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埋めた骨が呼んでいる Ⅵ
その後、紅夜は部屋の中のひとつしかない座布団の上に座って、女中が運んできてくれた小さな机に置かれたお茶を啜りながらただじっとしていた。それしかすることが、この部屋の中ではなかったせいもある。白鳥家は紅夜の庶民的な感覚からしても想像できないほどに広くて立派な屋敷だったが、庭もそうだったが出されたお茶も決して華美なものではなく、どちらかといえばむしろ質素にも思えた。少しだけ開いた襖からは整理された中庭が見えて、作り物でもそれは美しいと思えるほど洗練されたものだった。日が落ちかけている外の景色は、少しずつその輪郭を夜に溶かしつつある。夏衣もここに座って、こうして部屋の中から外の景色を見て過ごしたりしていたことがあったのだろうか、こんな毒ガスみたいな空気を吸いながら。
「相原紅夜さん?」
紅夜が外の景色を見ながら何もすることがないのでぼんやりしていると、急に知らない声にそう呼び掛けられてはっとした。開いた襖の向こうに、知らない狐目の男が一人立っている。紅夜は慌てて丸くなっていた背筋を伸ばして、持っていたお茶を机の上に戻した。誰にも咎められてなどいないのに、そこでそうしてぼんやりしていることが悪いことのようにも思えた。
「え、あ、はい!」
「急にお邪魔してすみません、少しお話しても?」
「あ・・・どうぞ」
男は紅夜と目を合わせると、まるで年下みたいな気軽さでぺこっと頭を下げて、音もなく部屋の中に入ってきた。そして後ろ手で襖を閉めたので、紅夜は少しだけもう外の景色を見ることが出来なくなったことを残念に思った。男はすたすたと迷いない仕草で歩いてきて、当たり前かもしれないが紅夜の目の前に座った。当主に呼ばれるのかと思っていたが、男はその目的で来たわけではないらしい。
「はじめまして、私は齊藤と言います」
「あ、相原紅夜です・・・」
齊藤はもう一度頭を下げると、紅夜が慌てたようにそう言うのに顔をあげてにっこり笑った。この人もまた白鳥と同じ笑いかたをすると思ったけれど、それは夏衣とは違うような気もした。しかし紅夜は白鳥のことは夏衣以外会ったことはない。だから夏衣以外を知るわけもないし、知るわけもない人間を比べることもできない。不思議な感覚だったがなにか違うと思ったのも事実だった。
「東京から来られたとか、長旅ご苦労様でしたねぇ」
「あ、いえ・・・」
「当主様のご準備が整うまで、ひとりで待っておられるのも退屈かと思いまして」
「あ・・・」
紅夜はこの部屋でぼんやり外を見ているだけで別段構わなかったし、知らない人間とここで膝を突き合わせて、お互いに気を使いあいながら喋っているのも息がつまると思ったけれど、齊藤は気を遣って来てくれたようだった。申し訳ない気持ちと、好意を蔑ろにしたくはないが、なんと思ったらいいのか分からない感情でぐずぐずになりながら、紅夜は慌てて首を振った。
「ここで私と将棋でもしませんか」
そう言うと齊藤は部屋に備え付けられているタンスの中から将棋盤を取り出して、紅夜の目の前に置いた。勿論紅夜はこの部屋に入ってから、座布団以外の場所には触っていない。タンスがあるのもはじめて認識したくらいだった。齊藤がそう提案してくるのを、正直面倒くさい、ひとりにしてくれと思ったが、勿論そんなことは言えるはずもない。紅夜が返答に困っていると、齊藤は紅夜の答えなど興味がないのか駒を並べ始めている。紅夜も仕方なく自分の陣地に駒を並べた。
「相原さんは東京で夏衣様と一緒に生活をされているとか」
「・・・あ、はい」
将棋のルールはなんとなく知っていたが、実際にやったことは何度かしかなかったけれど、齊藤が駒を動かすのを見ながら紅夜も必死に思い出しながら駒を動かしていた。
「夏衣様はお元気ですか、最近こちらに帰ってこられていなくて」
「あ・・・元気ですよ、たぶん」
「そうですか、よかったです」
「・・・」
「もう少し、夏衣様もこちらに帰ってこられたらよろしいのに」
ぱちんと齊藤が駒を盤に置く音がやけに部屋の中に響いて、紅夜は思わず顔を上げた。もしかしたらこの人は東京から急に連れてこられた子供の相手をするためにここに座っているわけではないのかもしれないと、その時紅夜は思ったけれど、それ以外の目的があったとしてそれが一体何なのか分からなかった。齊藤はそこで狐みたいな一重を開かずに笑っている。
「どうされたんですか」
「あ、えっ」
「相原さんの番ですよ」
「あ、すいません」
慌てて紅夜は盤面に意識を戻した。齊藤はにこにこしながらそれをゆっくり待っていてくれている。悪い人ではないような気がしたが、白鳩や華井よりずっと嫌な感じは受けなかったけれど、どうしてなのか胸の奥がざわざわしていることを止めることができなかった。
「当主様も心配されているんですよ」
「ですよね、心配・・・」
「えぇ」
「えっと、でも、ナツさん、夏衣さん、結構お家に帰っている時も、あったと思うんですけど」
確かそう言っていたのは一禾だった。紅夜は実家の概念などなかったので、どれくらいの頻度で帰るのが普通で、夏衣がそれと比べてどうなのかは分からなかったけれど、確か一禾がそう言っていた。「ナツってさ、結構たくさん家に帰るよね」と。その時夏衣がどんな顔をして、どんな返事をしたのか、紅夜には思い出せなかったから、それはたいしたことではなかったのだろうけれど。
「知りたいですか」
「え?」
齊藤が駒を持ったまま手を止めて、紅夜の方に視線をやるとにっこり笑ってそう言った。どういう意味かは分からなかったが、紅夜はなにか返事をしなければいけないと思った。
「どうして夏衣様が頻繁に本家に戻られるのか」
「あの方がここで何をするために戻っているのか」
「知りたいですか」
ぱちんとまた部屋に大きな音が響いて、紅夜ははっとして盤面を見たが、今どういう戦況になっているのか、全く分からなかった。
「知りたければ教えますよ」
喉の奥がひゅっと音を立てて閉まるのが聞こえたようだった。
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