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あの欲しかった愛のこと Ⅰ
「あんな奴、親なんかじゃない・・・ーーー」
絞り出すようにそう呟いた京義の顔は、確かに憎悪も混じっているようだったけれど、それを近くで眺めていることしかできなかった紅夜にとっては、どこか切なそうにも見えたから不思議だった。一禾も染もそれ以上何も言えないみたいに、しばらく黙っていて談話室はどこか異質な沈黙にただ満たされていた。誰もがその気持ちを知っているような気もしていたし、絶対に共感できない何かだったような気もする。その時、カンッと乾いた音がして、京義が持っていたコップをシンクに戻したのが見えた。はっとして紅夜は慌てて顔を上げて、京義の横顔を確認した。京義がどこかに行ってしまうような気がして、急に不安になって、本当はその腕を掴んでいたいくらいだったけれど、そんなこともできなかった。
「京義・・・」
「夏衣、どこに行ったんだ」
「どこって・・・分かんないよ、多分、警察署に連れて行かれたんだと思うけど・・・」
京義のその真っ直ぐな眼差しが怖いほどだと、一禾は思っていつもより自分の言葉が浮わついているのが分かった。京義はすっとキッチンから離れると、談話室の扉に手をかけた。その後ろ手を一禾が慌てて掴んで、京義は一旦そこで動きを止めたので、紅夜はほっとしていた。
「どこ行くの、京義」
「夏衣を探してくる」
「無駄だよ、警察署に入れてもらえるはずないでしょう」
「・・・ーーー」
そこで京義は振り返って、一禾の目を真っ直ぐ見たけれど、他に何を言うべきなのか分からなかったみたいで、京義は半分開いた口をすぐに閉じることしかしなかった。
「じゃあ、どうすればいいんだよ・・・」
俯いて唸るようにそう呟いた京義は、今までで一番年相応の子どもに見えた。いつも達観していたし、何があってもどこか他人事だったけれど、その時だけは酷く苦しそうで、見ていられなかった。一禾が必死で言葉を探していた、その時、ホテルのインターフォンが鳴って、その重苦しい沈黙は一度破られた。
「・・・きっと警察だ。俺が出る、皆ここにいて」
一禾は小さくそう呟いて、染も紅夜も黙ったまま頷いたけれど多分、それは京義に向けて言った言葉でしかなかった。京義の腕を掴んでいた手をゆっくり離しても、京義がどこにも行かないで、そこに立っていることが分かると、一禾は談話室の扉を開いて外に出ていった。
(多分、京義を迎えに来たんだ)
そう言ったら多分、京義は嫌がってどこかに行ってしまうのではないかと思って、一禾はそれが分かっていたけれど、京義の前ではそう言わなかった。狡いと思ったけれど、こうなった以上、親に京義を引き渡す以外の選択肢を、自分達がすることはできないと思った。それが夏衣の潔白を証明するための材料になるのか、ならないのか分からないけれど、もうこれ以上嘘はつけなかった、誰にも。
「はい」
ポーチにある脱いだままの形を留めている外履きのスリッパに足を突っ込んで、一禾は返事をしながら扉を開けた。そこにはスーツを着た男がふたり立っていた。デジャヴのようだと思いながら、一禾はもう愛想良くするのも、変に警戒するのも止めにして、扉を開いて男たちをホテルの中に招き入れた。
「警察ですよね、お待ちしてました。どうぞ」
「どうも、京義くん、帰ってますか」
「えぇ、ついさっき」
にこっと笑う若い男に向かって、一禾は敵意を向けるわけにもいかずに、ただ納得いかない気持ちのまま、無愛想にそう答えた。すると若い男はふっと振り返って、後ろの男に向かって言った。
「良かったですね、薄野さん。息子さんいらっしゃいますよ」
男の何気ないその呼び掛けに、はっとして一禾は顔を上げて、そして「薄野」と京義と同じ名前で呼ばれた男の顔を見た。確かに男は、スーツを着ていたが、それは警察らしい男が着ているものとは違って、素人目にも分かるくらいには酷く小綺麗なものだった。そのアーモンド型の瞳も、シャープな輪郭も、少し憂いを帯びた独特の雰囲気も全部、そう言われて見れば、どこか京義に似ているような気もした。そこで一禾に、男が京義の父親なのだと分からせるには、十分な材料だった。
(・・・この人が、京義の、父親)
一禾の食い入るような視線に気付いたのか、男は一禾に目を合わせると小さく会釈をした。そのひきつった頬は、どこか緊張しているようにも見えた。京義が「あんな奴親じゃない」と吐き捨てたのを、聞いていたから、どんな人格破綻者なのだろうと思っていたけれど、その時、一禾の目に男は酷くまともそうに見えたから、京義がそう言ったことの意味は分からなかった。
「こちらです、どうぞ」
「どうも」
談話室の扉を開けると、思ったより近くに京義は立っていて、一番最初に入ってきた警察の男のことを見た後、それからゆっくりと後ろに立っている父親に視線を移した。
「京義・・・!」
息を飲むみたいにそう男が呟くのを、一禾は男の背中越しに聞いていた。
「息子さんですか?」
「えぇ、間違いありません。京義、良かった」
警察の確認にやや上擦った声で返事をすると、男はふらふらと京義に近寄っていって、そのまま京義のことをぎゅっと正面から抱き締めた。京義はさっきまで威勢良くしていたのが嘘みたいに、人形みたいに簡単に男の腕の中におさまっていた。
「良かった、無事だったんだね」
そう言って、男が京義のブリーチされた白い髪の毛を撫でる指が震えていて、警察が言っていたことは本当なのだと一禾は理解していた。本当にこの男は京義の父親で、失踪した京義のことを、きっと長い間探していたのだ。ひきつっていた頬も、震える指も全部、その証明だと思った。
「・・・ざ、けんな・・・」
静かだった談話室に、唸るような京義の声が響いて、次の瞬間、京義は滅茶苦茶に腕を振り回して、男の腕の中から逃れると、そのまま握った拳で男の顔を思いっきり殴っていた。誰かがその間に入って止める隙もないくらい、そこにいる誰もが、そんなことになるとは思っていなかった。
「京義・・・」
「うるせぇ!鏡利!お前なんか、親でもなんでもねぇんだよ!」
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