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青い目のオペラ Ⅶ

撮影はいつも通り滞りなく終了した。染の撮影は何故かいつも早く済む。あんなに俯いて自信がなさそうに困った顔をしている染は、ライトが当たれば別人みたいに笑ったりするから、やっぱりこの仕事向いているのではないかと思いながら、染に要らぬプレッシャーをかけてはいけないという優しい気持ちで、滝沢はそれを染には言っていない。パソコンに表示される撮ったばかりの写真を、染は余り見たがらない。他のモデルは写りをチェックしたりするが、染は怖いから嫌だと言ってあまり見ない。何を怖がっているのか滝沢にはよく分からないが、染が嫌がることは余り無理強いしないようにしている。現場ではすっかりメイク兼染の担当みたいになっている滝沢は、撮影が終わるとそそくさとスタジオを後にする染の後について控室まで戻ってきていた。 「染くん、ご苦労様」 「・・・緊張した・・・」 青い顔をして染が俯いて言う。緊張しているようにはとても見えなかった、と思いながら滝沢は口を噤む。衣装を脱いで綺麗にラックにかけ直す染を見ながら、滝沢は手持無沙汰にテーブルの上にあった先月号の『オペラ』を捲っていた。そこには染は載っていない。 「染くん、帰りにもう一回、藤ヶ谷さんところ寄ってみる?」 「えっ」 「そろそろあっちも終わってる頃だと思うんだよね。最後にお疲れ様でしたって挨拶して帰ろうか」 「・・・いいんですか、しつこくないですか」 「いいんじゃない」 多分、藤ヶ谷柚月は暫く『オペラ』には載らないだろうと滝沢は何となく思った。やはり柚月はまだ10代であるし、『オペラ』の読者層を考えると余りにも若い。『オペラ』にも若いモデルはいるが、柚月は童顔で割とかわいいイメージが強い。なんとなく滝沢は柚月の雰囲気が『オペラ』にはそぐわないと感じていた。だから染が会うことができるのも、おそらく今日を逃せばまた何か月、もしかしたら何年後、になるかもしれない。染がこの仕事を続ける気がないのだったら、おそらくもう二度とはこんな風に会うことはできないだろう。だから最後に顔くらい見ておいてもいいのではないかと滝沢は思った。普通なら染が言うようにしつこくこんな風に何度も挨拶しないのだが。何気なくそれに返事をすると、染は迷っている風だったがその目は期待に満ちていて、ほとんど意思は決まっているようなものだと思った。分かりやすくて助かるが、染は本当にそれでいいのかとも思う。 「いいよ、行こう」 「あ、はい・・・」 強引に誘うと染はおずおずと控室を出てきた。何でも自分が強引に誘うから、染はそれに首を振りたくても触れないでいるのを分かっているが、なんとなく滝沢にとっては染が素直に頷いてくれているほうが都合が良いので黙っている。卑怯なのは分かっているつもりだった。控室を出て廊下を曲がる。柚月の撮影はスタジオではなく外で行われているらしかったが、先程撮影クルーが帰ってきていたのを滝沢は見ていたのでおそらく柚月も帰っているだろう。控室の扉を先ほどと同じ要領でノックする。染が自分の真後ろに立って息を詰まらせているのが分かった。唇の端で笑うと、染の体がびくっと跳ねる。 「はい」 中から桐山の声が聞こえて、滝沢は扉を開けた。そこにはきっちりとスーツを着ている桐山と私服に戻っている柚月がいた。双方荷物を纏めている途中だったらしく、そろそろ帰る気配が控室の中には満ち満ちている。ちらりと後ろに目をやると染はそこで硬直している。 「失礼します、撮影、順調に済みましたか」 「えぇ、お陰様で」 桐山の方がはっきりと答えて営業スマイルを向けられる。ちらりと柚月の方を見ると、柚月はぼんやりとした視線を滝沢の後ろに立つ染の方に向けていた。別段柚月も染に興味がないわけではないらしい、と思っていると、柚月が手を止めてこちらにすたすたと歩み寄ってきた。逃げそうになる染の腕を掴んで、出来るだけ自然な動作で止める。染の指が震えているが、滝沢は腕の力を緩めなかった。 「黒川さん」 「あ・・・」 滝沢の目の前に立って、柚月が染を見上げてにっこりと微笑む。染はそれに何も言えずに、また逃げようとして半身を捻る。 「今日はお会いできて良かったです。今度はぜひ撮影一緒にやりたいな」 「・・・あ・・・はい、こちらこそ・・・」 「これ、俺の連絡先です。良かったら今度、ご飯でも連れてってください。俺、これでも一応未成年なんでお酒は駄目ですけど」 言いながら笑って、柚月が名刺を差し出す。そこには藤ヶ谷柚月という名前と、ノイエコーポレーションのロゴが印刷されており、その下で柚月の手書きで電話番号とメールアドレスが書かれていた。先程控室で連絡先でも聞けばいいのにと滝沢は確かにふざけて言ったが、それはあくまでふざけて言ったことだった。まさか柚月がこんなものを渡してくるとは思っていなくて、面食らってしまった。そんなグラビアアイドルではあるまいし、と思いながらゆっくり染の方に視線をやると、染はそこでやはり目をちかちかさせていた。滝沢でさえ状況がよく分からない中、染は差し出されたものをただ反射的に受け取る。確かにその小さなカードには藤ヶ谷柚月の名前が載っている。染に分かったことはそれくらいだった。 「すみません、黒川さん。柚月この業界は結構長いんですけどあんまり友達っていないんですよ。人見知りなんで」 隣から桐山がすっと割り込んでくる。人見知り、滝沢は胸中で桐山の言葉を反芻した。人見知りと言われた柚月をそっと見やる。そこでにこにこと笑顔を張り付けて染と桐山を交互に見やっている。人見知りは今日会ったばかりの相手に連絡先など渡さないだろう、考えながら滝沢は、きっと柚月が何か他に考えがあって、きっとそれにこのマネージャーも噛んでいて、それを渡してきたのだろうと思ったが、ただの大学生のアルバイトモデルに一体何を期待しているのか分からない。 「良かったら友達になってやってください」 「あ・・・そんな・・・滅相もない・・・です・・・」 恐縮しながら一応会話しているらしい染の呆然とした顔を見上げながら、滝沢は不意に怖くなった。 「すみません、お帰りの準備をなさってるところ。最後挨拶だけと思いまして、また宜しくお願いします」 「ご丁寧に。こちらこそまた宜しくお願いします」 マネージャーは相変わらず営業色の強い笑みを浮かべて、滝沢のそれに頭を下げた。まだぼんやりとしている染の背中を押すと、はっとしたように頭を下げて染はそそくさと控室を出る。滝沢はそこを立ち去る瞬間一度振り返って見たが、柚月はそこで完璧すぎる笑みを唇に携えて、何処か真意の読めない目をして此方に手を振っていた。にこやかに、ひどくにこやかに。 「・・・ど、どうしよう・・・も、らっちゃった、名刺・・・」 「よかったねぇ、染くん。これでもうファンじゃなくてお友達だ」 廊下で染がぶるぶる震えながら名刺を大事そうに持っているのを見て、滝沢は少しだけ安心した。多分染は周りの環境が幾ら変わったって、このままなのだろうと思う。このままきっと変わらずに、いつだって新鮮な反応をくれるのだろうと思う、確証はないがそう思った。 「・・・すごいね」 染が感動して呟くのに、滝沢は適当に相槌を打ちながら、最後に見た柚月の表情を思い出していた。

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