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誘惑−1−
ーどうしてあんなこと···
動揺が隠せないまま店内に戻った。
「俺、本気なんで」
僕の方を真っ直ぐ見て言った。
「でも、僕には実さんが···」
「ノンケは結局、普通の家庭を求めるんですよ···」
言葉に真実味がある。
「そういう人がいたの?」
賢人くんは一瞬驚いた顔をした。
「帰ったら話聞いてくれますか?」
「う、うん···」
会計を済ませて家に向かった。
距離感が分からず、少し離れて歩くことにした。
「俺、最初に付き合った人がノンケで···」
グラスの氷がカランと揺れる。
「5歳上で、この間結婚したのをSNSで知りました」
笑っているのか泣いているのか分からない表情で、賢人くんは声を絞り出している。
「···そうなんだね」
「なんか馬鹿みたいですよね···ノンケ相手に本気になって。最初から分かってたのに」
必死に涙をこらえている。
「馬鹿なんかじゃないよ。ちゃんと好きだったんでしょ、その人のこと」
「···うん」
「その時の自分のこと否定するのは悲しいよ」
震える肩に手を置いた。
「···純さん」
賢人くんの手が重なった。
「ん?」
「今の話、信じたんですか?」
「う、嘘だったの!?」
僕の手を握って賢人くんは笑っている。
「そんなにお人好しじゃ、騙されますよ」
思わず手を払ってしまった。
「じゃ、俺寝ますね」
悪びれる様子もなく、ソファに寝っ転がった。
「おやすみなさい」
「···」
ー嘘なんかじゃない。だって···
肩に手を置いたとき、涙が見えたから。
賢人に宣戦布告されて電話を切られた後、何度かかけ直そうと思ったができなかった。こんな時に純の側にいない自分に腹が立った。
しばらくして楓からまた電話があった。
「ちょっと!急に切らないでよー」
「ごめん。びっくりして···」
「もう家に帰ったみたいだけど」
「そっか」
「実、大丈夫?」
「大丈夫···ではないかな」
冷蔵庫にある缶ビールを開けた。
「実がそんな弱気になってるの初めて」
楓はなぜか嬉しそうだ。
「それだけ峯岸くんのことが好きなんだね」
「うん。純以外は考えられない」
「峯岸くんも実と同じ気持ちだと思うから、信じてあげなよ···って私が実にチクったんだけど」
「確かに」
不思議と楓には腹が立っていなかった。
「余計なことしてごめん」
「怒ってないから」
「ほんと?よかったー。じゃあまたね」
「うん。今度こそ飲みに行こう」
「楽しみにしてる」
電話を切って、ベッドに横になった。
ー純を信じる、か
もやもやを消すようにビールを一気に流し込んだ。
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