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僕ら最後の晩餐に Ⅵ

撮影は今日も多分、順調に終わって、大体いつもの時間に染は光の当たる場所から解放されて、楽屋に戻ってきていた。携帯電話を確認すると、一禾からメールが届いていて、『ハンバーグできてるよ』と書いてあって、染はそれを見ながら自然と口角が上がることを押さえられなかった。 「染くん、お疲れ様」 滝沢にそう声をかけられて、慌てて顔を上げると、そこに鏡利もいたから、染はびっくりして思わず携帯を取り落とすところだった。 「何か随分嬉しそうな顔をしてるね、染くん。彼女からメールでも来てたの?」 「え、あっ・・・違くて、その」 「鏡利さん、そんな答えに困ること聞かないでください」 「そう?結構普通の質問だと思ったけどなぁ・・・」 鏡利は惚けているけれど、染のことをよく知らない人からすれば、確かに普通のことだったのかもしれない。染はきつく携帯電話握りしめたまま、どうしてここに鏡利がまたやって来たのか分からなくて、にこにこ笑っている鏡利と困ったような表情の滝沢を交互に見やった。滝沢がそんな染の助けを求めるような視線に気づいたのか、ひとつ小さく溜め息を吐く。 「ごめんね、染くん。急に」 「あ・・・全然・・・」 「鏡利さんが、今日ご飯でもどうかって言ってるんだけど・・・染くん一緒に来ない?」 「えっ」 滝沢は相変わらず困ったような表情のまま、そう言って、鏡利はその隣でにこにこ笑っていた。手の中ですっかり熱が冷えてしまった携帯電話が沈黙しながら、染の返事を待っている。 「あ、勿論、俺も行くからね、ひとりとかじゃないよ、安心して」 「あ・・・はい・・・えっと、今日は」 そう言って染は、確かに断ろうとしたはずだった。 「染くん、君ともっと話がしたいんだ、ダメかな」 「えっ・・・あ、はい、えっと」 「オッケー、車回すね、表で待ってて」 「・・・えっ・・・」 鏡利は有無を言わせぬにこにこ顔のまま、手でオーケーサインを作ると、染がそれに何か言う隙間を与えないようにしているのか、そのまま部屋を出ていってしまった。残された染は、その理由を確かめるために、滝沢に視線をやって助けを頼んだはずだったけれど、滝沢はそこで諦めた顔をしていて、もうそれはふたりがこの部屋に入ってくるときから決まっていたことなのだと察知した。 「ごめんね、染くん。用事とかなかった?」 「・・・あ、用事、というか、まぁ」 携帯電話の電源をつけ直すと、一禾のメールを開いたところで止まっていた。 鏡利に連れて来られたのは、マナティホテルの最上階で、白いシャツに黒のジャケットを着た自分より確実に年上のボーイが頭を下げて店内を案内してくれるのに、ぎくしゃくとついていきながら、冷や汗が止まらないから、やっぱり断れば良かったと、ここに来るまでの間に100回は考えたことを、また考える羽目になっていた。多分、ドレスコードのあるお店のようで、スタジオを出る時に衣装で着たジャケットを貸してくれた滝沢も、普段よりきっちりした格好をしている。今日のこれは、もしかしたら滝沢にとっては予定されていたことなのか、それともこういうことは良くあって、その時のために滝沢が用意周到に準備をしているのかは分からなかった。染はボーイが自分のために椅子を引いてくれるのに、上手く合わせて座ることができなくて、ぎくしゃくと体を動かしながら、そんな考えてもどうしようもないことを考えていた。 「染くん、来てくれてありがとう。なんでも好きなもの頼んでいいよ」 「今日は鏡利さんの奢りだから、ほんとに好きなもの頼んでいいよ?俺一番高いコースにします」 「滝沢くん、君はちょっと遠慮しなさい」 あははと鏡利が笑いながら言って、染は見たところで良く分からないメニュー表を見ながら、それにどんな返事をするのがふさわしいのかを考えていた。 (一禾にハンバーグ作ってって言ったの俺なのに、悪いことしちゃったな・・・) 一応一禾にはご飯を食べて帰ることになったと伝えたし、一禾がそんなことを一々気にはしないことも分かっていたけれど、レストランに到着するまでに一禾から返事はなく、染はそれが気になって携帯電話を見たい気がしていたけれど、流石の染でもここで携帯電話を見ることが、失礼に当たることは分かっていたので、まだ一禾から返事が来ているかどうか、染は分からないままだった。一禾はホテルにいる時は、特に料理をしている時はほとんど携帯電話をチェックすることもしないし、きっとそれで見ていないだけで、怒っているわけではないのだと分かっているつもりだった。それでも自分で勝手なことをやっているのも知っていたし、一禾が怒っていたらどうしようと思っていたら、目の前に料理が運ばれてきても、鏡利が機嫌が良さそうににこにこ笑っていても、滝沢が呆れたように溜め息を吐いていても、そのことだけが気になってしまって、気が気ではなかった。 「染くんは大学で何を勉強してるの?」 ふいに鏡利がそう話を振ってきて、染は慌てて口の中のなんの葉っぱなのか分からない葉っぱを飲み込んだ。 「えっと、経済学です・・・」 「そうなんだ、経済のことに興味があるの?将来やりたいことがあるとか?」 「あー・・・別にそういうわけじゃなくて」 他の誰かがそう感じたり考えたりしているみたいなこととは違うことは分かっていたけれど、染はそれを上手く自分では説明できないと思った。他の誰かが当然みたいに考えたりしている将来のことについて、染は一度だって上手く考えられたことがないことを、分かってもらおうなんて思っていないから、そこから先に言葉が続かないのだと思っている。もう分かってもらうことなんか、ずっと前に諦めていたことのひとつだった。急に言葉を切って、それ以上何も言わなくなった染のことを、鏡利は不思議そうに見ていたけれど、染はそれ以上何も言えないと思った。言葉を尽くしても多分、意味なんてなかった。 (俺って、卒業したら、どうするんだろうな) (ホテルも出て、一禾とも別で暮らして) (そんなこと、ほんとに、できるのかな) そんなことができる日が本当に来るのだとしたら、それは自分にとって幸せなのか、それとも不幸せなのか分からない。なんの種類なのか分からない葉っぱは味がしなくて、多分ソースがかかっていないところを食べているから、そう染が感じただけなのかもしれないけれど、染はそれを租借しながら、言葉を尽くしたり考えたりすることは諦めて、ただホテルに帰って、一禾が作ったハンバーグが食べたいと思った。 (俺ってほんとに、狡い) こんなことで優しくされたいなんて分不相応だった、分かっている。

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