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檻から出すな肉食を Ⅴ
「へぇ、内装ってこうなってるんだぁ、普通の車とあんまり変わんないんですねぇ」
手錠をかけられて、自由を奪われているはずの男は、自棄に落ち着いていて、にこやかにそんな風に笑いながら世間話を後部座席から振ってくる。橋場はそれを聞きながら、奥歯を噛んだ。少年の失踪は1年以上前の話で、その間、少年の身元を隠しながら、側に置いていたのに、他の住人には全く悟られていなかったのは、不気味だったし、監禁するわけでもなく、学校に通わせていたようで、少年は年齢相応の生活をどうやら保証されているようだったことも、全く犯行の理由が分からなくて頭が痛かった。
(何のために、誘拐なんて面倒くさいことをしたのか、身代金を要求することもせず)
(そもそも学校に本名で通わせておきながら、それがどうして捜査に引っ掛からなかった?)
どうしてなのか、手錠をかけて犯人を確実に捕まえたと思っているが、依然として不明なところは多い。そもそもこの容疑者の個人情報が警察のデータベースに入っていなかったせいで、大幅に捜査は遅れてしまった。最終的には、穴だらけの情報を情報屋から購入することで、『ホテルプラチナ』の白鳥夏衣まで辿り着いたけれど、この人物が一体どんな人物なのかは、調べれば調べるほど分からなかったし、情報屋にも「悪いことは言わないから、関わらない方がいい」と釘を刺されたほどだった。
(もしかして、何か大きな犯罪組織と繋がってるのか?)
虫みたいに細い体に、柔和な容姿からは想像できなかったけれど、その巧妙に隠された全てを暴くことはできなかったが、手錠をかけて署まで連れていってしまえば、こちらの領域に乗せてしまえば、こちらのものだった。後は幾らでも時間をかけて捜査すれば良かった。
「パトカーに乗るのははじめてなのか」
「えぇ、手錠もはじめてです。でもドラマで見ていたのと、あんまり変わらないんですねぇ」
「・・・随分余裕があるんだな」
相島が声色を低めたのが、車を運転している橋場には分かって背中がぞくっと波打ったけれど、橋場は運転に集中しているふりをして黙っていた。
「そんな、余裕なんてないですよ」
「どうして子どもを誘拐した?何が目的で?」
「・・・俺は誘拐なんかしてないんですけどねぇ」
飄々とした様子を崩さない夏衣がそう言って、くつくつと笑うと、後部座席からドンッと何かが何かにぶつかる音がした。ちらりと橋場がルームミラーで後部座席を見ると、相島が夏衣のその頭を掴んで、窓ガラスに押し付けているのが見えた。
「ちょ、ちょっと相島さん、まずいですよ」
「・・・まずいもんか、コイツは自分のやったことを理解してない」
「いや、でも暴力は、後に問題になります。大体今回の捜査だってほとんど違法みたいなもので・・・」
「それ以上しゃべるな、橋場」
相島が夏衣の頭から手を離しながら、小さく溜め息を吐くみたいにそう言った。橋場は一旦相島が夏衣から手を離したのが分かって、少しだけほっとした。もう一度ちらりとルームミラーを見ると、夏衣のこめかみから、つうっと血が流れてぽたりと落ちていった。夏衣はルームミラーで橋場がこちらの様子を見ていることに気付いたのか、ミラー越しに目を合わせると、乱れた髪の毛のままにこりと微笑んだ。
(笑ってやがる、やっぱり、異常者なんだ)
(ホテルにいる、他の人はまともそうに見えたけど、大丈夫なのかな)
ひとりは奥にいてずっとそこから動かなかったから、どんな人物かも良く分からなかったけれど、自分達を迎え入れてくれた一禾は、少なくともまともに見えた。まともなことを言っているように見えたし、驚いたり狼狽えたりする様子も、普通の人間ならばきっとそうするだろうと思えるほどには、まともに思えた。けれど多分、夏衣は違った。ひとりだけ椅子に座ったまま、怯えも狼狽えもしなかったし、弁明のひとつもしなかった。ただ面倒くさそうにしていただけだった。
「相島さん、本部に連絡しましょう」
「・・・それもそうだな」
橋場は何だか怖くなってきて、はやく署まで着けばいいのにと思ったけれど、車は思ったよりは進んでいないような気がした。本部の誰でも良いけれど、連絡をして、この事態をふたりで抱えている現状から抜け出すことができれば、それ以上のことはなかった。夏衣と密室にいることも、このほとんど違法みたいな捜査も、何もかもこのままでは悪いことが起きそうで、怖いような気がしていた。
「お疲れ様です、捜査一課の相島ですが」
後部座席から、相島の電話をする声が聞こえてきて、橋場は少しだけほっとして前を向いた。まだ署には着きそうもない。
「例の誘拐事件の容疑者を確保しました。いや、まぁ楽な仕事でしたよ」
「今車に乗せて向かってます」
ちらりとルームミラーでもう一度夏衣の様子を確認すると、夏衣はただ俯いていたけれど、その唇は引き上がっていた。そのこめかみを伝っていた血は、いつの間にか乾いている。
(相島さん、なんか、コイツは)
(コイツはまずい、気がする)
喉の奥が急に狭まった気がして、ひゅっと小さく音が鳴った。
「えぇ、橋場とふたりで捜査してましてね。容疑者の名前は、えっと」
「白鳥夏衣」
相島が確かにそう、名前を読み上げるのが聞こえた。
「あーぁ」
すると隣に座っていた夏衣が、詰まらなさそうに急に声を上げて、相島が携帯電話から一瞬耳を離した。
「なんだ?何か言ったか?」
「いえ、もうドライブも終わりなのかと思って」
「なんだ、もう着いたのか、はやいな」
「いえ、相島さん・・・まだ着いてない、です」
返事をした橋場の声は震えていた。夏衣が何を言っているのか、橋場にはまだ分からなかったけれど、何かとんでもなく、自分達はもしかしたら間違ったことをしたのかもしれないと思ったら、急に恐怖が込み上げてきて、勝手に唇が震えはじめた。
その男の正体が、例え分からなくても。
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