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第7話 発覚②
「……えっと、これって……」
呆然としていた誠は、黒澤の声で、我に帰り、慌てて叫んだ。
「だ、誰にも言わないでくれっ!!」
そう言いながら誠は俯き、真っ赤になった顔を上げることが出来ない。
「ってことは、これは志田のやつなのか」
黒澤にそう言われてから、「友達の」とか「妹の」とか適当に言い訳しようがあったことに気がつく。
なんか言わなきゃ。どうにかしないと。
そう思うものの、言葉が1つも出てこない。誠の頭の中は、恥ずかしさ、焦り、恐怖、色々な感情がごちゃ混ぜになり、とっ散らかっている。できることは、ただ溢れそうな涙を堪えることだけだった。
「んっと……」
さすがの黒澤も困惑してるようで、次の言葉に迷っている。その様子に誠の瞳にはさらに涙が溜まっていく。
良い年して、こんなことで泣きそうになってちゃダメだ。
そう、"こんなこと"だ。まだ、どうにか誤魔化せるかもしれないし、そもそも黒澤自身もゲイであり、周囲に言いふらすことはしないかもしれない。しかし、誠の頭の中には、過去のトラウマが決壊したダムの水ように勢いよく、流れ出していく。
【おい、志田、プールの時に俺の身体じろじろ見てただろ。気持ち悪りぃーな】
ー見てないっ……! そもそもお前の身体になんて興味ない……!
【こいつ、触ると顔真っ赤になるんだぜ。ほんっと気持ち悪い】
ーこれはそうゆう体質なんだ、そう思うなら触らないでくれ……!
【ごめん。俺、男とか無理だから】
ーただ友達になりたくて話しかけただけだよ……。男なら全員恋愛対象なわけじゃない……。
【名前が志田ゲイだもんな! 生まれた時から普通じゃなかったんだな!】
【男が男好きって理解出来ない。ゲイは同じ人間とは思えないな】
毎日繰り返される心ない言葉に、始めは反抗心を抱いていたものの、次第に誠の心は弱っていった。そして、何を言っても理解してくれない周囲の反応に、本当に自分は普通じゃないのだとわかった。
自分にとってはただ、恋愛対象が男なだけ。後は普通の人と何も変わらない。しかし、それは一般人にとっては、異常すぎることで、まるで宇宙人かのように扱われる。それを知ってからは、普通じゃない自分が悪いんだと考えるようになった。だから反抗せずに耐え、もう誰にもバレないようにしようと決意した。
それなのに、黒澤にバレてしまった。
また悪魔のような日々が始まるのかと思うと、真っ赤だった誠の顔は、次第に色をなくしていく。頭はハンマーで殴られたかのように痛い。
そんな誠を、整った眉を寄せ、黒澤が心配そうに覗き込む。
「志田? 大丈夫? 俺、別に誰かに言ったりなんてしないから」
そんな黒澤の気遣いも誠の心には届かない。いつもの少年のような笑顔ではない彼の表情は、むしろ誠の不安を、より一層掻き立てた。
もう一瞬でも目の力を緩めれば、涙が溢れて止まらないだろう。
「……えっと、志田ってゲイなの?」
黒澤が遠慮がちに投げかけた言葉を聞いた瞬間、誠の目からは、耐えていた涙が止めどなく溢れ出した。
信じてくれるかは置いといて、「漫画は趣味なだけで、ゲイではないよ」とか、いくらでも誤魔化すことはできただろう。しかし、皆が怪訝そうに発するその質問は、いつも悪夢の始まりだった。
「ゲイ」という言葉は誠の心臓を突き刺す、最も鋭利なナイフだった。そのナイフを黒澤に持たれると、なぜか涙を堪えることができなかった。
「え! どうした!?」
滲んだ黒澤の姿が、これまでにないほど動揺して、立ち上がるのが分かる。それでも誠は肩を震わせ、静かに、涙を流し続けた。
「俺、本当に言いふらしたりなんて絶対しないよ! それに知っての通り、俺もゲイだ。むしろ仲間だろ」
「それは違う!!」
黒澤の「仲間」という言葉は、誠の不安をかき消すどころか、以前から腹の底にあった黒い感情をどんどん湧き上がらせた。
「お前と俺は違うよ……! 俺は、ゲイなのに……男が好きなのに……それなのに、男が嫌いで、怖くてしょうがないんだ!」
男というだけで、自分が恋愛対象だと勝手に勘違いし、容赦なく言葉の暴力を振るってくる。そんな奴らが誠は大嫌いだった。それでも女性を好きになることを、この身体は受け入れてくれない。熱を持ち、触れたいと思うのはどうしても男性なのだ。
しかし、男性への疑心と恐怖が朝顔の蔓のように、誠の心臓にはきつく、まとわりついている。そんな自分はゲイにすらなり切ることができていないのだろう。
ーだから、ちゃんと恋人もいて、周囲にゲイとして受け入れられながら、しっかりと生きているお前とは、全然違うんだよ……。
誠はそう心の中で呟き、もう言葉は発さなかった。これ以上、口を開けば、黒澤に対する八つ当たりしか出てこないとを自覚していたからだ。
「ごめん。簡単に仲間なんて言って、無神経だった」
「え」
誠はまさか自分が謝られるとは思っておらずだらしない声を出してしまう。
黒澤は再度、誠の前に腰を降ろし、床に置いてあった漫画をパラパラと読み出す。
「だって俺、志田ほど綺麗な心持ってないし。こんなキラキラした展開で抜けるほど、純粋な恋愛してきてないわ」
黒澤はそう言いながら、眉を八の字に寄せ、少し困ったような笑みを浮かべた。
黒澤の予想外すぎる言葉を、誠は上手く咀嚼することができない。とりあえず、漫画を取り上げねばと思い、誠は「返せよ」と言いながら手を伸ばし、黒澤の方へと身体を乗り出した。
すると、伸ばした右手を黒澤に強く掴まれる。
「ダメ! だってこれが志田の理想の恋ってことなんでしょ? じゃあ、知っておかなきゃ」
「……はっ!?」
「俺はこんな恋愛してきてないし、志田のタイプじゃないかもだけど、これから頑張るよ。てかノンケじゃないってだけで、大分難易度下がった」
タイプ!? 難易度!?
誠の頭の中は先刻とは異なる種類の混乱でいっぱいだった。「へっ?」とか「はっ?」とか情けない声を出すばかりで、言葉を紡ぐことができない。
黒澤は誠の手を解放すると、急に正座をしだし、そのまま続けた。
「まずは親友目指そうと思ってたけど、やめた。正々堂々、彼氏を目指します」
「……いや、え!? 何言ってんの!?」
「え!? 可能性ゼロって感じ!?」
「いや、え? そうじゃなくて、いやなくないけど……。お、俺のこと引いてないの?」
黒澤の驚きの発言の連続に、誠はあっけに取られる。しかし、そのおかげなのか、いつの間にか涙は引っ込んでいた。
「引くって何に? BL漫画で抜いてること?」
「良い歳して、漫画で抜いてるとか普通じゃないだろ……。それにゲイとか言いながら、男に嫌悪感があるのも変だろ……」
誠が不安気にそう言うと、黒澤は「なんだ、そんなことか」と言って、目を細め、優しい笑みを浮かべた。
「漫画は、まぁ少数派ではあるかもだけど、だからって別に変ではないでしょ。汚いとことか書かれてないし、ある意味、1番夢があるじゃん」
誠の漫画をパラパラとめくりながら「けっこうエロいし」と、黒澤は続ける。そして、漫画を閉じ、床に置くと、今度は誠の瞳をしっかりと見つめ話し出す。
「で、その男が怖くて嫌いってのはさ、今まで、そんな奴らしか志田の近くに居なかったってだけでしょ? それは志田に引くってより、周囲の奴らを軽蔑するよ」
「いや、でも俺にも問題がきっとあるわけで……」
「俺は自分を信じるよ。少なくとも、俺の見てきた志田は素直で、面白くて、可愛くて、引く要素なんて全くない」
黒澤はそう言い切ると、机の上に置かれていた誠の右手に、自分の手を重ね、真っ直ぐ誠を見つめた。
「むしろ、どんどん惹かれてる」
「……っ!!」
誠は顔を真っ赤にし、あまりの恥ずかしさに、黒澤の手を思いっきり振り払った。
「な、な、ふざけるのも良い加減にしろよ!」
叫びながら、心臓にまた痛みを感じた。しかしそれは、先程のナイフで切り裂かれたような痛みではなく、圧迫されたような痛みで、苦しいのに、どこか心地よい痛みだった。
血液がすごい勢いで身体中を駆け巡っているような感じがする。心臓も身体も熱くてしょうがない。
「ふざけてないよ。本気で志田が欲しくなっちゃった」
「そもそもお前、彼氏いるだろ!」
「彼氏……? あ、もしかして、すっごい嫌そうな顔で見てた時の人のこと言ってる? 」
誠は黙って頷く。
「……あの人はなんていうか、腐れ縁ていうか、まぁ簡単に言うと、セフレって奴だね」
「……セ、セフっ!!」
少女漫画脳の誠にとっては驚愕の事実で、開いた口が塞がらない。
「俺は純粋な恋愛してきてないって言っただろ……。でも志田のためなら、もう身体の関係は持たないようにするよ。だから志田も、俺のこと引かないで?」
首を傾げ、子犬のような瞳で見つめてくる黒澤は確信犯だ。
「いや、驚いただけで、べ、別に、個人の自由だし。俺に関係ないし」
そう言いながらも、誠の視線は泳ぎまくりで、黒澤の目を見ることが出来ない。
「関係なくないよ。志田とはちゃんとしたい」
「な、なっ……!」
今日の自分の語彙力は5歳児以下のようだ。また言葉が出ず、口をパクパクさせてしまう。
「ははっ……! ほんと可愛い反応するなっ!」
「な、バカにしてんだろ!?」
そう言いながらも、やっと少年のような満面の笑顔を浮かべた黒澤に、内心ホッとする。
「してない、してない」と言いながらも、笑い続ける黒澤の姿を見て、なんだか誠まで笑えてきた。もらい泣きだけじゃなくて、もらい笑いもあるんだと初めて知った。
「まぁ、とにかくこれから覚悟してよね」
「な、なんだよ覚悟って……」
「はい。黒澤陽太は、今日から志田にアプローチすることを、ここに誓います」
ふざけながら、黒澤は右手を小さく挙げ、宣言する。馬鹿だなと思いつつも、ここで冗談っぽくしてくれたのは、彼の気遣いなのかもしれないとも感じる。いつもはムカつく、黒澤の軽いノリに、この時ばかりは感謝した。
「俺はそんな簡単に堕とされないからな」
誠は自分に言い聞かせるように、そう宣言する。
黒澤は重い空気を変えるために、ノリで言ってるだけだ。絶対本気になんてしてはいけない。
そんな誠を黒澤は楽しそうに、ニヤつきながら見ている。
「どうかなー。ご覧の通り、ポツは俺に堕ちているみたいですが」
そう言われ、黒澤の膝の上に視線をやると、ポツが気持ちよさそうに丸まっていた。
「な、ポツ!! お前、裏切ったな! ポツ、俺の膝に戻っておいで!」
そんなことを言いながら、誠が必死にポツの名を呼んでいると、急に黒澤は、誠の顔を指差した。
そして、どこからそんな声が出るんだ、というほど低い声で「次はお前の番だ」と言った。
「……ふっ!!」
黒澤のその仕草と言葉は、アニメ化もされている2人の大好きな漫画、ヒーロー大戦の悪役の決め台詞で、微妙に似ているモノマネをする黒澤に、誠は思わず吹き出してしまった。
「ちょっと似てるモノマネすんなよっ!」
耐えきれず、大笑いしだした誠を見つめる黒澤は、どこか安心したような表情を浮かべている。その表情に、また胸が痛んだのは、きっと気のせいだ。
最大の秘密がバレた最悪な日のはずなのに、なぜか誠の心は長年こびりついた汚れが取れたかのように、スッキリしていた。
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