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御坂が自分を見る時間が増えた。
件の散歩後の話だ。そして時間と言うより、頻度の表現の方がしっくり来た。
彼は人の目を見る。会話の最中、口火を切る嚆矢。
あの鋭い瞳でどういう塩梅か、角を削ったみたいに柔らかい眼差しをつくり、相対すると木漏れ日に降られている心地に陥る。
何が言いたいかと言えば、最近それに増して、何もない時の視線が増えた。
今まで神崎が迷惑も気にせず押しかければ、忙しい大人はモニターやら書面と睨み合っていたが、あの外出の後、じっと自分へフォーカスしている頻度が増えた。
何だ、と問えば、別に、と閉ざす。
その空虚な様でいて、物言いたげで、絡みつく様な視線を浴びる度、神崎は盛大な溜息をつき、席を立って面倒な大人の痩身を抱き竦める。
「どうしたヤンデレ」
「今日は直ぐ帰るの?」
「んん?」
神崎の暴言は否定せず、抵抗もせず、しおらしく目を伏せるものだから手の行き場が分からなくなった。
仕方なく寒そうな肩を摩り、隣から目を覗き込んでは構いにかかる。
「何だ寂しいのか」
「俄雨が降りそうだから、傘を貸してあげようと思って」
二重三重に鍵の掛かった窓を見る。確かに灰色で、今にも水分を吸った雲がそのまま落ちてきそうな空だった。
「雨が降る間居て欲しいんだろ」
これは関係性が転がる以前から知っていたが、御坂は雨が嫌いらしい。
視界が悪くなるからと聞いたが、もっと恐怖に近い感情だと神崎は解している。
とは言え日本で雨は多い。秋雨、俄雨、梅雨、熟語がいくつも生まれる程、この国と降雨は切っても切れない関係にある。
「…言ったら居てくれるの?」
見上げて大真面目にそんな事をいう物だから、時が止まった。
これが平常の反応なら余りに性質が悪い。少なからず心開いた甘えであれば良いが、どちらにせよ打算で無いのが恐ろしい。
所在なさげな手を引き、仄暗い外から庇うように深く抱き締めた。
布越しに矢張りひやりとした身体へ触れ、この大人は本来、もっと護ってやらねばならないのではとすら思い始める。
繊細だった。自分が想定していたよりずっと。
あの公園のやり取りを経て、結局思い悩んでいるのは御坂の方で、不遜な神崎の代わりにちくちくと傷を作っているのも御坂の方だ。
「ずっと居てやるよ」
父親への当てつけでは無いが、自分は為し得る誓いを耳元へ囁く。
「お前手冷たいしな」
「何の関係があるの」
「一人の体温じゃ眠れないだろ」
性的な含みと取られかねないのに、先日までの様に嫌そうな顔で仕事に戻ることもない。
御坂が此処まで大人しいのは、公園の一件で何か変化が起きた可能性もあるが、例のシーズンが迫っている為だろう。
要は秋、大学で我が父、バート=ディーフェンベーカーが逝去したあの日。
口には出さないものの、目に見えてぼうっと佇む時間が増えるのを、神崎は毎年呆れて見ていた覚えがある。
異様な執着だとは思っていたが、十年以上経ってよくも飽きずに感傷へ浸れるものだ。
「余計な世話だって言わないのな今日は」
「だって、嫌だって言ったら帰るじゃない」
「…お前は子どもか、もう少し端的に分かり易く甘えろ」
「端的?」
はたと動きを止めた目が、本当に分からない問いへ出会した様相で瞬く。
その余りに無垢な色へ釣られて固まっていると、どうにか自力で建前を剥がした大人がじっと見つめて言い直した。
「帰らないで」
この蒼い瞳がこちらへ縋って、真っ直ぐ我が儘を言う威力。不安定な態度へ用意していた文句も吸われ、神崎は身を屈めるや、伸ばされた手を握って口付けに掛かる。
大事な螺子が一本外れたのでは、と危ぶむほどに痩身は力が抜けていた。従順に腕へ納まり、あんなに神崎を跳ねのけていた指先すら衣類へ絡んでいる。
「急に可愛くなってどうした」
唇を離し、赤味の差し始めた首元を吸う。背中は竦みこそしたものの、矢張り嫌がる気配も無い。肌を摩り、掴まえた体温が徐々に温まっていく感覚を楽しむ内にまた目が合う。
何を考えているのだろう。寂しい、という一時の感情にしては、余りに顕著な変化だが。
「俺に抱かれる気になったのか?」
気が変わる前に逃げ道を塞ぎ始める。
実のところ神崎が最後まで手を出したのは初回だけで、以降は怯える相手を撫でて痕をつける程度の構いに留めていた。
勿論、問いに対して頭を振る様子はない。しかし今ソファーへ押し倒せば、流されるまま身体を開きそうな勢いだった。
「はる、遥」
また塞ごうとした唇が開き、続けざまに名を呼ぶ。何か必死に伝えんとせん声に、神崎は流れを止めて相手の二の句を待った。
「聞いて…私も近い内、本国へ帰る事になる」
ここへきて会話が数日前へ帰る。未だゆらゆらと不安定に揺れながらも、気付けば御坂の焦点は先よりうまく定まり始めていた。
「ふうん、俺の助言が実行できそうで良かったな」
「本国から要請が来るのは情勢が逼迫した時…暫く、仕事に戻らないといけない」
今までも決して遊んでいた訳では無いだろうが。当人の言う通り、世界諮問機関としての本来の業務へ戻るのであれば、平和な日常など増々遠い空の彼方へ消え去るだろう。
「遥を巻き込みたくない」
それから想定通りの台詞を吐き、やや本来の鋭さを湛えて部屋の隅を睨む。此処まで断言するという事は、ある程度要請が来た事情も承知している筈だ。
そしてこの態度であれば、恐らく巻き込むどころか、また我が父親に関連しての問題事なのではないだろうか。
御坂は嘘が拙い。外交となると賢いのだが、自分の件で嘘を吐くのがちっとも上手くない。
今も隠せず出してしまった。巻き込みたくないという懸念で、神崎が巻き込まれる可能性がある事を。
(しかしまた親父絡みの話なら、此方も寧ろ)
離れた方が良いだろう。前回同様自分が火種となれば、逆に自分が御坂を巻き込む事になる。
昔はそれで良しと自由奔放に振舞っていたが、今は目前の薄い肩へこれ以上の重石を乗せたくはない。
「まあ良い、俺は先にアメリカに行ってるから」
話題を転換し、既に固まっていた自分の都合を話す。
支店の箱は以前から押さえていた。後は物を運んでエンジニアに整備を頼むだけで、RICの記念すべき初支店は今年にも暖簾が出せる。
「諸々片付いたら答えを聞かせろよ」
「…一か月じゃ済まないよ」
「じゃあ延滞な、利息は今から前払いで貰うわ」
「前払い?」
また怪訝そうな上目遣いが射抜いた。こう言った時、何故この大人は驚くほど察しが悪くなるのだろうか。
自分が構う側に回れば、過剰なまでに機微のひとつひとつを察するのに。構われる側に回った途端愚鈍になり、神崎は今日も呆れて続きを督促する羽目になる。
「お前の思う方法で払ってみな」
どうするだろう。流石に財布は出してこないだろうが。
御坂は目を伏せて考え込んでしまい、睫毛の下でちかちかと照明を弾く目の色合いが淡くなる。
良く色の変わる目だと感心する。このまま近くで眺めているのも悪くないかもしれない。
消化不良だが、困るようなら離してやろう。そんな珍しい優しさを抱いた矢先、首へ温度の低い手が回り、不意に唇へ先まで求めていた柔らかい感触が被さる。
「…お前」
一瞬の温もりの残る唇を指でなぞり、神崎は至近距離の相手へ眉を寄せる。
「餓鬼の飯事じゃねんだぞ」
「違うの?」
「そんな社交辞令みたいな触れ方で許されるか」
叱っても未だ不思議そうに此方を見返す姿を捉え、やり直せとばかりに噛み付いて隙間から舌を捻じ込む。甘く柔らかい感触の後に、一応生物である保証の温かさが包み、もっと深く味わいたくて何度も角度を変えて追い掛けた。
相変わらず及び腰だが、白い手は未だ神崎の肩の辺りを握っている。
背中から掬うように服を捲り、撫で上げてやれば、未だ解放されぬ唇からだんだん意味の無い声が漏れ始めた。
願わくばこの身体をもっと好き放題にしたいな、と思う。
こんな制限された空間でなく、翌朝まで二人が保証された広く不穏のないベッドの上で。
いつか、御坂が今の仕事を降り、ひとつ屋根の下に暮らせればいいと夢を見る。
神崎は知らない。御坂康祐がナノマシンによる数倍の延命技術開発に成功し、両者の時間の流れは同一ではないことを。
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