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「社長、先生に何かしたでしょ」 デジャヴ。否、今回は断言である。 不確定な情報は推量の副詞を乗っけてどうぞ。指摘を挟みかけたが、妙な威圧感を纏うお子さまは休む間もなく詰問をぶつけ始める。 「何したの?」 「え、別に」 「何かしたでしょ!どうせ社長が悪いんでしょ!」 「何って言うか、手出しただけだけど」 「はあっ!!」 衝撃なのか怒りなのか。絶妙な叫び声を上げたのち、萱島は雇用主が視線を戻そうとしたスマホをバッグへ放り投げる。 てっきり反応し辛い話題を出せば、赤面して黙るかと思っていた。 それで追い払おうと踏んでいたのに、相手は神崎のネクタイを引っ手繰ってさらに語調を強めている。 「犯罪者!通報案件だ!いつかやると思ってました、このモラルハザードの権化め!」 「気にすんなよ、セックスなんて挨拶の延長だろ」 「言ってやろ!戸和くんに言ってやろ!社長が人生積んだって言ってやろ!」 「おいおい止めとけ、戸和くんは冗談通じないんだから」 戸和は御坂に一方ならぬ恩がある。そして冗談は通じるが、神崎の十分粥みたいな緩々の言い訳など通じない。 恐らく萱島が事を話せば、すっ飛んできて神崎を分解した挙句樹海へ埋めてしまうだろう。 まあそうでなくても、御坂康祐という人間は実は敵と同じく馬鹿みたいな数の味方が居るのである。 「…社長、でもほんと出頭しなよ。会社のことなら本郷さんが何とかしてくれるよ」 「大丈夫大丈夫、俺国家権力とか何も怖くないから」 「やめなよ頭悪そうな発言、引用RTで袋叩きにされるよ」 萱島の返しが例を見ないほど辛辣になってきた。 流石に劣勢と判断した雇用主が黙った手前、両者の対峙するカフェの一角が小鳥の囀りに満たされる。 「…アイツ何か変だったのか」 沈黙を経て、そもそも引っ掛かった点を問うた。 萱島は砂糖を限界まで入れた珈琲を啜り、反比例して苦い顔をしたままジャムサンドへ手を伸ばす。 「『暫く来ないで』って社長に言ってた」 投げられたスマホを取り戻した神崎が止まる。 先日訪れた際に神崎当人へ伝えず、増して萱島越しに苦言を寄越す意図とは何だろう。 伝票と鞄を手に早々と立ち上がる。対岸のお子さまには最後まで不審者を見る目つきで見送られながら、オープンテラスを後にした神崎は行き先を件の独立国家へと変えていた。 「何しにいらしたんですか?」 で、到着早々この口撃であった。棘を往なす様に肩を竦めれば、想定外の来客は物騒なものを腰にぶら下げて圧を放っていた。 「…居たのかラザル君、何も何も御坂に用事だよ」 「マチェーテと、お呼び下さい。”ご子息”、友人ではありません」 口調がまったく件の女性と同じだ。この御坂が拾ったクソ餓鬼2人ときたら、性根こそ異なるものの、何かと神崎へ厄介な敵意を向けてくる。 おまけに御坂が日本に来てからも本国で仕事をしていた筈が、先日のように忍者の如く神出鬼没に現れてくれた。 揃いも揃って身体能力が高い。そして野蛮な割に、野生動物みたいな狡猾さで食い殺す機会を伺っている。 雰囲気としては寝屋川に似ているが、奴はこちらが間違えない限りは敵意など向けてこない。 「まあ落ち着けって、所長は?」 マチェーテが視線を下げ、入り口に背を向けたソファーを見やる。 歩み寄って覗けば、白衣も脱がないまま部屋主が横になっていた。 寝ているらしい。起こす訳にもいかず考え込めば、視線を上げた青年が釘を刺すみたいな睨みを利かせてきた。 「…君も用事があったのでは?」 「様子を見に来ただけです、最近輪をかけて疲れていたようだったので」 原因はお前だ、とでも言いたげだ。その節は否定できない。少なくとも、考え事を増やしていた自覚はある。 「もっと直接的な文句を俺に言いたいんじゃないか?」 「残念ながら我々に貴方を殺す事はできません」 直接的過ぎた。流石に其処までは聞いてないと半歩後退れば、未だ20半ばであろう青年は鉛みたいな目で神崎を射抜く。 「厄介ですが…貴方が死ねば、サーの中でバート医師と同格の存在になる。2人も要らないです、そんなものは」 「お前の主人病んでるからな」 「それはその通り」 怒りというより煩わしそうな表情が見え、女の方よりは話が通じると思い直す。あっちは好意と敵意の2方向しかなく、他人の感情の機微など理解しようとしない。 「しかしラザ…マチェットくん、万事リスクを恐れると大成しないんだよ」 「ああ…貴方は商人ですからね。駆け引きが大好きでしょうよ、これ以上サーで遊ぶなら親指から順に減らしていきますけどね」 前言を撤回しよう。黙る神崎を他所に、マチェーテは身動ぎした養親の下へ跪き、「おはようございます」と声を掛ける。 会話の所為かは知らないが目が覚めた様だ。ぼんやり開いた青い瞳の要求を察すると、青年は自分の時計を回して文字盤を見せてやっていた。 「…会議何時だった?」 「16時です、俺が出ますよ」 「出なくていいよあんなの」 寝起きの為なのか、声が溶けそうに柔い。 神崎が出方を待って腕を束ねていると、漸く気付いた相手は顔を上げて口を閉ざしていた。 「よう、先日ぶり」 科学的に可笑しな話だが、御坂の虹彩は感情や光でその度様変わりしている。 特に驚いた際の瞳は水面みたく煌めいて、気に入っているのだ。 「…ラザル」 縋るみたく呼ぶから、てっきり追い出してくれの意かと思った。 視線を交わしたマチェーテはしかし、主の真意を察するや身体を伸ばして机上のラップトップを抱え上げる。 「隣の部屋に居ます、何かあればメールを」 そして聞き分けの良い言葉を残して去った。後ろ姿を見送る間に部屋主は身体を起こし、未だ覚醒仕切らぬ様子で漸く客へと声を掛けていた。 「どうしたの?」 「来るなって言われたから来た」 神崎の返答も返答だが、御坂の方も自分で言った件を失念しているかのような顔だ。 その場で虚を突かれたまま黙り、部屋の隅を見ながら何やら考え込んでしまう。 「萱島君に言った件かな」 「ん?…まあ」 タオルケットこそ掛けられていたが、相変わらず薄い肩が寒そうに映る。神崎は挨拶もそこそこに歩み寄ると、相手の隣へと腰を降ろしていた。 「俺にメールなりすれば良いのに、何で萱島越しに言うんだよ」 「…来るなまで言ったつもりは無かったんだよ、会話の中で少し、口が滑ったというか」 気まずそうに、というより考えながらポツポツと言葉を零している。自分の発言した意図すら掴み切れていない様子で、不安定なさまが可愛くつい肩を抱き寄せていた。 隣室にはあの青年も居る。 驚いたのも束の間、直ぐに御坂の手が剥がそうと伸びるが、それすらも阻んで温度の低い身体を抱き竦めた。 「お前が来るなって言うならもう来ないが」 口を奪うでも、事を致そうとするでもなく、掴まえただけならば相手は大人しい。 「どうする?」 既存の関係を一度壊してしまえば、新しい物を作るか去るかの二択しかない。 修復したとて罅割れから水は漏れ続け、水を注ぐほど再び壊れる不安へ苛まれるのだから。 「…来なくなるのは、駄目」 腕の中で面を上げた。稀有な外見の大人は普段の理論整然が何処へやら、拙い感情だけで神崎の袖口を握っていた。 「じゃあ俺は手を出すけど、良いんだな」 細まる目が決壊しそうに揺れる。脅迫だ。 だが神崎に言わせれば、ハイリスク・ハイリターンこそ人生なのだ。変化を望む神崎も勝手なら、安寧を望む御坂だって勝手。 そこに正しいも間違いも、善悪もないと思う。 ただ勝利に固執して、相手をズタズタにしたいかと言われればそうでも無かった。 「お前さあ…俺に揺れそうで怖いんだろ」 容赦なく指摘してやった。要は保身、二兎を追っているのだと。 バート・ディーフェンベーカーを失うのも怖ければ、神崎遥を失うのも怖い。そして実はどちらの恐怖が勝っても、神崎に比率が傾き始めていることを意味するのだと。

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