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イミテーションゴールド Ⅰ

「京義」 不意に呼ばれて京義は振り返った。そこには夏衣がいつものように、痩せてぺらぺらの体を支えるみたいに重心を左に片寄らせて立っていた。夏衣は京義と目が合うとにこりと笑うと、そのまますたすたと立ち尽くしている京義に歩み寄っていた。さっきまで人が多くてぶつかりそうになりながら、ふらふら歩いていたはずだったのに、夏衣の所作は自棄にスムーズで、まるでアニメーションみたいに見えた。 「やっぱりここにいた」 「・・・夏衣」 「駄目だよ、高校生がこんな時間まで外うろついちゃ。補導されちゃうからね」 いつものように本気なのか冗談なのか分からないことを、まるで保護者みたいな顔で言う夏衣の腕を、京義は思わず手を伸ばして掴んでいた。すっと夏衣の視線が上から降りてくる。 「お前、捕まったって、警察に」 「あぁ、大丈夫だよ、すぐ冤罪だって分かってくれたよ」 「・・・冤罪・・・?」 「俺は京義を誘拐も監禁もしてないでしょう、それは京義が一番よく分かってるんじゃないの」 「・・・ーーー」 真っ直ぐに夏衣に見つめられて、京義は考えようとしたけれど頭の中がごちゃごちゃしていて、上手く考えが纏められなかった。そうだったような気もするし、そうじゃないような気もした。夏衣の眼鏡の奥に見える、桃色に光る光彩を見ているだけで、頭が変になりそうで、自分の冷静な部分を徐々に欠いていきそうだったので、京義は慌てて視線を反らした。 「まさか、京義。俺のこと心配してくれてたの?」 「・・・心配じゃない」 「えー!かっわいいとこあるじゃん!」 「でかい声出すなよ、往来で」 掴んでいた腕をぱっと離すと逆に夏衣が抱きついて来ようとしたので、それを軽くいなしながら、京義は自分がほっとしていることを、嫌でも自覚しなければいけなかった。どんな理由であっても、自分の居場所を失えないと思った。鏡利に見つかった以上、ここではもう暮らせないと思いながらも。 「帰るでしょ、ホテル」 「・・・」 「車待たせてるからおいで」 「・・・帰らない」 夏衣が半身になって、京義にそう言うのに、京義は短い言葉でそう返すのが精一杯だった。夏衣の体がそこで止まって、もう一度京義に向き直る。 「なんで?お父さんにばれちゃったから?」 「・・・ーーー」 そうかもしれないし、そうじゃないかもしれなかった。京義は考えながら目を伏せた。どうしたらいいのかなんて分からなかった。エマが死んだ時から、いやもっと前から、エマが母親として機能しなくなってから、頼る大人が誰一人いなかったから、京義はずっとどうしたらいいのか分からなかった。目の前のことに翻弄されていたらいつの間にか、夏衣のところに、ホテルに辿り着いたみたいなものだった。京義はもう一度視線をあげて、さっきよりは少し遠いところにいる夏衣のことを正面で捉えた。 そういえば、夏衣とはじめて会ったのも、情報は多くても何もない、この繁華街の中心だった。 「牧、車止めてくれる?」 「何かありましたか?」 「うん、ちょっと」 傍目から見ても、その少年が当てがあって歩いているようにはとても思えなかった。夏衣は小牧が路肩に停めた車から降りると、空が暗くなればなるほど明るさを増す、繁華街の中に入っていった。小牧が後からぴったりとついてきているのが分かったけれど、命令をしたところで、小牧が自分から離れる選択はしないだろうと思って、夏衣はあえて何も言わなかった。人が多いとその分目につきやすく、死角も多いから守りにくくて嫌なんですよと、いつか白橋が笑いながら言っていたことを思い出した。小牧は笑ったり怒ったりはせずに、いつも感情が一定だから難しくなくていいなと少しだけ夏衣は考えた。 「ねぇ、君」 「・・・?」 荷物は肩にかけた鞄ひとつだった。家出少年かなとその姿を見ながら、夏衣は考えた。車から見かけた横顔は一瞬だったけれど、呼び掛けに素直に振り返ったその少年は睫毛の長い、アーモンド型の瞳が印象的な美しい造形の子どもだった。 「こんなところで何してるの?中学生でしょ、帰らないとそろそろ補導されちゃうよ」 「・・・帰るところなんてないので」 少年は美しい顔をしていたが、どこか疲れた印象もあった。その美しい顔を半分以上陰らせて、まるでこの世の終わりみたいにそう呟くのに、夏衣は思わず口角を引き上げていた。 「そうなんだ、家出してきたの?」 「・・・まぁ」 「行くところないなら家においでよ、部屋余ってるから」 「・・・ーーー」 夏衣は長い睫毛を瞬かせて俯く、少年の暗い影の部分に気づいてはいたけれど、そんなことはまるで気にしていないと、気づいていないと言うみたいに、努めて明るく、にっこり笑ってそう伝えたが、彼はすぐには返事をしなかった。隠しきれない闇を引きずりながら歩いている割りには、聞かれたことに素直に答えてしまう辺り、自己防衛が全然できていないのは少し話してみれば分かることだったので、多分自分ではなくても、嗅覚が鋭い別の悪い大人に声をかけられた後だったのかもしれない。 「夏衣様」 不意に後ろから夏衣にしか聞こえないくらい小さい声で、小牧が夏衣のことを呼んで、夏衣は半身になって小牧のことを振り返った。無表情の小牧の眉間にはシワが寄っていて、それを見ただけでどうすればいいのか分からずに困っているのが分かった。 「どうしたの、牧」 「こんな素性の分からない人間とお住まいになるのは危険です、お止めください」 「分かった、じゃあ素性は牧が調べてよ」 「そういうことではありません」 「えーだってかわいそうじゃない?まだ子どもだよ?見捨てるなんて非道じゃない?」 「・・・」 「これは人助けなんだよ、牧」 小牧の迷っている瞳に向かって、夏衣はそう言い聞かせるように呟くと、くるりと少年の方に向き直った。

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