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埋めた骨が呼んでいる Ⅳ

完全にホテルの外に出てしまってから、夏衣はほとんど着の身着のまま飛び出してきたが、ただひとつだけ持ってきた自分の携帯を取り出し、白橋に電話をかけた。どちらにしろ小牧が車を回してくるまで、ここで待っている以外の選択肢はないくせに、談話室でじっとしていることができなかった。コール音は1度鳴り終わるかどうかというところでぷつっと途切れた。 『どうされましたか、夏衣様』 「青磁、大変なことになった」 普段、夏衣は字継ぎと言われる本家白鳥と血筋の近い人間と東京で個人的なやりとりをしてはいけないことになっている。おそらく本家の目が届きにくい場所で、本家に反旗を翻すような結託でもされたら困ると思っているのだろうが。白橋が紅夜に会いに行った時に、ホテルまで送らなかったのもそれが理由であることを、夏衣は惚けて知らないふりをしていたが、夏衣だけは本当のことが分かっていた。ただ、今はなりふりを構っている場合ではなかった。それをはじめに定めたのはきっと白鳥だったと思う、そもそも本家の夏衣にそんなことを強いることができるのは白鳥以外あり得ないが、その白鳥に自分の領域を侵されたことで夏衣は自分がひどく混乱している自覚もあった。その白鳥との取り決めをあっさり破ってしまうくらいには。 『落ち着いてください、夏衣様』 「牧を呼んで。家に戻らなきゃ」 『どうされたんですか』 狼狽した様子の夏衣に努めて冷静に返事をしながら、白橋はハンドサインだけでちょうど側にいた小牧に夏衣を迎えに行くように指示を出した。小牧は用件も何も聞かずに、持っていたコーヒーを白橋の机の上に置くと、自分のデスクの上にある白鳥専用車の鍵を持って事務所から急ぎ足で出ていった。勿論、その取り決めのことは白橋も知っていたから、夏衣に不用意に接触しないように、何か用事がある時は小牧やあまり頼りたくはなかったが、海原に頼んでいて、こうして夏衣の声を聞くのは久しぶりだと思った。 「紅夜くんが連れていかれた」 『紅夜くんが?』 「多分、本家の誰かなんだと思う。華井って言ってた。誰か分かる?」 『華井・・・』 白鳥の末端の人間のことなんて勿論、夏衣が知る由もなかったし、知っている必要もなかった。白橋は頭の中にあるデータベースでその名前を必死に探した。 『華井、は、多分鳩さんの運転手だと思います』 字継ぎの中でもランクがあり、白鳩は白鷺や白鴇と同じように、当主に代々使えている字継ぎの中でも由緒正しい家柄のひとつだった。小牧も紅夜を迎えに行ったときのように白橋の車を運転することはあるが、小牧は白橋の運転手ではなく、あくまで夏衣の周辺の仕事をする白橋の手伝いをする部下という位置付けだ。白橋も本家の当主付きの字継ぎのことは詳しくは知らなかったが、白鳩くらいのランクになれば、自分の運転手くらいは宛がわれていると聞いたことがあった。 「鳩ちゃんか・・・なんで、急に、どうしたんだろ」 『紅夜くんは鳩さんと一緒に?本家にお戻りになったのですか』 「分からない、でも鳩ちゃんが単独行動してるはずない」 言いながら夏衣はホテルのエントランスに座り込んで考えた。今までこんなことを白鳥がしてきたことはない。勿論、夏衣がホテルにいることも、ホテルで他人と暮らしていることも、白鳥は知っているし口を出してこないということは、それはイコール容認していることと同義と思っていた。勿論、夏衣にだって自分が本家とは離れた土地で好き勝手している自覚はあったけれど、その分の対価は十二分に支払っているつもりだった。だけど違ったのか、何か。思い当たる節が何もなかった。 「お父様が呼んでこいって言ってるのかもしれない」 『・・・夏衣様、落ち着いてください』 そんなことはあり得ないし、そんなことをしているほど白鳥は暇ではないはずだし、話に聞くにそんな元気もないはずだった。だとしたら何のために、一体何をしようとしているのか、考えると喉の奥が絞まって呼吸がうまくできなくなる。 『牧を向かわせたのでもう少しで到着するはずです。俺もすぐ追いかけるので、本家で会いましょう』 「分かった、先、行ってるね」 『夏衣様、落ち着いてください。絶対にひとりで決定しないでくださいね』 「分かった」 反射的にそう答えたけれど、夏衣は何も分かっていなかった。通話が切れた携帯電話を見ながら、夏衣はぼんやり考えた。紅夜が連れていかれたのは、紅夜が白鳥の筋の人間だったからか。京義も一緒にいたようだったから、ホテルの住人誰でもいいのであれば、京義も連れていくはずだ。紅夜だけが選ばれた理由がそれしか思い付かない。唇を噛んでいると血の味がしてきて慌てて力を緩める。 (紅夜くんに、何かあったら、どうしよう) 今まで白鳥が何も言わなかったから、許されているつもりでいたが、そうではなかったのか。いつまで、どこまで監視すれば気が済むのか、考えても仕方がないことで頭の中がいっぱいになってくる。その時、車のエンジン音がして、夏衣ははっとして顔を上げた。 「牧!」 止まった車から出てきた小牧を見て、夏衣は泣きそうな声でそう叫ぶしかなかった。 「夏衣様、はやく車に乗ってください」 「牧、どうしよう。紅夜くん、どこにいるか分かる?」 「もう新幹線に乗られているようです。鳩さんならきっと大丈夫です」 小牧が後部座席の扉を開けて、夏衣はもう少しその腕にすがっていたかったけれど、仕方なく車に乗り込んだ。紅夜も携帯電話を持っているから、そう言えばGPSを追うことは簡単なはずなのに、それを忘れていたことを思い出して、それだけ混乱していたことを改めて自覚する。 「迂闊だった、こんな、誘拐みたいなことしてくるなんて思ってなかった」 また下唇を噛みそうになるのを我慢して、夏衣は自分の携帯で紅夜の居場所を追いかけた。確かに紅夜の持っている携帯の位置情報はすごい速さで動いていた。 「牧、牧は鳩ちゃんのことよく知ってるの」 「小さい頃家が近所でした。俺みたいな家柄にも優しい人でしたよ」 「へぇ、そうなんだ。はじめて聞いたな、そんなこと」 夏衣は動き出す車の中で一旦目を閉じて、努力して落ち着こうとしていた。どうやら今紅夜が一緒にいるらしい、白鳩のことを何とか思い出そうとしたけれど、小牧のようにはうまく思い出せなかった。夏衣が白鳩にはじめて会った時、もうお互い成人していて、白鳩は当主のすぐ脇に座っていてビー玉みたいな死んだ目でただ夏衣のことを、興味がなさそうに眺めていたことがあった。夏衣が覚えているのはそれくらいで、ろくに会話をした記憶もない。 「ねぇ、牧」 「なんでしょうか」 「優しいってどういう意味だっけ」

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