262 / 302
真砂で城を作りましょ Ⅴ
昔からその目のことは嫌いだった。正面から突き刺されると、何も言えない気がしていたから。
「なに?」
「え?」
「俺のこと待ってたんでしょ。何か用事があって」
冷たい言い方だなと自分でも思ったけれど、他の方法は一禾にはなかった。染はまるで何でもない瞳をつるりと光らせて、あぁと小さく息を吐くように相槌を打った。
「なんか変だったから、一禾」
「変じゃないよ、別に」
「・・・そうかな。ナツも紅夜も、心配してたぞ、お前のこと」
「・・・ーーー」
そんなことどうでもいいと思ったけれど、一禾はそれ以上何も言えない気がしていた。染に苛々をぶつけたところで、何の意味もないことを知っているけれど、一禾はそれをせずにはいられなかった、最早。2日離れたところではどうにも落ち着かない気持ちも、こんな風に染に優しくできない自分のことも、本当は嫌だった。もう少しのぞみの家にいるべきだ、まだ彼女が「いてもいい」と言ってくれている間は。この話が終わったら、全く終わりそうもなかったけれど、一禾は終わることを考えた、のぞみに連絡をすることを忘れないようにしなくてはいけなかった。それと今日の夜に食べたいもののリクエストを聞かなければいけない。
「一禾、なんでお前、そんなに苛々してるんだよ」
「・・・してないけど」
「してるよ。だって・・・ーーー」
その続きはなんだったのだろう。一禾は少しだけ何にも悪気がないのに、勝手に悪意をぶつけられる染のことはかわいそうだと思っていたので、その元凶が全部染の鈍感力のせいだったとしても、意図的に表情筋を緩めて、できるだけ笑っているように見えるように工夫して見せた。
「染ちゃん」
「・・・なんだよ」
「俺、しばらく帰らないから、ナツにそう言っといて」
「・・・ーーー」
染が下唇を噛んで、泣きそうな表情をして、一禾はそれで胸が痛まなかったわけではなかった。そうすれば一禾が言うことを聞くと思っている、意識的にではなくておそらく無意識的にそう思っている染のことも苛々したし、そういう穿った見方しかできない自分のことも、これ以上ないくらい嫌いだった。こういう時に子どもだなと思う。今朝、のぞみは一禾のことを「本当に大学生だったんだね」と言って笑ったけれど、どんなに見た目を取り繕っても、自分は何も持っていない、ただの大学生なのだと思う。
「・・・自分で言えよ」
「染ちゃん試験終わったの?レポートどれくらい残ってる?期限近いのからやらなきゃダメだよ。これ以上単位落としたら困るのは自分なんだからね」
「分かってるよ、そんな話、してない、だろ!」
ではどんな話がしたかったのだろう。珍しく声を荒らげて染が苦しそうにそう言うのを、一禾は酷く冷めた目で見ていた。
「そめー!」
その時、後ろから染のことを呼ぶ声が聞こえた。染の視線が一旦、目の前の一禾から反れて、声のする後ろに向かう。その視線の先を無意識に追いかけながら、一禾は少しだけほっとしていた。この不毛な話がようやく終わる気がしていたから。
「キヨ」
染が側にいる一禾にしか聞こえないくらいの小さい声で、キヨの名前を呼んだ。走ってきたのはキヨだった。近くまで来て、側に一禾がいることが分かったようで、キヨはあからさまにまずいといった顔をしたが、一禾にはもうばれていた。
「お、おう、一禾もいたのかよ」
「・・・いるけどなに」
「いや、別に」
言いながらキヨは視線を一禾から反らした。一禾は溜め息を吐いて腕を組んだ。一禾は怒っている風を装いながら、キヨがこのタイミングで来てくれたことに感謝していた。ふたりでいると本当は言いたくないことも、全部染に言ってしまいそうで怖かったからだ。ちらりと染の様子を見てみると、染はまだ唇を噛んで、泣きはしないもののぎりぎりの表情のまま、何も言わないで黙っていた。
「キヨ、構内で染ちゃんのことひとりにしないで。約束でしょ」
「ごめんって、ちょっとだけじゃん」
染に謝っているのか、一禾に謝っているのか分からないが、そう言ってキヨは俯く染の顔を覗き込んだ。そしてぎょっとして目を見開く。
「なに?なんでお前泣いてんの?女に声かけられた?」
「・・・別に、かけられてない」
「え?じゃあなんで泣いてんの?」
「泣いて、ない、から」
全く説得力のない表情でそう言って、染は顔を乱暴に手の甲でぐしぐしと拭いた。
「黒川、そんなに擦っちゃ駄目だよ」
染の腕を後ろから引いて、染が振り返ると鳴瀬は目を見合わせてにこりと笑った。その時まで鳴瀬がキヨ一緒にいたことに、気づいていなかった。一禾は自分の視野の狭さに驚きながら、舌打ちをしたい気分だった。鳴瀬はその胡散臭い顔を、一禾から見れば十分鳴瀬は胡散臭かったし、とても信用できなかったけれど、染は無垢にも友情を信じていて、そのギャップには吐き気がした。
「鳴瀬」
「大丈夫?具合悪いんじゃないの?」
「・・・大丈夫、悪くない」
自棄に染の顔の近くで小声で喋るその男は、爽やかな容姿に偽物の笑顔を張り付けている。少なくとも、一禾にはそう見えた。その間もずっと染の腕を掴んだままなのも気になった。離せと言うべきなのか、苛々しながら一禾は考えていた。
「何か怒ってたよね?上月、俺たちが来る前に」
「えっ、そうなの?俺が一緒にいなかったから?ごめんって一禾」
一禾の不穏な表情と、その表情から立ち上る苛々した雰囲気を、キヨだけは感度のいいアンテナで拾っていた。だからそこに触れることがまずいことも、キヨだけは理解していたので、その時馬鹿みたいな明るい声をわざと出すことによって、できるだけその場を和ませようとしたけれど、一禾の眉間のシワが深くなっただけで、キヨのそれは空振りをして終わることになる。
ともだちにシェアしよう!