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イミテーションゴールド Ⅴ
「そんなこと君には関係ないよね」
「・・・勿論、です」
空気が一瞬にしてひりつくのが、その時夏衣の隣に座っている京義にも伝わってきた。夏衣はにっこり笑うと、白石から視線を反らして、京義のことを見た。
「京義、ピアノ見ておきな」
「・・・あ、でも調律とか、そういうのしないと弾けないかも・・・」
白石が一瞬立ち上がる気配を見せたけど、夏衣がゆっくり瞬きをして、白石は何か思い出したみたいに、動きを止めてまた椅子に座り直した。
「良いよね、白石くん」
「・・・勿論、です」
「だって、ちょっと見せてもらいなよ」
別にピアノが珍しいものでもなかったけれど、夏衣がそう言うのを、断れる人間はここにはいないのだ、と京義は白石が俯くようにしながら考えた。二人の関係は、夏衣と「ミモザ」の中に入ってこないで外で夏衣のことを熱心に見つめていた小牧とも、少し違うようだと京義は思ったけれど、それを詮索するような立場になかったので、夏衣が言うように椅子から立ち上がると「ミモザ」の奥に設置されているグランドピアノに近づいていって、それを覆っている布をゆっくりと剥がした。
「・・・夏衣様、あの子は・・・本家の、なにか・・・」
白石は夏衣の正面の椅子に座ったまま、必要以上に体を強張らせて夏衣にしか聞こえないくらいの小さな声で呟いた。京義がテーブルから少し離れたところでピアノを見ていて、その背中がこちらを向いていないことを確認しながら、正面の夏衣に視線をやると、夏衣は京義の方を見ながら、自棄に気の抜けたぼんやりとした表情をしていた。それを見ながら、夏衣でもそんな顔をして誰かを見つめることがあるのかと、白石は思ったけれど、それはとてもではないが口には出せなかった。
「あぁ、安心して。白鳥とは全然関係ない子なの、ちょっと面倒見ることになって」
「・・・はぁ」
そういえば、夏衣は本家を離れてひとりで東京の隅に住んでいると聞いたことがあったけれど、本当だったのかと白石はいつか聞いた都市伝説みたいな話を思い出していた。白鳥に全然関係がないと言われても、夏衣と一緒に住んでいる時点で関わりがないとは、とても言えないのではないかと思ったけれど、それも勿論、夏衣相手に言えるはずもなかった。
「全然関係ない子だから、俺のこととか、白鳥のこととか、喋らないでね」
「・・・分かって、います」
「助かるよ、まぁ君のことだから大丈夫だと思ってるけど」
正直、本家には関わり合いになりたくなかったし、その中でも異質で異様な夏衣を相手にはしたくなかった。その為に本家から離れた場所でわざと暮らしているのに、そう思って白石は少しだけ唇を噛んだ。けれど夏衣が言うことに首を横に振ることもできなかった。
「まぁ本人、ピアノを弾きたいみたいなんだけどさ。どんなものか分かんないから、適当に接客とかさせてもいいよ。まぁ愛想は悪いから、あんまり役に立たないかもしれないけど」
「・・・はい」
ちらりと白石がピアノの方に目をやると、京義はピアノの椅子に座っていて、ほとんどほこりを被っているピアノの鍵盤を開いて、それをひとつだけ指で押した。ぽーんと音が鳴って、バーの中に響き渡った。その音がずれているのかいないのか、白石にはとても分からなかった。
「ちゃんと音出るじゃん。調律は必要みたいだけど」
言いながら夏衣が笑って、京義が奥で振り返った気配がした。
(弾けないなんて嘘を。こんなにも正確に音が分かるくせに)
そう思っても白石は何も言えなかった。
「京義、何か弾いてよ、元気になるやつ」
「弾かない。お前の前では絶対に弾かない」
「何でそんな意地悪言うのさー・・・」
あははと夏衣が笑って、白石はそれを黙って聞きながら、夏衣もそんな風に声を出して笑うこともあるのかと思った。そんな風に笑う夏衣のことを、はじめて見たような気がした。本家で見る時はいつも、陰鬱な空気に当てられて俯いて歩いてばかりいたはずだった。その造形はいつ見ても美しかったけれど、それをかき消すくらい夏衣は目に写る人間全員殺すみたいな鋭い目をしていることが印象的で、兎に角いつも尖っていて触ると毒があるその棘に突き刺されそうで怖かった。
(夏衣様でも、そんな風に笑ったり、するんだな)
不思議だった、そんな風に人間みたいな顔をする夏衣のことを、白石は知らなかったし、見たこともなかったから。きっと本家にいる人間は、こんな風に笑う夏衣のことを知らないでいるのだろうなと思ったら少し、白石には本家と離れて静かに暮らしている夏衣のことが、分かるような気がしたから不思議だった。案外自分と同じことを夏衣も、考えているのかもしれないと思って。
「ピアノ、いつから弾けるようになりますか」
「えっ」
気付いたらピアノの椅子に座っていたはずの京義は、白石の側に立っていて、そのつるつるした瞳できらきらした期待を溢しながら白石のことを見ていた。
「ご、ごめん・・・今週中には調律頼んどくね、来週には」
「京義、そんなにピアノ好きなの?意外だなぁ」
「お前には関係ないだろ」
「ちょっとここに連れてきてあげたの俺なんですけどー。もうちょっと感謝の気持ちを持ってもバチは当たらないよ」
「バチが当たったほうがマシだ」
夏衣を目の前にしても、臆することなくそう言い放ってそっぽを向く京義を見ながら、本当にこの子は白鳥本家と関係のない子なのだと、白石は確信していた。例え子どもだとしても、こんな風に夏衣に生意気を言うことなんてできないはずだったから。
「じゃあ白石くん、頼んだよ。京義、もう帰るよ」
「ありがとうございます、よろしくお願いします」
丁寧に京義が頭を下げるのを、面白そうに夏衣は少し後ろから眺めながら、笑い声を押さえるみたいに口を手で覆っていた。
「なんで白石くんにはそんなちゃんとしてるのさ」
「うるせぇ、お前には関係ないだろ」
京義に冷たくあしらわれながら、細い体を揺らして「ミモザ」から出ていく夏衣を見ながら、もしかしたら自分は白鳥というものを誤解していたのかもしれないと、白石はほんの少しだけ思った。
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