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青い目のオペラ Ⅳ
「で、表紙は誰になんの」
テーブルの上に乗ったお菓子を片っ端から開きながら、柚月はだるそうに桐山にそう尋ねた。今後のスケジュールを確認するために手帳を開いていた桐山は、呼ばれて顔を上げる。お腹が減っているわけでもないのに、そんなものを口寂しいからと食べてしまう柚月の管理をするのはいつも自分だ。つけがいずれ回って来るぞと思いながら、またぎゃんぎゃん吠えられると面倒なので言わない。
「あぁ、黒川染とかいう大学生らしい」
「だいがくせい・・・おれが・・・大学生に・・・負けた・・・」
「勝ち負けの問題じゃないだろう、ゆず」
「うるさい!こんなの、勝ち負けの問題だろうが!」
確かに柚月の言うとおり、はじめにオファーがあったのは表紙と、巻頭グラビアとインタビュー、という話だった。しかし桐山は柚月に紙面でも映像でも、極力素顔が出るようなインタビューには応じさせていないので、巻頭グラビアまでなら引き受ける旨の返事をした。勿論柚月には相談していない。仕事の内容は桐山が桐山のやりたいように取捨選択して、桐山がほぼ独断で決めている。所属のプロダクションも、柚月の扱いが一番うまいのは桐山だと分かっているので、一々やり方に口を出したりしない。そんな風にあれこれ思案していると、結局巻頭グラビアのみという話で落ち着いたのだ。『オペラ』の読者層を考えれば妥当と思ったので、桐山は決定についてはあまり気にはならなかった。しかし柚月が引き受ける予定だったその表紙は、今回『オペラ』が抱えている専属モデルのひとりが務めるという話らしく、久々に興味が沸いた。そしてわざわざ彼が載っている号を担当にもらってきたのである。煩い柚月の目の前に、それを開いて見せる。黒川染はそこで笑っている。
「・・・これ?」
「そう。それ」
急に大人しくなって、柚月はその紙面を食い入るように見ていた。黒川染の名前は一度も聞いたことがないけれど、不思議な魅力のあるモデルだと思った。線が細い割には背が高くて、日本人の顔をしている癖に、鼻は高くて目は青い。そして何より笑っている写真が多かった。『オペラ』のモデルには余りいないタイプだ。例えばこんな風に柚月を黙らせることができる。
「・・・どう、負けてるか?」
「負けねーよ!」
どんっと机を叩いて柚月が吠える。威勢がいいことは良いことだ。考えながら、桐山はもうそれを煩いとは窘めなかった。
「・・・でもちょっとだけ、悔しい」
そして黒川染の載っているページを見ながら、珍しく柚月はしおらしくそう呟いた。素直で結構なことだと思って、手を伸ばして頭を撫でると、柚月は嫌がる素振りを見せずにただ俯いた。そんな風に全部しょい込んだりしなくたって、勝ち負けなんかで計らなくたって、構わないのだということを、この男は覚えない。頑張ってくれることは、真剣に仕事をしてくれることは勿論良いことだが、時々柚月は目の前にある課題以上のそれに溺れて、しんどそうに息を吐いているような気がして、もっと肩の力を抜けと言ってやりたくなる。言ったところで聞くかどうかは分からないが。頭から手を離すと柚月はちらりと桐山の方を見た。そんなもの欲しそうな顔をされても、他に差し出されるものがない桐山は困るだけである。
「ゆず、お前は俳優だ、モデルじゃない」
「分かってるよ、そんなこと」
「分かってるならこんな大学生と張り合おうとするな」
「でもなんか、やだよ。こいつなんかやだ。桐山だってこいつのことちょっと良いって思ってんだろ、だから表紙の話がなくなっても断らなかった、そうだろ?」
「・・・―――」
馬鹿なようで鋭い。思いながらそれにどんな返答が一番ふさわしいのか、桐山は考えた。それに頷くとまたぎゃんぎゃんと吠えられるか、この大学生に必要のない嫉妬でも向けそうで怖かった。面倒臭いことにならないのは一番どんな回答なのだろう、肘を突いたまま考える。
「俺はゆず以外興味なんてない」
「・・・嘘ならもうちょっと上手く吐けよ。この鉄仮面野郎」
眉間に皺を寄せて柚月は言ったが、口元はだらしなく緩んでいて、口ではそんなことを言いながら、結局嬉しいのだろうと思った。それにしても分かりやすくて助かっている。小さく息を吐いて桐山は椅子の背もたれに体重を預ける。最良の回答だったのか分からないが、取り敢えずの機嫌を取ることには成功したようだ。柚月と一緒にいると、時々言葉を酷く選ばなくてはいけないことがあって、面倒臭いと桐山は思っている。ぎゃんぎゃん煩い癖に繊細なところもあって、あんまり厳しくし過ぎると拗ねてもう仕事しないと言い出すこともあったから、飴と鞭の加減がなかなか難しい。この塩梅を他の社員が掴めなくて、誰かに任せても結局自分のところに戻ってくる柚月と、結局ほとんどデビューから一緒の時間を過ごしている。そろそろ自分以外の誰かにも懐いてくれればと思うのに、なかなか男は強情であり桐山を諦める気配がない。
「今日、来てんのかな、黒川染」
「さぁ、いるんじゃないか」
「ふーん・・・」
「なんだ、挨拶でもしてやるのか。随分下手に出るんだな」
「しねーよ、されても俺からする道理なんてねぇよ、ばか」
「そうか、なら俺が先にして来よう。ウチの大事な柚月くんと一緒に仕事をしてくれるんだから、顔くらい見てやっておいて損はないだろう」
言いながら桐山が立ち上がると、柚月が慌てたように破りかけのお菓子のパッケージをテーブルに離し、立ち上がって桐山の後を追った。
「待てよ、俺も行く」
「ゆずは待ってろ、お前から挨拶に行くのは可笑しい」
「うるせぇ、やっぱり興味あるんだろ、どんなやつなのか。嘘吐きやがって」
「違うって言ってるだろ。ほんとにお前は強情な上に人の話を聞かない・・・」
「なんでもいい、ひとりで行くな」
「何を怯えてるんだ、そんなに。『オペラ』も黒川染もお前を取って食ったりしないぞ」
しがみついてくる柚月の腕を払うようにすると、目を吊り上げて柚月は黙った。話をすり替えたのが分かったのか、馬鹿なままでいいのに変な知恵をつけて最近回避が上手くいかない。また煩く反撃されるかもしれないと思って、耳を塞ぎかけた手が止まる。
「違う、俺はただ・・・―――」
その時控室の扉がノックされて、それを敏感に感じ取った柚月が口を噤んだ。桐山がゆったりした動作で扉の方を見やった後、柚月に咎めるような視線を向けた。それが合図だ。ふたりきりの時間は終わり、自分は藤ヶ谷柚月に戻らなければならない。桐山の目はそれを柚月に促してくる目だ。嫌々それに頷く。桐山の首が動いて、もう一度扉の方を見やった。
「はい」
「すみません、ちょっといいですか」
「どうぞ」
桐山の低い声が、それに対して低温に響くのを、柚月はただぼんやりと聞いていた。言いかけたことは一体なんだったか、もう忘れてしまった。
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