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イミテーションゴールド Ⅱ

夏衣は振り返って、小牧にも分かるような明らかな嘘をついたけれど、小牧にはそれを指摘するだけの力がなかったし、止めるだけの力もなかった。もしかしたら一緒にいたのが白橋だったら少しは違っていたのかもしれないが、字継ぎの白橋は東方支部では夏衣の管轄下であったのに、夏衣に接触すると、パワーバランスが崩れるとでも思われているのか、夏衣とは直接会ってはいけないルールになっているらしく、その行動には制限がかけられていたので、実際に白橋がここにいることはできない相談だった。 「これ人助けだから」 そう言って胸を張る夏衣を、一層訝しげな顔をして小牧は見やった。夏衣が妙なことを言い出すことは度々あって、言い出すと聞かないことも度々あった。夏衣の後ろにただ立ち尽くしている少年は、ただ顔の造形が整っている以外の特徴は特になく、微塵の悪意や殺意も感じなかったけれど、プロは印象操作をしてくることくらい容易いので、夏衣のそれを鵜呑みにするわけにはいかなかった。しかし、小牧の目から見ても明らかに子どもは子どもであったし、このままこの町で色んな意味で無事に朝を迎えられるとは思えなかった。小牧が困って、黙っていると夏衣は小牧を黙らせるのは成功したと思ったのか、ふっと少年に視線を戻した。 「俺と一緒に来るよね、君」 「・・・金とか、何も持ってないですけど」 「分かってるよ、お金持ってたらこんなところうろついてないでしょ」 小牧が夏衣の肩越しに少年を観察していると、ふっと少年は顔をあげて小牧と一瞬目があった。何となく小牧は、その視線には見覚えがあると思ったけれど、誰だったかは思い出せなかった。そもそも本当に見覚えがあったのかも分からない。もしかしたら似ている他の誰かだったのかもしれない。 「何もなくても、いいんですか」 「・・・ーーー」 ふっと夏衣の顔が影って、小牧はそれだけで背筋が少し寒くなった。夏衣が何を考えているのかは分からないが、それが「良くない」ことであることは小牧にも分かった。もしかしたら人助けとは全く対局にあることだったかもしれないし、ここで夏衣の提案を断った方が、少年にとっては安全な結果を生んだかもしれない。夏衣は大股で少年の近くまで歩いていくと、その小さい顎を掴んでぐいっと上を向かせた。 「あるよ、君が、差し出せるものならここに」 少年は「薄野京義」という名前らしい。ホテルに連れて帰るまでに、小牧がデータベースで調べたところによると、白鳥とは関係のない一般の家の子どもだった。その短い時間で分かったことはそれだけだったけれど、それだけが分かれば十分だった。「白鳥」と関係がないことさえ分かれば、夏衣にとっては他のことはどうでもいいことだった。小牧が「その後調べてまたお伝えします」といつもみたいに仰々しく言ったので、夏衣はそれに適当に返事をしたけれど、それ以外の情報に夏衣は興味がなかったから、小牧が何を報告してきても、今後の展開の何も変わらないから無意味だと思っていた。 「今更怖くなっちゃった?でも京義とはそういう契約だから仕方ないよね」 夏衣があははと快活に笑うのを、京義は自棄に暗い表情で見ていた。ホテルの住民を、といってもこの時はまだ染と一禾しかいなかったが、紹介した後で夏衣が自分の部屋の扉を開けた時、京義はそこで一瞬夏衣について歩くのを躊躇ったように足を止めたけれど、夏衣がそう挑発するように笑うと、唇を噛んで部屋の中に入ってきた。表情は乏しいが、意思の強い子どもだと思った。そういうところが仇になって、こうして大人につけこまれたりするのだろうと考えながら、夏衣はベッドに腰かけた。 「ここで暮らす前に、契約についてちゃんと話しておこうね、ここで京義が暮らすためのルールだよ」 「・・・」 「ルールは簡単だよ、俺に呼ばれたら必ず来ること。他の人には話さないこと。代わりに俺は君に衣食住の全てを提供してあげる。ちゃんと守れるね?」 「あの人達は」 「あぁ、染ちゃんと一禾?一緒に住んでるんだ。あの二人は君とは違う契約だから、二人に話すのも禁止ね」 「・・・」 「一禾にばれたら俺殺されちゃうから、あはは」 「・・・分かった」 京義はそこに立ったまま、本当に小さく頷いた。頷いたけれど、理解したわけではなかった。それ以外に京義にはできる選択肢がなかったから、そうするしかなかっただけの話である。それを見ながら、15歳という年齢では、こんなにも判断力を失えるのかと思って、夏衣は少し恐ろしくなった。他に幾らでも自分を助けてくれる誰かはいるはずなのに、まるでそんなことも知らないで、可哀想にと思ったけれど、それはまるで自分に言っているみたいだった。だから夏衣はそれ以上考えるのをやめにした。 「じゃあ、決まり。こっち来て、服全部脱いで」 「・・・ーーー」 その時、京義は少しだけ躊躇ったように俯いたけれど、そろそろとシャツのボタンを外しはじめて、夏衣はただベッドに座ってそれをじっと眺めていた。途方もなく、長い時間に思えた。京義は京義で夏衣が思うほど無垢でも純真でもなかったし、多分三森が最後に吐き捨てて行った言葉もそういう意味だったから、こうなることは予測ができていたと半分くらいは思っていた。勿論、後の半分はもっと善良な大人が自分を救ってくれるかもしれないという、甘い考えだったかもしれないけど。 「ねぇ」 京義が一枚シャツを脱いだところで、夏衣が不意に口を開いて、京義はそろそろと視線を上げてベッドに座っている夏衣の方を見た。 「・・・なに」 もう面倒臭かったし、京義はそこで敬語を使うのはやめにした。夏衣は少しだけイライラしていたけれど、自分でも何にイライラしているのかは分からなかった。 「君は若くてかわいくて頭も悪くなさそうなのに、なんでこんなことするの?」 「お前が提案してきたことだろうが」 「そうなんだけどさ、理不尽だと思わないの」 「・・・別にどうでもいいから」 その時、夜は世界の全てで、京義の顔の半分を覆い尽くしていた。夏衣はそれを見ながら、そういう種類の絶望をいつか見たことがあったような気がして、それを思い出そうとしたけれど、記憶の奥深くに沈め過ぎたせいで、すぐには出てこなかった。 「どうでもいいって?生きてても仕方ないとか、そういうこと?」 「・・・そうは思わないけど」 「へぇ、なんで?ずっと救いのないような、暗い顔してるよね、京義って」 言いながら夏衣は笑っていたから、それはただの感想であって、自分を突き刺すための言葉ではなかったのだなと思ったけれど、それにしてはやり方が上手くなかった。 「自分で死ぬような馬鹿なことはしない。もっと生きたかったのに、死んだ人間に失礼だから」 まるで子どもみたいな目をしているのに、それに思ったよりも心臓の弱いところを突かれたような気がして夏衣はらしくなく、少しだけ怖いと思った。

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