3 / 8

第3話

 とうとう出逢ってしまった。  僕は初めて会った人に一瞬で恋に落ちてしまった。いや、正確にはまだ恋ではない。いわゆる片思いなのだから。  でも将斗さんには完全に勘違いされ、相手にしてはもらえなかった。 (純平さんのせいだ! 純平さんのせいで将斗さんに廊下でラブシーンをしていると勘違いされたんだ)  思い出しただけで悲しくなってきた。本気で涙が出てきた。 「能見航って、このクラスか?」  え? あの声には聞き覚えがある。それだけではなく、急に僕の中で憎しみにも似た感情がフツフツと湧き上がってきた。 「おい、のうみっているか?」  教室にいる誰もがきょときょとと辺りを見回している。それもそうだ。まだ集まって何時間も経ってはいないクラスだ。クラスメートとはいえ、まだお互いの名前さえ頭には入っていないのだから。  僕は俯いたまま顔を上げなかった。このまま通り過ぎて行って欲しかった。ここで名乗りを上げたりしたら、純平さんはまた何かとんでもない行動に出かねない。 「航、なんだそこにいるじゃないか」  見つかってしまった。どうしよう? 「何だよ、返事くらいしてくれてもいいだろ、俺たちの仲なんだから」  そう言うなり、純平さんが僕の肩に腕を回してきた。まずい、まずいよ。クラスのみんながざわつき始めたじゃないか。 (ねえ、ちょっとあの人上級生でしょ?) (まじイケメンなんだけど!)  騒いでいるのは主に女子だ。  純平さんはそんなオーディエンスにはお構いなしだ。 「なあ航、昼飯はどうするんだ? 予定がないなら一緒にメシ行かないか?」  純平さんは思いっきり顔を近づけて来た。女子の集団から悲鳴にも似た嬌声が起きた。 「いえ、遠慮しておきます。昼休みに美術同好会でオリエンしているそうなんで。僕も行ってみようかと思って」  純平さんの顔つきが明らかに曇っていく。怒らせてしまったのだろうか? 「そっか、美術同好会か。なら邪魔はできないな。そんじゃランチは明日にしような」  何で純平さんが明日のことまで決めてしまうの? 夢にまでみた僕の大学生活はバラ色のはずだったのに。何だかお先真っ暗って感じじゃないか! 一言言い返したかったけれど、純平さんは「じゃあまたな」と言い残して、さっさと教室から出ていってしまった。  そりゃ純平さんみたいにカッコいい人に言い寄られて悪い気はしないけど、僕が気になっているのは将斗さんなんだ。まだ将斗さんとはほとんど話もできていない、いや純平さんのせいで変な誤解をかけられたままなんだから!   でも待てよ。  純平さん、変なこと言ってなかったか? あの時はすっかり動揺してうっかりしていたけれど、どっちが先にデートする権利があるとか。その時将斗さんは「デート」という言葉をすんなりと受け止めていなかったか? 男同士のデートの話題だというのに、まるで普通に女子を取り合うような雰囲気で会話が進められていなかったか? もしそうだとすると、将斗さんは……もしかしてもしかして、僕の勝手な妄想が現実になる可能性があるってこと?  いや、もし将斗さんが男子に興味があるとして、その興味が僕に向けられるとは限らない。それに僕たちの間には純平さんが立ちはだかっている。それに将斗さんは男として理想的な身長で、おまけにあんなにカッコイイんだ。僕なんかぜんぜん相手にしてはもらえないに決まっている。  一目惚れの次の瞬間が失恋だなんて、そんな現実しかないのなら妄想だけの方がましだ。妄想の世界でなら僕は将斗さんと恋をすることができる。あの人を独り占めできる。そうだ。そう考えるのが一番いい。入学早々失恋なんて嫌だ! 「ねえ能見君、でいいのよね?」  いきなり声を掛けられて僕は現実に引き戻された。 「え? あ、そうだけど」 「あのイケメンの先輩と知り合い?」  僕に話しかけて来たのはさっきの女子の集団の一人だ。 「知り合いなんかじゃないよ。さっき初めて廊下で会ったばかりなんだから」  握りしめた手のひらに薄っすらと汗が滲んでいた。つい感情が昂ぶってしまっていた。 「でも親しそうだったわよ?」  名前も知らない女子たちが一様に怪訝そうな顔つきで僕を見ている。 「知っているのは名前だけさ。あとは何も知らない」  そうなのだ。僕は二人のことはまだ名前しか知らない。 「でも能見君って、ようく見るとカワイイよね。だってあの先輩、まるで女の子をランチに誘いに来たって感じだったものね。もしかしてあなた達って、腐……」 「勝手なこと言うなよ!」  もうこれ以上詮索されるのは嫌だった。しかもその言い方……それじゃ高校の時と少しも変わらないじゃないか!  腐男子、腐男子って、そういう言われ方が僕は一番嫌いなんだ! そりゃ確かに僕は女子には興味を持てない。だからといって女子みたいに露骨に男子に身体をすり寄せるようなみっともないことはしたことはないし、これからだってしない。絶対に!  僕には夢があるんだ。偶然が産み落としたシチュエーションで、じっとお互いの瞳を見つめ合い、言葉はなくても心から惹かれ合って、二人はいつの間にかかけがえのないパートナーになる。そういう自然な流れで恋をしたい。  あんな出会い頭の衝突が偶然のシチュエーションだなんてお断りだ。それよりも前に偶然のシチュエーションは起きているのだから。そう、中庭を隔てた窓越しの出会い。あれこそが僕が望んでいた奇跡なんだ! 将斗さんこそ奇跡の人なんだ! 「おい、えーっと、能見航君でいいのかな?」  席順表らしきものを片手に、ワイシャツに細いネクタイ姿の男の人が僕を睨みつけている。先生? いや年齢は僕たちとそう変わらないように見える。 「俺は単なる上級生だが、今日は君たちの指導者としてオリエンを担当しているんだ。話はちゃんと聞いてもらわないと困るんだがな」  まずい、とってもまずい!  「あ、あの、すみません!」  僕は慌てた。すっかり自分だけの世界にトリップしていたようだ。 「この学校では学生会の役員が新入生のオリエンをするのが慣例になっているんだ。おれは会長の日浦智史、三回生だ。能見航。お前には俺の話を聞いていなかった罰として『ペンクラブ同好会』に入会してもらう。いいな?」  はあ? ペンクラブ……同好会? 「いえ、困ります、僕は美術同好会に……」 「それとも罰らしく教諭室に報告のほうがいいか? どっちを選ぶんだ、能見君?」  僕の意見は遮られた。と言うより、会長には始めから聞く耳を持つ気などないみたいだ。 「いえ、あの……」 「まあ、ペンクラブ同好会の会長としての意見を言わせてもらうなら、うちは楽しいぞ。物書きを志している者であれ、単に趣味であれ、自由溢れる素晴らしい同好会だ。文章のことなら一から鍛えてやる」  まるで運動部の宣伝みたいな調子だけれど、きっと内容は作文でも書くようなものだ。それに日浦さんは確かに腕っぷしというより頭と口だけを鍛えているようだ。身長は僕より十センチ以上も高いが、肉付きは薄めで、むしろ華奢という言葉がよく似合う。それに細い黒縁の眼鏡が、彼を明晰そうに見せている。 そこからは堰を切ったように、文学的なのかそうでないのかもわからない持論を滔々とまくし立てた。周りをそっと見渡してみると、あくびをしたり、こっそりスマホをいじったりしてほとんどが日浦さんの話を聞いてはいないように思えた。  そんなわけで僕は、晴れてペンクラブ同好会の一員となった。     憧れの学生生活の第一日目としては、なんて波乱万丈なのだろう。これじゃ先が思いやられる……。

ともだちにシェアしよう!