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脆き末裔の憂鬱とは Ⅵ

秋乃の目には春樹はいつも通りに見えた。白鴇が会うのはやめておいた方がいい、と言った春樹は、秋乃が拍子抜けするほど、秋乃の記憶の中にいる弟で、いつも通りだった。 「鴇、髪の毛乾かして」 「承知致しました」 秋乃が障子を開けたまま、迷って何も言えずにいると、春樹は甘えた声で白鴇を呼んで、白鴇は瞬時にそう答えると、さっと立ち上がって春樹の後ろに腰を下ろすと、春樹の頭の上にあったタオルで、春樹の短い髪の毛を包むようにタオルで拭きはじめた。秋乃はそれを見ながら、唇が震えることを止めることができなかった。白鴇は白鳥当主付きの側近であり、その孫に当たる自分達、直系の白鳥ですら、会うことすら難しく、ましてやこんな風に世話係のやるような仕事を命じることなどできないはずだった。 「・・・春樹、鴇にそんなことさせちゃダメだってば。鴇はお父様の側近じゃない」 「いや、いいんだって。お父様が先週俺にくれたから」 「は?」 「ほんとは鷺のほうが欲しかったな」 「ご冗談を、春樹様」 あははと春樹が笑って、白鴇もそれを見ながらにこにこと笑っていて、秋乃はそこで何をふたりが話しているのか全く分からなくなっていた。 「・・・なんで?」 「知らない、もうすぐ死ぬんじゃない、あのじじい」 「春樹様」 嗜めるように白鴇は小さく呟いた。 「わかってるよ、だから跡継ぎの準備をしてんじゃないかな、身辺整理とか」 「・・・跡継ぎ・・・?」 「ホラ、俺が継承順位は一番じゃん、だから鴇のことくれたんだと思う。その内鷺もくれっかなー」 継承順位と春樹ははっきりと言って、秋乃は目の前が真っ暗になるかと思った。三兄弟の中で一番年上は秋乃だったけれど、長い白鳥の歴史の中で、女が白鳥になったことはないことを、秋乃は良く分かっていた。だから自分が白鳥の跡を継ぐことになるとは、勿論微塵も思っていなかった。だけど、秋乃と春樹の間には、夏衣という正真正銘の嫡男がいる、いるはずだった。 「秋乃だって知ってるだろ、俺たちの名前が継承順位になってるって」 「・・・知ってる、けど。でも、夏衣さんは」 自分は知っていた。白鳥の仕事を手伝っていたし、白鳥の歴史だって勉強しているつもりだった。けれどこの幼い弟は、そんなことをは知らなかったはずだ。一体いつ、誰にそんな悪知恵をつけられたのだろうか。はっとして秋乃は甲斐甲斐しく春樹の髪の毛をタオルで拭いている白鴇を見やった。もしかして白鴇がその話を春樹にしたのだろうか、白鴇レベルの人間ならば、継承順位の話を知っていても良さそうだった。 「夏衣がなれるわけないだろ、白鳥に」 春樹が笑ってそう言って、秋乃ははっとして春樹の顔をもう一度見た。春樹の声で確かにそう聞こえたけれど、それはもしかしたら幻聴だったのかもしれない。 「春樹?」 「オイオイ、マジかよ。ほんとに夏衣が嫡男だから白鳥の跡を継ぐと思ってんの?」 「・・・何を、言ってるの、春樹」 「冗談キツいぜ。あいつは一生白鳥の男娼として生きて死ぬんだ」 「・・・ーーー」 その時、秋乃には春樹が何を言ったのか良く分からなかった。音として確かに聞こえているはずなのに、それがどういう意味だったのか、秋乃には理解できなかった。後にこの会話を思い出そうとしても、秋乃はその春樹の言葉だけは、ぽっかりと抜け落ちて思い出せないでいる。 「何を言ってるの、春樹。夏衣さんを侮辱したら、あんたといえど、許されないわよ」 「侮辱じゃない。真実だろ。それにお前には俺に指図する権利はない」 「指図?権利?さっきから何を言ってるの、春樹」 その時、秋乃の着ている漆黒のスーツのシャツが後ろにくいっと引っ張られて、秋乃はイライラを押さえきれないまま、振り返った。そこには忘れていたが、黒崎がまだ膝をついた格好で座っていて、手を伸ばして秋乃のシャツを掴んでいた。表情は暗く曇っていて、今にも泣き出しそうな目は宙を泳いでいた。 「秋乃様、もうお止めください、これ以上は」 「何を言ってるの?黒崎まで・・・」 「お前の使用人のほうが正しいし賢いな。あーぁ、なんで女ってどいつもこいつも馬鹿なんだろ、お前も夢もヒステリックにキーキー叫んで馬鹿みたい。どうせ俺のスペアで生かされてるくせに、でかい面すんじゃねぇよ」 「・・・何ですって?」 白鳥は直系で繋いできた歴史がある。その中では、嫡男が病気や不慮の事故で死んでしまった場合のことを考えて、本来は跡目争いになりそうな第二子を残しておく風習があったらしい。それももう随分昔の話のことだと、秋乃は理解していたが、その時の春樹の言い分はそうではなかった。夏衣の後に春樹を作っておきながら、継承順位も兄の夏衣ではなく、弟に一番を付けているのは、何か理由があってのことなのかと、勿論この継承順位の話を聞かされたときからずっと思っていたが、それを誰に確かめたらいいのか分からないし、きっと真実が分かる人間でも、秋乃にはそれを教えないだろうと自分でも理解していた。 「・・・春樹、どうしちゃったの。あんたらしくないじゃない、全部」 「らしいって何?俺らしいってどういうこと?どうでもいいんだよ、そんなこと」 髪の毛を拭かれていた春樹はゆらりと立ち上がって、素早い動作で秋乃の首に手をかけた。絞められる、と本能が察知するよりも早く、その指に力が入る。 「ぐっ・・・!」 「うるせぇな、うるせぇからお前は俺が白鳥になったら一番に処分してやる。もうスペアは要らない」 息が吸えない、秋乃は自分の首を絞めている春樹の腕に爪を立てた。すると春樹の後ろからすっともう一本手が生えてきて、それがちょんちょんと春樹の腕をつついた。 「春樹様、お戯れが過ぎますよ」 すると魔法のように春樹の手からすっと力が抜けて、秋乃は急に酸素が供給されるようになったが、足に力が入らず、その場に座り込んでしまった。 「あ、ごめんな。秋乃、ちょっと強く握りすぎた」 春樹がその場にしゃがんで、過呼吸で立てない秋乃に目を合わせてにっこり笑ってそう、まるで何でもないことのようにそう言った。秋乃には春樹に首を絞められたことよりも、酷い言葉を浴びせられたことよりも、何よりもそれが怖かった。 「処分するなんて嘘だよ。俺の作る白鳥を見ててよ。夏衣のことも絶対に助けてやるから」

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