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第五章 里帰りと置き土産 2 お見合い写真
里帰りからしばらく過ぎた、とある平日の朝。馨は普段通り遼真を見送って、洗濯やら掃除やらを済ます。漫画を読んで暇を潰し、昼寝をし、また漫画を読んでいると、ピンポンとチャイムが鳴った。遼真宛の荷物が届いたのだ。馨は急いで引き出しを開けて印鑑を探した。
「なっ……何じゃあ、これは」
引き出しの中に、信じられないものを見つけてしまった。玄関の向こうで配達員が呼んでいるが、そんな声は全く耳に入らなかった。
*
夜遅く、遼真が帰宅した。ただいま、と言っても返事がない。部屋は異様なほど静まり返っていた。リビングもキッチンも、当然トイレや浴室も真っ暗だ。寝室の窓が全開になっており、カーテンが風に靡いている。
「馨ちゃん? いるんだろう?」
ベッドにこんもりと山ができている。遼真は恐る恐る近付いて、布団を捲ろうと手をかけた。
次の瞬間、閃く刃が目にも止まらぬ速さで暗闇から飛び出す。空を切り裂き、遼真の髪を掠めた。と同時に、布団の中から舌打ちが聞こえる。
「ちっ、外したか」
「か、馨ちゃ……まっっこと、危ないぜよ……」
ナイフを持つその手をしっかりと捕らえて遼真は言う。冗談でなく冷や汗ものだった。
「やかましい! その手ぇ放しや!」
馨は闇雲に暴れるが、遼真の力は緩む気配すらない。むしろどんどん強く馨の手を掴む。
「放しぃや! このっ、おまんなんぞ嫌いじゃ!」
「だって放したらまた振り回すろう! 馨ちゃん、何を怒っちゅうの。ちゃんと言ってくれんとわからんよ」
「うるさいうるさい! ほいたらこん写真は何じゃあ! わかるように説明しぃ!」
馨が取り出したのは一枚の封筒。それを逆さに振ると、数枚の写真が滑り落ちてくる。どれも女の写真だ。誰も彼もが落ち着いた佇まいでにこやかに映り込んでいる。遼真はその写真を見て、あっと声を漏らした。
「やっぱり思い当たる節があるがや! この浮気者!」
「いや、これは違うんだ、誤解だよ」
「やかましい! 言い訳なんぞ聞きとうないわ! おまん、おま……わしだけ好いちゅうらぁて言うて、散々騙しくさってぇ……」
馨はとうとう、ぐずぐずとすすり泣きを始めた。泣き声はだんだん大きくなっていく。ナイフなんて握っている場合ではない。
「この嘘吐き、浮気者ぉ……おまんなんぞ嫌いじゃあ……こがぁに何股もかけくさってぇ……」
遼真は取り上げたナイフを引き出しに仕舞い、参ったなというように溜め息を吐く。ともかく宥めようと馨の背中を摩る。
「ごめんね馨ちゃん。でも本当、違うんだよ。だから泣かんで」
「……思えば始めっから変やった……一人暮らしでこがぁに広い部屋に住んじゅうらぁて」
「1LDKなんて普通だよ」
「デートもいやに慣れちゅうし、口説くがもうまいし……あ、あっちの方もずいぶん手慣れちゅうし、最初からちゃんとできよったし……そもそもゴムが用意してあるらぁておかしい……箱も開いちょったし……」
「馨ちゃん!」
めそめそと恨み言を述べる馨を遼真は一喝した。再び溜め息を吐き、部屋の灯りをつける。ベッドの上にばら撒かれた写真を一枚取って、その裏面を馨に見せた。
「ほらこれ、何が書いてある?」
馨は首を傾げる。代わりに遼真が答える。
「名前、年齢、仕事先。要は、超絶簡略化された釣書だよ」
「つり……?」
「釣書。いや、正確には釣書でも何でもないんだけど……母さんがどうしてもって渡してきたんだ。相手がいないならお見合いでもしたらどうだって」
馨は唖然とした。ショックで涙は引っ込んだ。
「見合い……?」
「うん。これ全部、それ用の写真らしいよ。僕はもちろん断ったんだけど、気が変わるかもしれないからって写真だけ持たされたんだ。ほら、この間帰ったろう? その時に」
「これ全部……?」
「母さんがなんだかやる気になっちゃって、色んな伝手を使って集めたみたいなんだ。僕は別に頼んでないんだけど、本当、大きなお世話っていうか、お節介というか……」
馨はつい先日の、遼真の実家で朝食を囲んだ時の会話を思い出していた。あんたももういい歳なんだから、そろそろいい人見つけて身を固めて、元気な孫の顔でも拝ませてくれなくちゃ困る、今はそれだけが楽しみなんだから、と遼真の母は言っていた。その時は大して気にも留めなかったが、まさか知らないうちに縁談まで持ち上がっていたなんて。
「……見合い、するがか……?」
馨は不安げに声を震わせる。
「まさか、馨ちゃんがいるのにするわけないじゃないか。今度ちゃんと断っておくよ」
「けんど……」
不安げに揺れる瞳に煙草用のライターが映る。馨はそれを手に取り火をつけた。
「ほいたらこれで焼き捨てる」
そうして写真を燃やそうとするので、遼真は慌てて往なした。
「どういた。焼けんがか?」
「で、でもさすがに燃やすのは……」
「そがぁに大事かよ、その写真が……」
馨はまた泣きそうな顔をする。ぐっと歯を食い縛り、赤い目で遼真を睨む。
「……わかったよ」
遼真は写真を全て封筒に戻した。
「これ全部、今すぐ送り返すよ」
宛名を書き、切手を貼る。
「どうせだから手紙もつけよう」
デスクから便箋を取り出す。
「何と言われても結婚する気はないし、見合いなんて絶対にしないって書いておくよ。……そうだ、僕には心に決めた人がいるからって書いたら、母さんもわかってくれるかも」
遼真はさらさらとペンを走らせる。その音を聞きながら、馨は実家で両親に言われたことを思い出す。結婚だの孫だのと今更うるさく言うつもりはないが、遼真くんまで婚期を逃したらあちらの親御さんに申し訳ないから、あんた邪魔しちゃいけないよ、というようなことを言われた。
「……わしのことは書かんでえい」
遼真は一旦ペンを止める。
「まだそがぁな時期やないき」
「じゃあ、馨ちゃんのことは書かないよ」
「余計なことも書かんでえい。ただ見合いはせんちだけ書いちょけ」
短い手紙を書き終え、封をした。すぐさま近所の郵便ポストへ駆けていって、投函した。
「これでいいかい?」
馨はこくりと頷く。その後、コンビニで弁当を買って帰った。
帰りのエレベーターで、馨は一言遼真に謝った。それから甘えるように身をすり寄せる。そんな馨の頭を遼真は優しく撫でる。
「ほんにごめんちや、りょーま」
「僕も悪かったよ。もっと早く相談しておくべきだったのに、隠すような真似をして」
「けんど、早とちりしておまんを刺そうらぁて……」
「ペーパーナイフじゃ人は殺せないよ。それに、あれくらいなら僕も避けられる。けど、目に刺さったら危ないから、今度からはまず話し合うようにしようね」
「ん……」
遼真の目にナイフが深々と突き刺さる様を想像し、馨は慄いた。
「おまんの目が見えんようになるらぁて嫌じゃ……たとえ浮気しよったとしても……」
馨は罪悪感と自責の念でいっぱいになり、二度と遼真を疑うまいと心に誓った。そしてまた、遼真のパートナーとしてふさわしい、まともな人間になる努力をしようと決意した。
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