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檻から出すな肉食を Ⅰ

その日、その日はいつもと同じ日だったと思う。何か変わったことがあったと言えば、夏休みの間の夏期講習のために紅夜と京義が朝早くから学校に行っていたくらいで、他の何も変わったことなど何もなかった。染は談話室のソファーに寝転がって、昼間のつまらないワイドショーを見ていた。それしかすることがなかったからである。夏衣はダイニングテーブルに座って、昨日から読んでいるサスペンスホラー小説の続きを読んでいたし、一禾は多分、キッチンにいたけれど、昼食が終わってからしばらく経っていたから、後片付けもある程度終わって、夕食の献立でも考えているところだったと思う。 その時、談話室の中にインターフォンの音が鳴り響き、一禾と夏衣はそれに反応してぱっと顔を上げた。染はその音がしようがしまいが、自分には関係のないことだと思っていたが、一禾のスリッパの音がキッチンからぱたぱたと出てくるのが聞こえて、寝転んでいた姿勢を戻してソファーから乗り出した。 「誰だろう、宅急便かな」 「えー、何にも頼んでないけどなぁ?」 「俺出るよ」 「あ、ありがと、一禾」 本来ならこういう時は、オーナーである夏衣が対応することであったが、ホテルの中に設置されている電話といい、時々しか来ない来客といい、一禾が対応することも少なくはなかった。一禾がそう言って、談話室の扉に手をかけた時、染がソファーの肘掛けを乗り越えるようにして、ばたばたと出ていこうとする一禾に近づいてきた。慌てて一禾も足を止める。 「一禾、待って」 「なに、染ちゃん」 染の来客ではないことは、おそらく誰もが分かっていた。染は唯一安心できるこの場所に、誰か他人を招いたりしない。まぁ、招くような間柄の他人も片手で足りる数しかいないけれど。けれどその時、染は顔面蒼白になりながら、一禾のつけていたエプロンを捕まえるようにした。 「お、女だったら入れるなよ・・・」 「入れないよ、それに女の子は来ないと思うけど・・・」 「前に入れただろ!ナツの!」 顔面蒼白になって震える染が、悲痛に叫ぶようにそう言って、それではじめて一禾は確かにそんなこともあったなと、その時のことを随分昔のことのように思い出していた。自分はそんなことがあったことなんて、とっくに忘れ去っているが、この可哀想な幼馴染みにとってはそのことはとんでもない恐怖だったようで、その白くなった唇が震える様を見ながら、一禾は少しだけ溜め息を吐いた。 「あはは、染ちゃん大丈夫だよ、夢ちゃんは来ないよ」 「そ、それなら・・・いいけど」 笑いながら夏衣がそう言って、染は一禾のエプロンから手を離したけれど、一禾はその夏衣の確信的な言い方のほうが気になった。どうしてそんな絶対みたいなことが言えるのだろう、そもそも前に彼女が尋ねてきたのは、おそらく夏衣が想定していないことだったはずだった。夏衣ははっきりとは言わなかったけれど、ふたりの噛み合っているようで噛み合っていない言動は、一禾にそう思わせるには十分だった。 (どうしてそんなはっきり言えるのって聞いても、きっと答えないんだろうなぁ) サスペンスホラーの小説の続きを読む、夏衣の目の伏せられた辺りをじっと見つめても、ほしい答えはくれないことは分かっていた。夏衣は何かを隠しているし、それを自分達に知られることを、酷く怯えているように思えることもあるのだ。そんなことを夏衣にぶつけても結局「一禾は考えすぎだよ」と笑って、はぐらかされるだけに決まっていたので、一禾はそれを明らかにするのは今ではないと分かっていたけれど、時々、今日みたいなことが起こると夏衣のそれを疑わずにはいられないのだ。 「じゃ、俺出るね」 「うん、お願いー」 「女は入れるなよ、絶対!」 染のひっくり返った声に背中を押されて、一禾は後ろ手で扉を閉めた。そういえば、夏衣を尋ねてきた女の子は、もうひとりいたけれど、夏衣の彼女だと言って確かに仲が良さそうに見えたけれど、彼女もそれ以降、夏衣を訪ねてくることもなかったし、夏衣が彼女と連絡を取っている素振りもなかったし、話題にも上ることはなかった。あの子は一体どうなったのだろう、まだ夏衣と関係は続いているのだろうか。一禾はそんなどうでもいいことを考えながら、少し外に出る時だけに使う外履きに足を突っ込んで、扉を開けた。 「はーい・・・?」 そこには染が危惧した女の子は立っておらず、見知らぬスーツの男がふたり、一禾を見下ろすようにしていた。背丈は変わらないくらいか、もしかしたら一禾のほうが高かったかもしれないけれど、ふたりの男の眼光が鋭く威圧的だったので、そう感じただけなのかもしれない。 「・・・どちら様・・・ですか?」 しかし一禾にとってはまったく見覚えのないふたりだったので、やはりこのふたりは夏衣を訪ねてきたのか、と一禾が考えたのはそれだけだった。すると、ふたりの男の年を取った方が、若い男に向かって合図を送るみたいに顎をしゃくって、若い男は一禾の前に一歩踏み出した。 「失礼ですが、こちらに白鳥夏衣さんという方はいらっしゃいますか」 「・・・いますけど・・・」 男はにこやかに一禾にそう言ったが、やはりどこか威圧的だった。このふたりはやはり夏衣を訪ねてきたのか、と思ったけれど、何となく嫌な感じがするのはなぜなのだろう。 「失礼、では上がらせてもらいますよ」 「えっ」 年を取った男、相島がそう言って、一禾が手で押さえていた扉を勝手に大きく開くと、大股でホテルの中に入っていった。一禾が戸惑っていると、若い方の男、橋場も一禾にぺこりとお辞儀をすると相島に続いてホテルの中に勝手に入っていった。 「ちょ、ちょっと待ってください、なんなんですか」 「相島さん、本当だったんですね、ここ中身ホテルのままですね」 「改築してアパートになってるのか、なるほどな」 男たちは一禾の姿が見えていないのか、ふたりで勝手に話を進めて、靴を脱ぐとホテルの中にずかずかと上がっていった。一禾は慌てて扉を閉めると、ふたりの後を追いかけた。 「ちょっと、何なんですか、何の用なんですか」 「白鳥さんはどこに?」 「・・・奥にいますけど」 「こっちですね」 一禾の目の動きだけで、橋場が夏衣のいる談話室に続く廊下を指差して、一禾は言わなければ良かったと思った。 「何なんですか、警察呼びますよ」 談話室に行こうとする相島と橋場の背中を追いかけながら、一禾がそう言うと、橋場が振り返って笑った。 「ご心配なく、我々が警察です」

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