8 / 17
7
「話終わりました?」
呼べ、と言った割にきっかり10分で自ら現れた。
赤い髪の青年は向かい合う両者を一瞥し、早々と神崎の肩を掴んで立たせに掛かる。
「はいはい、お引き取り下さい。サーの時間は貴方方の血税で出来てますよ」
「…そうだね、今日はもうお帰り」
先まで迷い子みたいな顔をしていた癖に良くも。既に欠片も可愛げのない態度に眉を寄せ、先般こっそり録音していたものを流してやろうかとすら企む。
しかしどうも突き放す意図は無いらしい。御坂は想定外に言葉を続け、次回の提案を付け加えていた。
「此処だと窮屈でしょ、今度散歩でも行こうか」
「ん?誰と」
「私と」
ラザルですら仰天して振り向いた。
そう言えば街中で何度か出会した事はあるが、凡そ大通りは歩いていない。都合目的云々以前に、実現可能性のほどが気になる。
「…お前外歩けんの?」
「1時間くらいなら。監視は付くけど、この部屋よりは良いかと思って」
「サー、自ら面倒を増やしてませんか?」
「何が、遥やお前たちの事で面倒なんてないよ」
諸々言い掛けていた青年が止まり、同列に並べられた神崎を恨みがまし気に睨む。何も言ってない、お前の親の提案だと肩を竦めれば、相手は諦めて踵を返し隣室へ帰って行った。
「じゃあ土曜な、時間はお前の都合で連絡しろ」
歩み寄り、とも、妥協ともつかない反応で頷く。御坂康祐という人間が何を考えているのか手に取れた試しが無いが、今日に至っても相変わらずなのだな。
主導権を奪ったつもりが、未だ未だ甘いらしい。
帰り支度をして振り向けば、ソファーに掛けたままの部屋主が「気を付けてね」といつもの当たり障りない挨拶を寄越した。
平日の通過は早かった。
いつもの社員の悪態を受け流しつつ、執拗に酒を飲みたがる取引先の相手をしていたらあっという間に件の日が来ていた。
1時間。ほんの小休憩程で、デートと言うには余りに味気ない。
それを楽しみにしていた自分も大概で、態々携帯のアラームまでセットした気の入れようは嗤う他ない。
指定したのは午前10時。神崎のマンションから近い、自然公園の手前。
此処なら監視カメラも点在し、開けているから監視員も許可を出すかと踏んだのだ。
駐車場に車を停め、東口に聳える時計塔の下へ向かう。
恐らく相手は先に来ているだろう、神崎の予想通り、現場に居た柔らかい銀髪の姿也は此方の気配を察して振り返った。
恐ろしく非日常的な光景。
見慣れた近所のテリトリーへ、御坂康祐が立っている。
陽の下で見れば睫毛まで光を弾き、目は鏡みたく今の空を写し取る。
白衣でなく、造りの良さそうなカーディガンを肩にかけ、携帯一台の最低限の持ち物で。神崎を認めるや、あの毫も他意の無い笑みで挨拶を寄越した。
「おはよう」
休日に待ち合わせるだけの行為だ。
それがこの人間が相手となれば、こんなにも得難く稀有になるらしい。
首を傾げて歩み寄り、珍しい相手の格好を観察する。
実はこの公園は立地が立地だけに、休日でも人影が疎らだ。
「どうしたの、そんなにじっと見て」
「…人里に降りてきてニュースになった朱鷺 みたいだな」
「何それ、そんなに可笑しい?私が公園に居たら」
可笑しい。神崎も目立つ自覚はあるが、明らかに御坂のお陰で刺さる視線が増えている。
「歩きながら話そうぜ、お前が提案したんだし」
「そうだね、公園なんて歩くの何年振りかな、君は良く来るの?」
「偶にな」
襟足が伸びたな、と脈絡なく思う。全く陽を浴びていないであろう肌も、高そうな衣服の下のつくりも、以前よりも深く理解した相手の身体を見詰める。
「前を見なよ」
気付けばもっと色々言いたそうな顔がこちらを向き、苦言を呈していた。確かに景色や会話も疎かに、ずっと隣の存在へ気を取られている。が、仕方ない。二度目のデートの保証がない以上、この1時間は一寸も無駄に過ごせない。
「確かに転けたらお前の所為かもな、手繋いでくれ」
「小さい子みたいな事言うね…私が車道側歩いたげよう、そしたら」
「やめろ!恐ろしいことを言うな」
御坂は心臓に致死性ウイルスを飼っている、と吹聴している。真偽の程は知れないが、態々危険な側を歩かせて万が一があれば人類の明日はどうなるのか。
制止する神崎を見て、殊更御坂がおかしそうに笑った。その屈託のない表情に、公園で散策などと世界一退屈な行為が有意義に変わる。
(ああ)
幸せね。今まで掴めなかった概念が、突然極彩色を伴って自分の世界へ姿を現す。
未知を知る、子どもの頃以来の、久方振りの感覚だ。
「ベンチ座ろうか?」
御坂が止まった脚を見兼ねて提案する。
急に黙ろうが、予定に困ろうが、何ら嫌な空気にならないのがこの大人が大人たる所以で、人が集まる所以でもある。
初見でビビり散らかしていた萱島が懐くのも、見た物全部に噛み付きそうな狂犬2匹が服従しているのも、全部この人となりへ。
「今日は何人だ」
「…?3人だけど」
そして突飛に会話が飛ぼうが追いつき、監視員の数も教えてくれた。
恐らく把握していた訳でなく、歩いてる最中に気配で察したのだろう。特段敏感でない神崎すら視線は気になっていた。
「結構ストレスでしょ?見られていると」
あの研究所にいる時の面をした御坂が瞑目する。
午前の休日を染めるパラダイスグリーン。自然のさざめき。何処までも平穏無事なエバーデイ。確かにそれらを割いて水を差す部外者は、無粋極まりない敵に違いない。
「公園からは出られないのか」
「監視カメラの死角でなければ…大丈夫だと思うよ、人通りが多いと難しいけど」
「店は?」
「まあ無理だね」
矢継ぎ早な問答を経て、選択肢がほぼ無くなった。知っていはいたが、結局公園を周回する程度が限界らしかった。
妥協して歩き出そうとする。その隣で動かぬ相手を振り返れば、ほら、とでも言いたげに狡猾な目が見ていた。
「面倒臭いでしょ、私と歩くの」
成る程。漸く合点の行った神崎は二三瞬き、気の無い返事をする。
その自信に満ちた目はさすれば、神崎ならば此処で匙を投げると踏んで散策を提案してきたらしい。
「私と深く関わるようになればお前自身にも監視が付くだろうし、不穏な動きがあれば監禁拘束もされるよ。良く考えないと、君にも大切な人が沢山いるのに」
確かに悪い面は多いが、良い事がない訳じゃないだろう。
おまけに君にも、等と己を省いた言い草が気に喰わない。
「だから今日で」
「お前本国に帰ったら?」
流れをぶつ切りにされた御坂が呆けて上を見た。この間から珍しい顔ばかり見ているが、この虚を突かれた表情も中々いいものだった。
「本国なら監視も薄れるんだろ、何でかは知らんし聞きたくもないけど」
「そうだね…一応私の安全確保を名目にしてるからじゃない?」
「それで俺もアメリカに住むわ、そしたら解決だろ」
今までの柔らかさが失せ、見上げる瞳がすっと明度を下げる。それで脇の何も無い場所に焦点を外すや、相手にしては珍しい類いの嫌味を漏らしていた。
「…君、さ…そのポジティブさをもう少し本郷くんに分けてあげたら?」
「アイツは手遅れだ諦めろ。お前には分けてやっても良いぞ、減るもんじゃないし」
「会社はどうするの」
「元々海外案件も受けてたし、ロスに支店を出す予定だった」
御坂は視線を戻した。斜め上には一部の気後れも無く、じっと自分を射抜き、まるで全て当たり前の発言をした様な顔があった。
強い。時折遠ざけたくなってしまう程に。
子供の頃の様に無鉄砲な強さでなく、ある程度辛酸を舐めた今の彼は、更に。
「そしたらさっさと籍入れるぞ」
「…何?そんな流れじゃ無かったでしょ今」
「そんな流れだったろ」
結婚願望があるのも驚きだが、申し込む相手も驚きだ。
つい先日強姦していおいて良くも。呆れて何を諭して良いやら分からず、明後日へ飛んでいくカモメの群れを睨め付けた。
「告白からやり直すか?」
人気の薄い公園で良かった。否、もしかしたら監視が人払いを掛けたのかもしれないが。
衆目に晒さなくて良かった。神崎が突然背を屈めるものだから、御坂ともあろう人間が抵抗が遅れてしまった。
唇へ慣れた感触が触れ、吸い付き、熱が蔓延る。
また唐突だった。どうにか相手の腕を掴んだが、結局抵抗にはならず残りのキスを甘受する羽目になる。
幸い行為は直ぐに終わり、呼吸が戻った。ただし拘束は解かれず、相手は至近距離で此方をじっと覗き込んだまま。
「俺はとうに覚悟は出来たぞ」
問題はお前だ、とでも言いたげな口ぶりへたじろぐ。
今の行為で監視に神崎遥との関係性が知れた。今後当人へ定期的に身辺調査が入るだろう。冗談でない。
「後はお前の」
ぱしん。会話の中途で乾いた音が響き、神崎の頬へ痺れが走る。
傍目には大層な勢いに見えたが、実際のところ痛みはちっとも無かった。
叩かれた神崎は数秒面喰っていたものの、直ぐに行為の意図を察して詰め寄る。
「…何すんだこの野郎」
「馬鹿なことするから帳消しにしたよ」
「まあ…そんな程度じゃ拒否どころか、痴話喧嘩と思われたかもな」
全くだ。本当に余計な事をしてくれた。
御坂は今日の会合を後悔しつつあったが、神崎を舐めていた自分の甘さも自覚した。
此処まで踏み込んで来るとは想定していなかったのだ。それだけ愉しいか。何なら彼の性格を鑑みれば、頻りに抵抗するからより愉しませてしまうのか。
「…分かった遥、一か月ね」
首を押さえて眉尻を下げ、妥協に妥協を重ねた大人が言い放つ。
「その間に君が飽きたら」
「飽きない」
「…私が首を振らなかったら、この話は無かったことにしよう。いいね」
実に潔癖な折衷案で、マトモな落としどころだった。可もなく不可もなく、当たり障りのない切り上げ方を嫌い、神崎はまた静まり始めた水面へ石を投げる。
「別にいいけど、お前の要求だけ呑むのも癪だから俺も条件付けるわ。お前が断った場合、言った通り二度と俺からは会いに来ないから」
それは当然の話だ。何故なら一か月などと、答えの出ない人の心情へ期間を定めたのは相手なのだから。
自分で決めたのだから、そんな露骨に傷付いた顔をされても困る。
先日聞いた「会いに来なくなるのは駄目」などと甘ったれた愚図りを思い出し、今度は神崎が盛大な溜息をつく側になった。
「だから…泣きそうな顔をするな!」
「してないよ」
「してるだろ…取り違えんな、”俺からは”って言ったんだよ」
当人が決めただけの期限を過ぎた所で、神崎は幾らでも待つつもりだった。
押して駄目なら何とやらでは無いが、急を要してせっつく話題でもない。
「まあ、下半身は急を要してるんだけどな」
「何の話?」
「…あーあ…お前知ってたけど本当面倒臭いな、義世の100倍面倒臭いわ…必要な建前が多過ぎて、本音言うまでに一か月じゃ足りないんだよ。生き辛い奴め」
対話を諦めて結論付け、勝手知ったる公園を歩き出す。
散々振り回された挙句に「面倒臭い」で片付けられたのでは堪ったもので無い。
御坂は湖畔に映る曰く”泣きそうな顔”から目を逸らすや、機微が馬鹿らしくなる背中へ言い返すべく追い掛け始めた。
ともだちにシェアしよう!