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青い目のオペラ Ⅵ
柚月のサインを大事そうに抱えて、黒川染が控室から姿を消すと、柚月は振り返って酷く満足そうに笑った。それを見ながら、桐山は表情をいつもの無表情に戻していた。第三者のない控室の中、もう演技の必要はなくなった。自分もそして柚月も、どちらも。
「聞いたか、桐山」
「・・・なにを」
「ファンだって、俺の」
「それが」
「勝った!勝利したんだよ!俺は!」
一体何に。一般人の首を取り、勝ったと豪語するまだ10代のその男は、鬼の首でも取ったみたいな愚かな恍惚とともにあった。それにさっきも言ったはずだったが、戦う相手を如何考えても間違えていると思いながら、桐山は指摘するのが段々面倒臭くなっていた。
「よかったな」
「ファンだって俺の!見たか!さっきの顔!」
「すごい美人だったな、俺もこの業界長くいるけどあんな美人はじめて見た」
「え、あ」
ふっと柚月の動きが鈍くなる。
「しかもあの目、綺麗なブルーだったな。リゾート地の海の色みたいな」
「こ・・・んの、やっぱり嘘吐きやがって!ほんとはああいう!美人でモデルみたいなのがいいんだ!クッソ、変態!ホモ!死ね!」
「落ち着け、ゆず。黒川染は美人なモデルみたい、じゃなくて美人なモデル、そのものだ」
「ばか!そこじゃねぇーよ!」
「さぁ、仕事するぞー」
こんな時だけ的確で困る。考えながら桐山はそれを聞かなかったふりをした。紙面で見た時のような幸せで華やかなオーラが生身の黒川染には全く感じられなかった。本当に一般人に毛が生えたような印象だった。ただその容姿は群を抜いていると思ったが。それが照明を当てられるとあんな風に光って、あんな風に眩しくなるのか、見てみたい、桐山はただ純粋にそう思った。
「いやだ!もう、帰る!くるま!くるま!」
隣で柚月がまた懲りずに吠えている。
柚月の控室を出たところで、染は呆然と手の中に残った色紙を見ていた。そこにははじめて見る柚月のサインと直筆で『黒川染さんへ』と書かれている。何度見返してもそう書かれている。染がそれを食い入るように見つめるために丸めたその背中を後ろから見ていた滝沢がポンと叩く。染は慌てて振り返った。その頬はほんのりと上気して桃色に染まっている。
「良かったね、染くん」
「・・・は、はい・・・か、かっこよかった・・・」
「んー・・・そうかなぁ?」
確かに顔つきは整っているが、藤ヶ谷柚月はまだ10代らしい幼さとともにあった。笑った顔はかっこいいと表現されるよりはまだかわいらしさを残している。それが今後どのように変化していくのか、まだその糊代を残している分発展途上に見えた。染のようなひとつの完成された美しさとは全く別物だ、滝沢は考えながら、また色紙を覗き込んでいる染の横顔をそっと見やる。何故彼にそこまで固執するのか分からないけれど、これで染がやる気になってくれるのならば、安いものだと思いながら下唇を舐める。夢中になって目線でサインをなぞる染の肩を、もう一度ぽんぽんと滝沢は叩いた。
「さ、約束だからこれから頑張ろうね」
「・・・あ、そか」
「なに、忘れてたの?」
サインを抱いて染は照れたように笑った。如何やら本当に頭から抜けていたらしい。先程までパイプ椅子にしがみついてがたがた震えていたことが、まだ滝沢には克明に思い出されると言うのに。本人は暢気なものだなと思うと少し罪悪感が紛れる。
「でも、藤ヶ谷さんってもうちょっとつんけんしてるひとかと思ったけど、結構人当り良さそうだったね」
廊下を歩きながら滝沢が振り返って言う。柚月が話しているところを、染はほとんど見たことがない。柚月は台本のあるドラマや映画、それかCMのようなものにしか出演しない。時々モデルみたいなこともやっているみたいだが、そこから彼の本質を窺い知ることは出来ない。柚月が自由に話しているところといえば、映画の制作発表くらいで、それも若年であることを考慮してなのか、重要な役回りでも檀上しないことも多かった。流石に主役をやりはじめてからはマイクを持って話すこともあるが、彼はそういう時10代の若い俳優らしさはなく、どこか優等生のように決まりきったことしか言わない。一度週刊誌に柚月は台本がないと喋ることが出来ないと書かれていたことがあったが、染もファンでありながらなるほどと思ったものだった。だから柚月はその時の役によって大分印象が変わった。儚くて優しい少年役も、心に傷を負った弟役も、狡猾な犯人役も、その全てが柚月であり、また柚月ではないようで染はそこが一番好きだった。
「そうですね・・・俺も、藤ヶ谷柚月がちゃんと喋ってるところ見たのはじめて・・・」
「ウチもさ、はじめはインタビューもお願いしてたんだけど、向こうサイドに断られちゃったみたいでさ」
「へー・・・確かにあんまり・・・インタビューとか読んだことない、かもです」
「何か色々あるんだろうね、若いのに大変だな」
適当に話を纏めて一度滝沢は前を向いた後、何かを思いついたみたいに振り返ってまた色紙を覗き込んでいる染の方を見やった。
「そうだ、染くん。連絡先とか、思い切って聞いちゃえばよかったね」
「え!」
染の足がぴたりとその場に止まって、目をちかちかとさせている。それを見ながら何でそんな顔をしているのだろうと思いつつ、口には出さないで滝沢は笑った。
「案外すんなり教えてくれるかも。それでご飯とか行けるような仲になれたかもしれない」
「そん・・・そんな、げいのうじんですよ!」
「染くんも似たようなもんだよ」
「全然違いま、す!」
滝沢が面白がって笑いながら言うのに、染はほとんどムキになって反論する。
「業界の先輩だしさ、色々教えてくれるんじゃないかなー」
「いいです、俺。そんなの。どうせうまく喋れないし・・・」
「なんで、藤ヶ谷さんは男だよ」
「男でも・・・あんまりうまくいかないこと多いから」
俯いて苦い顔をして眉を顰める染のことを見上げて、滝沢はその黒い髪の毛をよしよしと慰めるつもりで撫でた。染は顔を上げない。染の憂鬱はそんなことでは晴れないことを知っていたが、余りにも悲痛に言うのでそうせざるを得ない。しかしその時の染のあからさまなポーズはそうやって慰められることをまるで知っているかのようだった。染は被害者のふりをして時々そういう傲慢とともにある。
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