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「そんな顔しないでお願いだから」 白い手が伸び、影の落ちた頬へ添えられる。その冷たさに背筋が戦慄く。バートは漸く床から視線を戻し、上から温める様に自分の指先を重ねていた。 「お前こそ…手が冷た過ぎる」 体質を責めても仕方ないのだが、とにかく自分を後回しにする性を看過できなかった。これをこんな人間にしたのは誰だろう。もう少し周囲の大人に思いやりがあれば。愛情があれば。 当人が強く立っていられるのは、ただ恵まれた才覚と努力に支えられての事だ。自分も誰も、彼に何もしてやれない。 「俺はお前と研究を続けたい、その為に色んな覚悟を決めて此処に来た…題材を考えれば、これから数年、いや数十年を共にする事になる」 「そうだね」 「その間、ずっと俺に目を瞑ってろって言うのか」 蒼く美しいステンドグラス。教会を思わせる神聖な瞳が、バートを映して審判を下す。 「私はね、バート。不幸じゃないんだ」 御坂の精神は、矢張り明らかに10代の生易しいものでなかった。一足飛びに成長せざるを得ず、自分の数倍以上の辛酸を舐めているのがありありと知れた。 細い肩を掴もうが、どうしようも出来ない。情けなく俺ばかりが子供みたいだと吐き捨てれば、青年は笑った。そう居てくれると嬉しいと。 「君は子供の様に真っ直ぐ、前を向いて欲しい。お願いだから私を憐れんだ目で見ないで。やり方はどうであれ、貴方の隣に立てる程になったんだ。私を憐れまないで、バート」 死んだような目で語る言葉が、バートの心臓の奥深い部分を刺す。自分の同情が、この青年を貶め、可哀そうな存在へ落としてしまう。 御坂はちらりと上目でこちらを伺うや、隙間から抜け出して自室へと消えた。それでこの話は終いになったのだ。悩んだ末、所詮最適解を見つけられなかった。敗北したバートも、以来二度と軽率に口にしようとはしなかった。 2人の間には妙な線が出来ていた。共同研究者として時を共有し、関係を深めながらも、時折その線に触れそうになる度に不自然に黙る間が生まれた。 そして2年後、御坂は大学を不在にする事が多くなった。後に知った話だが、UNSDHなる謎の国連機関創設に携わり、立ち上げの一切を任されていたらしかった。 バートは削られた相棒との時間を大切にし、より朗らかに振舞うよう努めた。そんな折だ、その相棒が突然小さな子どもを連れて研究室に現れたのは。 「ほら、挨拶して」 あんぐりと口を広げたバートの手前、未だエレメンタリースクールに入るか否か…程度の生き物が2つ顔を見合わせる。 どちらも少年だろうか。双子にも見えたし、兄弟にも見えた。容姿は御坂に似ても似つかず、流石に実子にしては算盤も合わない。 「康祐…それは…親戚の子か?」 「2人ともユーゴスラビアの紛争で行き場が無くなってね、引き取ったんだ…この人が話してた私の友達だよ、挨拶してごらん」 戦争孤児か。それがどうなって引き取るに至ったのか疑問は尽きないが、何故か安堵に胸を撫でおろしてしまった。 2人の子供はシャイな性格なのか、大人を他所にひそひそと何事か囁きあっている。実に微笑ましい。バートが笑みを湛えて歩み寄ろうとした矢先、片方がかっと目を見開き嬉々として大声を上げた。 「サー!!こいつを掘削機にかけて良いですか!!!」 「駄目だよ」 自分の耳が正常であれば、掘削機と聞こえた。土砂や岩石を掘削するやつ。少年は良く乗り物を好きになると言うが、人間をぶち込みたくなる欲求は聞いた事がない。 「何故ですか!!!掘削機に人間を入れたらどうなるか見てみたいです!!!」 「後でコンピューターでシミュレーション作ったげよう、そしたら」 「いい加減にしろよミリツァ、掃除がめんどくさいだろ。きっとすげえ飛び散るんだぞ、アイツでかいし」 耳を塞ぎたいほど猟奇的な会話を耳に、御坂は大した窘めもなく子ども2人の頭をよしよしと撫でている。のびのびとした子育てにも程がある。隅で震える自分を目に、一通り騒ぎ散らかした子供たちはやっと一般的な挨拶を寄越した。 ミリツァ、ラザル。彼らは各々そう名乗り、もうバートには興味無く、親代わりになった相手に纏わりついて大学の感想を喋っている。 怖すぎる。ソファーの裏で怯えながら一帯を見守っていれば、やがて対の猛獣は御坂に2、3言告げ、部屋の外へ喜び勇んで走り出していった。 「あっ!!!だ、大丈夫なのか!?放流して…!」 「なに放流って…大丈夫だよ、携帯持たせてるし」 「通行人を掘削機にかけたらどうするんだ!」 「…ああ、君に当たりが強いのはごめんね。私に迷惑が掛からないギリギリを分かってやってるんだよ、他の人には言わないから」 実に嫌な賢さだ。真顔になったバートはそろそろとソファーの裏から這い出ると、落ち着かないまま冷めきった紅茶を手に取る。 子どもを拾った件など聞いていなかった。否、今態々顔見せに連れてきてくれたのだから、文句を言う筋合いなどない。 「どうして孤児の世話なんて…忙しいのに」 「世話は別に預けてる、私は唯の親権者」 「これ以上背負い込んでどうする気なんだ」 つい本音が漏れて責める声色になってしまった。バートは己の口元を押さえたが、親友は不思議そうに青い目を瞬かせている。 「…そう見えた?あのね、逆なんだよ。私があの子たちから貰う物の方が多い、君と同じなんだよ。私が君に紅茶を淹れるのも、単に見返りのため」 「俺?…俺がお前に何かやれたか?」 御坂は答えなかった。黙ってその美しい形の唇を緩め、慈愛を湛えて親友を見上げた。 その視線の意図だとか、心地よさだとか、特別な重さを感じてバートの喉がごくりと音を立てる。 バレているだろうか。己が実は、この相棒に対して必要以上の情を抱いていることに。 あれほど欲望を向ける大人を糾弾しておいて、自分も色欲を持ち、その美しい横顔を、手折れそうな四肢をじっと眺めてしまうことに、もしや気付いているのだろうか。 「…君の家族はどうしてるの?」 勝手に鼓動を速めていたら、急に相手が話題を転換した。緊張で固まった眉間を押さえ、バートはどうにか明るい声を絞り出す。 「あ…?まあ、田舎で元気にやってるんじゃないか」 「子どもは?」 また後ろめたい話になり、紅茶を飲んだり置いたりを繰り返す。公的なプロフィールとして、結婚も息子の存在も世間には知られている。 しかし実際は随分前に離婚済みで、親権も向こうに取られたため息子の現在も知れず、最悪の状況なのであった。離婚の原因は色々あるが、仕事に入れ込み過ぎて周りが見えなくなっていた様である。自分にも非が多々ある。 「何ていうか…離婚してて、今はどうしてるかも…」 「そう、ごめんね。変な事聞いて」 御坂が謝る理由は無いが、こういう気回しの上手さが本当に助かっていた。いつだって2人の空間は居心地が良く、それは相性の良さだと奢りたかったが、御坂康祐という人柄の賜物なのだと思い知る。 あの子供たちは、きっと恐ろしく賢いのだろう。僅かな接触で御坂の本質を見抜き、自然にヒエラルキーのトップに据えて従っているに違いない。 紅茶を注ぎながらそんな事を考えていたら、喧しい足音が近づいて俄かにドアが開け放たれた。猛獣のご帰還だ。バートが思わず怯えて飛び退くと、彼らは親権者に駆け寄りまた両腕へと纏わりつき始めた。 「ん?もう帰ってきたの?」 「サー!この施設の警備はクソです、30分で制圧できます」 「俺もそう思います、裏門に壊滅的な穴がありました」 不機嫌に唸り声を上げたかと思えば、揃ってそんな状況報告を述べてくる。内容の信ぴょう性は不明だが、末恐ろしい子供たちだ。御坂は憤る猛獣を抱き上げると、自分の膝に乗せて殊更優しく頭を撫でやった。 「偵察してきてくれたの?お前たちは何処かの大人たちより余程優秀だね」 「自分が!!!自分が話しますサー!!」 「俺の方が正確に話せます、黙れミリツァ!地図を見せて下さい」 成る程、些か道徳面が心配だが、教育としては頗る成功しているのかもしれない。御坂の放任主義が芽を出し、将来は各々とても優秀な人材になるだろう。 他人の子育てを何とも言えない気持ちで見守っていると、猛獣らのギラついた目が不意にこちらを向いた。つい肩が跳ねる。やあ、と取り急ぎ笑顔だけ浮かべてみれば、犬歯を剝き出した”ミリツァ”が低い声でお達しをくれた。 「一緒に聞くか?バート・ディーフェンベーカー!頭は使えるとサーが言ってたぞ、意見を出せ」 助けを乞う様に親友を見れば、「ごめんね一緒に遊んであげて」とでも言いたげな目をしている。そんな生易しいものじゃないぞ、康祐。馬鹿なことを言えば掘削機に突っ込まれそうだぞ。 結局圧に負けたバートがすごすごと席を立って輪に加われば、新入りは敬礼しろと今度は赤い髪の子が吠えた。恐ろしいお飯事が始まった。傍らの親友がここ最近で一番楽しそうに笑っていたため、まあ何でも良かったのだが。

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