして見送ってくれた一禾の表情が脳裏を過る。そもそもこのバイトを自分に押し付けてきたのは一禾だった。どういうつながりがあるのか分からないが、滝沢は一禾のことをよくは知らないような素振りだが、何か知っているようだった。一禾にそのことを尋ねたことはない。何となく女の人が絡んでいることは予測がつくだけに、余り深く尋ねることはしたくないと言うのが染の本音だった。 「・・・たきざわさんも・・・鬼だ・・・鬼ばっかりだ・・・」 そして見事に体育座りをして、膝に顔を埋めて呟く。そうすると染の悲壮感は一層増して、滝沢は酷く申し訳ない気持ちになったが、染はそういう気持ちを相手に育たせるのが上手いだけで、あまりそれを真に受けてはいけないことも一方ではよく分かっているつもりだった。 「ごめん、俺も本当はこんな風に取引したくないんだけど、多分染くん簡単に頷いてくれないと思って」 「・・・サイン、欲しい・・・」 顔を埋めた染が呟く。滝沢はそれを聞きながら笑った。 「頼んでみようね、ホラ、顔上げて、頑張ろう」 「・・・うー・・・もう絶対、やんないから、一回きりだから・・・」 顔を上げた染は、涙目になりながら滝沢の手を借りて立ち上がった。子どもみたいだと思いながら、滝沢は染の背中をぽんぽんと叩く。 「はいはーい、編集長にそう言っておくよ、まぁ聞いてくれるか分かんないけど」 「・・・え?」

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