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※本編THIRDまでのネタバレ・解説を含みます。 幾ら縁に罅が入ろうとも、中東の不穏を見詰める慧眼は衰えなかった。 ナイト・コマンダー。誰が言い出したかなど忘れてしまったが、UNSDH(ホーム)を離れつつも水面下で事を操る彼を、委員会の人間などはそう呼んだ。 御坂康祐の恐ろしい所は、頭の中に国の情勢から政策から、果ては片田舎の農産物の出荷量から全てが入っていて、誰よりも早く情報の回路を繋げられる点だった。 ある時は異常な二国間の人口流動に勘付き、兵力の輸送という戦争予兆を嗅ぎ取って摘んだ。金やサステナブル関連にも気を遣ってはいたが、彼の領域は専ら「世界の戦争の量・質の調整」であった。 それで、彼が態々ホームを去った理由は何だろう。 周囲は彼が「胸中に埋めたアレ」の研究に戻ったと理解した。 態々申告する形で、面倒な24時間体制の監視まで許して、バート・ディーフェンベーカーとの共同研究を進める気なのだと。 「それが表向きの理由なのだと最近分かった」 時期柄、冷え始めた廊下を連れ立ち、相手はほうと息を吐いた。 先日来たばかりの男――長官の顔を見上げ、御坂は感情の薄い目で立ち止まる。 「君はバート・ディーフェンベーカーを殺した男など、その当日に知っていた。しかし何もしなかった」 「話が飛んだのでは」 「順を追っているだけだとも。ロナルド・テイラー…奴がバート医師を殺したと知っていながら、息子に直接危害が及ぶまで泳がせていた」 なぜなら、と態々話を区切った。この間御坂に無体を強いた指が頬へ降り、今は妙に理知的な動きで撫でている。 「バート医師を殺したのが、奴一人でないと気付いたからだ」 ロナルド・テイラーが銃を撃ったのは私怨だった。慌てて現場を去った痕跡から、想定外の衝動的行動と見えた。 しかし、それから常に追っ手に怯えていた様な小心者が。そして仮にも化学に精通した研究者が、拳銃など持ち出して直接迫るだろうか? 「そして、君はあの拳銃の流通元を調べた」 見聞きした様に語る長官を他所に、御坂はぼうっと色の薄い空を見ていた。 話の中心が自分の事だろうが何だろうが、また雨が降りそうで、それだけに気を取られている。 「”トワイライト・ポータル”等と、ふざけた名前の武器商社が浮かび上がった。しかも調べれば調べる程、きな臭い周辺国や武装勢力との癒着が見え――…君はバート医師を、その技術を奪おうとした黒幕を分かってしまった」 さて最近になって、中東情勢へまた厄介な火種が生まれていた。 否、露呈したのが最近であって、遡れば事の発端はバート・ディーフェンベーカーの死去を知らせたニュース報道。 そのニュース報道で誕生した新興宗教は、神となった医師を担ぎ上げ、過激な思想へ走った。 明らかな戦争の予兆だ。御坂は近々動かねばならないだろう。そう、動かねばならない。 そして対峙せねばならない。その宗教を、戦争を利用して御坂を引き摺り出そうとする人間と、つまりはバート医師を殺害した黒幕と。 対峙して、交渉せねばならない。 バート医師と御坂が生んだ技術を賭けて、更には世界大戦や明日を賭けて。 「バート医師の殺害で宗教を生み、戦争を造り、君との取引材料を造る…其処まで計算だったとしたら、君の生涯の敵は随分狡猾なようだ」 「…結局何が言いたいんですか?長官」 「随分幼い言葉を使うんだな、はじめに話したろう。君がこんな雨の多い国に来た理由だよ」 御坂に融資する人間は、実は不老不死を求めるだけの馬鹿でない。 この国務長官も兆候と御坂を観察しているだけで、結局ぴたりと経緯を言い当ててしまった。 内情を知られて良い訳がない。 良い訳がないが、今の御坂には否定する気力も、誤魔化す気力も残ってはいない。 「矢張りバート医師の息子が気掛かりだったかな」 「そうですが、私が、墓を作ったので」 受け答えや、文法が怪しくなってきた。 老獪は追及の姿勢をやわらげ、もう子どもにする様に優しく続きを待ってやらねばならなかった。 「大学に居た頃、毎日話していたものですから」 「…息子のことを?」 「そうです、だから私が彼を日本に連れてきたら」 息子に毎日会えると思って。と、一抹の悲嘆も喜びもない告白を耳に、狡猾さを備えた耳順の相貌が歪んだ。 語られた理由のあまりの無垢さ、打算の無さ、愚かさに、人間とはかけ離れたものを感じ眩暈を催す。 「息子は会いに来たのかね」 「墓参りには一度、事件以降は手記も見に」 「君は…本当にそんな事の為に、態々監視対象になってまで日本へ?」 御坂は黙った。 口籠ったというより、もう話が終わって再び窓の外へ興味が移っていた。 普段はどうにか隠れていた脆さが溢れ出している。 誰かが元から壊し、今の御坂はまるで空になって役目を見失った入れ物に等しい。 「…早くUNSDHへ戻った方が良いな、君が不在の間に裏委員会が色々暴れている」 仕事の話題へ転換した途端、彼は視線を戻して頷いた。近々帰りますと一言。動くなら幾らか融資が必要だろうと提案し、長官は冷え切った肩を寄せて耳を食んだ。 「その前に少しじっとしていなさい、冷た過ぎる」 レストルームに入ったとは言え、オープンスペースで誰でも立ち入れる。 抱き寄せられた御坂は抵抗に手を伸ばしたが取り合われず、出入り口に監視を立たせてある、と先日の様な説明をされた。 「心配せずとも前の使えない護衛は解雇した。君の痴態を覗こうと必死だったからな」 「長官、雨が」 上からシャツの釦を外され、肌を吸われている最中も蒼い目は外を探った。 ここに来て、以前から兆候の見えていた強迫性障害が全容を剥き出しにしている。前は其処まで酷くなかったものを、御坂は今度は右手の電子時計を見縋った。 「雨如きで何の危険がある?」 「何か、起こるかもしれない」 「そんなに心配なら、明日にでもアメリカへ発つといい」 レストルームのテーブルへ細身を横たえようとすれば、怯えた相手が助けを求める様にスーツの襟を握った。 致し方なく背中から抱き起こし、身を包んであやす様に撫でてやる。 利害関係だろうが付き合いの長い男は、御坂が雨に怯える理由を知っている。 彼はUNSDH内のバイタルデータや緊急通報を遠隔管理している。それはリアルタイムで彼の2つ目の時計へ届くが、雨が降る度に通信障害や遅延が発生する懸念がある。 落雷で電気が止まろうものなら、場所によっては通信も断絶する。 勿論他に連絡を取る手段などあるのだが、御坂は強迫観念で常に”その時計を確認していなければならない”のだ。 「君の子ども2人が頻繁に様子を見に来ている様だが、その時しか眠れていないらしいな」 身体的な疲労も相当だろう、こんな状況だろうが増して脱力した姿は、ただじっと展開を待つように男の出方を伺っていた。 「問題ない、帰ろう。皇帝の地位へ帰って、君の不安の根源を殺せばいい」 その為に、何が必要か? スポンサーとして問うてやれば、腕の中の調停者は朧気に、しかし病んでも聡明な頭で希望を寄越した。 「――海軍、可能であれば空母」 「空母?艦級は」 頭の中で何処まで駒を並べているのか。猫の様にこちらを見詰めていた目が、俄かに瞳孔を開いて融資を後押しした才能を覗かせていた。 「勝ちたいならニミッツ級を」

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